2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「死亡率の改善という努力の代償はあまりにも残酷すぎた」

今日の記事の題は、デーリー東北新聞の2012年2月9日の記事「再考 地域医療 (4)産科の危機 高齢化が進む開業医」の中に書かれていた、産婦人科医の言葉です。 その記事には、2011年に八戸市内の分娩の4分の1を担っていた開業産科施設が一時的に分娩受け入れ…

境界線のあれこれ 22 <夢か現(うつつ)か>

自分の小さい頃からを思い返してみても、「死」を現実に感じたのがいつ頃なのか記憶にありません。 家族や親戚の葬儀も体験がなかったくらいなので、初めて死を実感したのは看護学生になってからでした。 看護学生の1年生の時に、解剖見学がありました。 看…

花に思うことあれこれ

庭や野に咲く花には、流行があって徐々にそれが広がっていくようですね。 「あれ?昨年まではこんな花みたことがなかったのに」と思うものが一気に広がり始めるような印象があります。 いつも実家に帰るときに使う電車の車窓からも、その花が同じように広が…

冬桜

寒さが最も厳しい季節ですが、真冬にもさまざまな花が咲いて楽しませてくれます。 今のクリニックで働き始めた10年ほど前、通勤途中に冬なのにちらほらと桜が咲いているところがありました。 最初は狂い咲きかと思ったのですが、2ヶ月も3ヶ月も咲き続けてい…

自律授乳のあれこれ 13 <ラクテーションコンサルタント協会の「自律授乳」の定義のようなもの>

1980年代終り頃に私が助産師学校で使った教科書には、新生児に個性があるということが書かれていたことはこちらの記事で紹介しました。 新生児の行動を観察していると、その個性ある行動に気づく。 現代社会では「個性」という言葉は日常的に使われるので、…

行間を読む 8 <根強い「きずな」幻想>

前回の記事で紹介した「母乳育児支援スタンダード」(日本ラクテーション・コンサルタント協会、医学書院、2008年)の「早期授乳を支援するときの留意点」に以下の一文が入っています。 7)児とのきずなの形成は母親と父親の両方を含むことを心にとめておく。…

自律授乳のあれこれ 12 <新生児の気持ちはどこにある?>

前回のWHOの「母乳育児成功のための10か条」の中の「4.母親が分娩後、30分以内に母乳を飲ませるように援助をすること」を勧めていくために、さらに「援助方法」がつくられていきました。 <科学的のようで科学的でないような・・・> 「母乳育児支援スタン…

自律授乳のあれこれ 11 <分娩後30分以内の「授乳」>

WHOの「母乳育児を成功させるための10か条」には以下の項目があります。 4.母親が分娩後、30分以内に母乳を飲ませられるように援助すること たしかに1990年代初め頃の産科施設では、まだ分娩室で赤ちゃんを抱っこしたりおっぱいを吸わせてみることをしてい…

自律授乳のあれこれ 10 <「新生児看護の本質」が明文化された時代>

少し間があいてしまいましたが、「自律授乳のあれこれ」の続きです。 助産師が新生児を継続的に観察する時代に入ったのは1960年代であることを考えると、初産と経産の会陰裂傷の頻度さえまだ自分達の経験をきちんと数値化できずに、前回の記事のように「玄米…

裸の王様の予備軍にならないために

「裸の王様に服を着せるのは誰か」で、「ところが搬送の機会になるほどの異常も起こらず、自宅での出産は無事に終わりました」と書きました。 これを読んで、「ほら、やっぱり自宅分娩だって大丈夫じゃない」と思った方、特に助産師がいたら、裸の王様の予備…

裸の王様になるきっかけ

また昨日の続きです。 裸の王様シリーズは、裸の王様に服を着せるのは誰かから始っています。 今回は集団思考に陥りやすい「先行する条件」の最後の部分、「刺激の多い状況に置かれると集団思考に陥りやすい」について考えてみようと思います。 wikipediaの…

なぜ裸の王様を生み出すのか

昨日のつづきです。 「集団思考」の中に書かれている「先行する条件」と「集団思考の兆候」も、助産師の中に裸の王様とその予備軍を生み出している状況そのものだと思いました。 先行する条件 (1)団結力のある集団が、(2)構造的な組織上の欠陥を抱え、(3)刺…

裸の王様と集団思考

昨日の記事で引用したwikipediaの「裸の王様」で、最後の方に「関連項目」の中に「集団思考」がリンクされています。 集団思考 集団で合議を行う場合に不合理あるいは危険な意思決定が容認されること、あるいはそれにつながる意思決定パターン あ、やっぱり…

裸の王様に服を着せるのは誰か

久しぶりの「助産師の世界」と「今日はちょっと黒」のタグです。 「今日はちょっと黒」のタグを初めて使ったのは、「記録に残しておきます」の記事でした。そちらを読んでいただければ、このタグはどのような時に使うのか、何となく伝わるかもしれません。 …

自律授乳のあれこれ 9 <新生児が観察され始めた時代>

「我が国の妊娠・分娩の危険性は?」の4ページ目にある「我が国の分娩場所の推移」のグラフをみると、1960年に自宅と病院での分娩が半々だったものが急速に十年間で病院での出産に移行し、1970年から1975年でほとんどの出産が病院で行われるようになりました…

