念願の関屋分水再訪を果たした後、すぐにでも大河津分水も見に行きたいという気持ちが強くなりました。
ただ、新幹線を使えば日帰りで行けるのですが、老後のために節約も必要だし、次の小旅行は秋ごろまで我慢しなければと躊躇していました。
6月に入って雨の日が多くなり、こういう雨の後は日本海側の河川はどんな感じなのか気になりました。
今まで紀伊半島や東北の河川や海を見てまわった時は晴天に恵まれたので、美しく穏やかな風景でした。なぜ分水路や放水路が必要なるのか、やはりさまざまな状況を経験しないと実感できないのかもしれません。
もちろん悪天候の時に河川や海岸に近づくのは人様に迷惑なことですから、通常の雨の日に行ってみようと思いつきました。
6月初旬、雨が続き、関東甲信越地方の天気予報はどこも「曇り、時々雨」の日を選んで出発しました。
朝、出かける時には都内は冷たい雨が降っていました。
ところが「上越新幹線がトンネルを抜けるとそこは晴天」でした。いやはや、計画通りにはいかないものです。それでも昨晩までの雨のせいか、信濃川は濁流でした。
*大河津分水*
1990年代半ばに関屋分水と新潟大堰を見に行った時には、まだネットで簡単に情報を得られる時代ではなかったので、関谷分水より前に造られた大河津分水のことは知りませんでした。
ブログを書き始めて、いろいろと信濃川水系の治水について思い出すことが増え、地図を眺めているうちにもうひとつ分水路があることに気づいたのでした。
信濃川がぐっと新潟市内へと流れを変えるあたりで、海へと放水路があります。
その放水路の方がむしろ本流より大きく、この辺りから信濃川は細い河川として描かれています。
ここを見てみたい。どんな地形でここが分水路に選ばれたのだろう、どんな歴史があったのだろう。
そこにも国土交通省の資料館があるようです。
どこから行けるのだろうと地図を眺めると、その名も「分水」という駅があったのでした。
*長岡から柏崎、そして分水へ*
長岡まで新幹線を使い、信越本線直江津行きでまず柏崎まで行きました。
初めて信越本線に乗りましたが、途中まで信濃川支流に広がる田園風景を眺め、そして山あいを縫うように列車が進んでいき、やはりどこの風景も落ち着いて美しいものでした。
柏崎で越後線に乗り換えると、けっこう乗客が乗っていた信越本線とうって変わって、2両編成の列車に数人だけになりました。
柏崎からは両側が山に挟まれた場所を通過します。
地図で見ると刈羽駅から200mほどのところまで原子力発電所の敷地が描かれているので、すぐそばを通るのかと思っていたら、小高い丘が続いている場所で全く見えませんでした。
一見、海に近いところを走っている路線ですが、日本海との間にはずっとこの小高い丘が続いていました。
小島谷駅を過ぎたあたりから水田地帯が広がり始め、遠くに大きな山が見え始めました。
その手前に大河津分水路があるのだろうと、見当がつきました。
弥彦丘陵のようで、最も高いところは650m以上あるようです。
弥彦丘陵の手前を開削して分水路をつくったのかもしれないと推測した通り、分水路を超えて分水駅に到着しました。
資料館を見学した後、水流の多さに足がすくみながらも分水路にかかる橋を渡り、寺泊駅まで歩いてそこから長岡行きの路線バスに乗りました。
信濃川の堤防近くを走り、田園風景を眺めて長岡に到着。
帰りの新幹線まで時間があったので、長岡市内を流れる信濃川の河川敷近くまで歩いてみました。
今日は淡々と経路だけを書きとどめたのですが、広大な信濃川流域の何百年にも渡る治水の歴史に圧倒された散歩でした。
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