自律授乳のあれこれ 8 <1960年以前の「新生児看護」の記録>

1960年代の出産の医療化の時代を境に、栄養と衛生状態の改善そして小児医療の発展によって新生児死亡率・乳児死亡率が劇的に改善されました。 1970年代終わりから80年代初めに看護学生だった私さえも、自分が生まれた1960年代の新生児死亡率や乳児死亡率の高…

自律授乳のあれこれ 7 <新生児は誰によってどのように観察されてきたか>

私が生まれた1960年代初め頃は、半分の人が自宅で生まれていました。 その自宅分娩も、医療を少し学んだ助産婦がまったく関わらなかったお産もまだあった時代でした。 たとえ、助産婦が産後数日ぐらい訪問したとしても、せいぜい沐浴をしながら新生児を観察…

光あれかし

一年間でも最も寒い季節になりました。 どちらかというと夏が好きなので寒さは勘弁という感じですが、そんな真冬の1月も案外好きなことがあります。 それは冬至が過ぎると、日没が遅くなることです。 ついこの間までは夜勤の出勤時間には日が沈みかけていた…

自律授乳のあれこれ 6 <なぜ「授乳」にだけ「自律」という表現がつけられたのか>

「小児は大人を小さくした存在ではない」ということは、小児医療や小児看護では最初に認識させられることのひとつです。 ただ単に、大人の体格を縮小コピーした存在ではないということです。 こちらの記事で、ナイチンゲールの「病気の子どもの生命を絶えさ…

自律授乳のあれこれ 5 <「赤ちゃん主導」と「自律」の矛盾>

「欲しがるときに欲しいだけ」というのが「自律授乳」であったり、あるいは「赤ちゃん主導の授乳」とされるのであれば、「赤ちゃんが欲しい(飲みたい)わけでなない」状況があることを認めることも「自律」や「主導」ではないかと思います。 ところが、すべ…

自律授乳のあれこれ 4 <「自律授乳」=「赤ちゃん主導の授乳」?>

「自律授乳」とはどのような定義なのか探してもみつからないのですが、それらしい考え方が「Q&Aで学ぶお母さんと赤ちゃんの栄養」(「周産期医学」2012 Vol.42増刊号、東京医学社)の中に書かれていました、 しばらくその内容について考えてみたいと思います…

今年はマグロのように泳ごう

年末年始はプールが開いていないので、私にはあまりうれしくない時期です。 先日、ようやく初泳ぎに行きました。 数年前までは公共のプールでも1月2日から始める所も増えていたのですが、最近はまた1月5日ごろまでは休場する傾向のようです。 やはり水に飢え…

自律授乳のあれこれ 3 <「規則授乳」に対する「自律授乳」>

新生児医療や母乳に関する本をあれこれ探してみたのですが、「自律授乳とはなにか」定義らしいものが明確にされているのは見つかりませんでした。 いえ、「自律授乳」について書かれたものはもちろんあるのですが、私にはとても定義されたものとは思えないも…

自律授乳のあれこれ 2 <「自律授乳」に対する温度差>

1980年代終り頃の助産師向けの教科書には書かれていなかった「自律授乳」という言葉は、卒業したあと自然と耳に入りました。 助産婦学校の実習は大学病院の産科でしたから、当時の大学病院で母子同室はおろか自律授乳を取り入れている施設は皆無といってよい…

自律授乳のあれこれ 1 <「自律授乳」という言葉が使われ始めた頃>

哺乳瓶についてはまた不定期に記事が続きますが、「ミルクも『自律授乳』が基本といいつつ」で書いたように、「自律授乳」という言葉についてしばらく考えてみようと思います。 <「自律授乳」が使われるようになる直前の時代> 私が看護学生だった1970年代…

境界線のあれこれ 21 <ノンフィクションとフィクション>

1990年代は、私自身が「自然なお産」に傾倒していました。 「手を出さずに待てばたいがいのお産は無事に終わる」という考えに強く影響を受けていました。 そのような時期に吉村昭氏の本に出会ったことが、もしかしたら私を引きとどめてくれたのかもしれない…

意識のバブル

私が20代から30代の頃が、バブル景気と言われた時代でした。 「バブル景気」という語は1987年に命名された。しかし、この語が広く一般に、実感を伴って認知されたのはバブル経済が崩壊したあとである。 たしかに当時はバブル経済の真っ只中だと感じることも…

掃除は誰のため? −publicという概念ー

前回の記事で紹介した犬養道子氏の「ラインの河辺ードイツ便り」(1973年、中央公論社)で読んだ内容で印象に残っているのが、 ドイツでは窓が汚れていると近隣の家から苦情がくるというものでした。 最初は、「近所迷惑だから?」「不愉快だから?」「ルール…

ものの片付け方

年末に大掃除をされて、気持ちよく新年を迎えた方が多いのでしょうか。 私は基本的に「大掃除」はしません。 年末年始は通常通り出勤しているということもありますし、寒い時期に掃除をするよりは、水をジャバジャバと使っても気持ちがよい秋ごろまでには大…

境界線のあれこれ 20 <虚像と実像>

活字中毒で一週間に何冊も本を読んでいた私が、めっきり本を読まなくなったことはこちらの記事に書きました。 老眼鏡(とは書きたくない)はすっかり体の一部になじんで、こうしてブログを書く時にいろいろと資料を読むのには苦痛を感じなくなったのに、なぜ…