2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧

フリージア

雪が降ったり底冷えがしたり、寒さが1年中で一番厳しいのですが、コートを着ていると少し暑く感じ始めて春が近づいてると感じる頃ですね。 この時期になると咲く、フリージアが私は大好きなのです。 特に黄色いフリージアが。 最近は花屋さんの店頭にもさま…

境界線のあれこれ 31 <「准」がつくこととつかないこと>

世の中の仕事で「准」がつくものと言えば、以前は准看護師しか思いつきませんでした。 いつ頃からでしょうか、准教授という役職名を聞くようになったのは。 wikipediaの准教授によれば、助教授が「教授の職務を助ける」のに対して、准教授は「教授に次ぐ教員…

境界線のあれこれ 30 <看護師と准看護師の教育制度>

病院によっては、職員の名札に「看護師」か「准看護師」かを明記しているところもあると思います。 また具体的に、看護業務の中で准看護師の範囲を限定し、看護師とは明確にわけている施設もあるかもしれません。 それでも患者さん側にしたら、実際には何が…

境界線のあれこれ 29 <看護師と准看護師>

世の中の職業には、同じような職域でもいくつか異なる資格が混在していて、外から見るとその違いがよくわからないものはたくさんあります。 助産師の中に強い「私は看護師ではありません(キリッ)」という態度も、外から見れば看護師と助産師の違いがわかり…

境界線のあれこれ 28 <1950年代から1960年代、看護の大転換の時期>

しばらく産科診療所の話題を離れていますが、実は、この1950年代から60年代頃の看護の変化がその後の産科診療所のありかたにも大きく影響をあたえたのではないかと思うので、しばらくその頃の医療や看護の話題が続くかもしれません。 昨日の記事で、東南アジ…

境界線のあれこれ 27 <世界の看護と日本の看護>

1980年代に東南アジアにある難民キャンプで働いた時に、「看護」というのは世界中で同じではないことを実感しました。 難民キャンプでは現地の看護師も職員として採用されていましたが、彼女たちのプライドと地位の高さに驚きました。 私がインドシナ難民や…

境界線のあれこれ 26  <家族による看護と専門職による看護>

小さなこどもたち、特に女の子の将来なりたい職業ランキングの上位に必ず入ってくる看護師ですが、みなどんなイメージがあってそのイメージはいつ頃からつくられたのでしょうか。 私が小学生だった1960年代には、すでに「将来は看護婦さんになりたい」と答え…

産科診療所から 12 <見守るケアを行うのに適正な人数>

産科診療所に移って、私の年収は総合病院時代の3分の2ぐらいになりました。 休日でも突然の呼び出しがあったり、分娩が重なると24時間ぐらい連続で勤務することも珍しくないぐらい労働条件は過酷になりましたが、それらの時間外手当を含めても減収です。…

産科診療所から 11   <有床診療所の看護管理が確立されていない>

大手書店の医学書コーナーをよく見に行くのですが、私が看護師になった1980年代初頭に比べて驚くほど看護関係の雑誌や書籍が出版されています。 30年前は、たとえばある手術の術前・術後看護の手順をつくるのにもほとんど参考になるような本はありませんでし…

産科診療所から 10 <経営者と一心同体>

小規模の産科診療所とはいえ、前回書いたような設備投資に巨額の資金が必要ですし、看護スタッフ、事務そして厨房や清掃など20人以上のスタッフを雇用していますから人件費が大きくのしかかっています。 これだけのスタッフを路頭に迷わせるわけにはいかない…

ぱちゃぽ

産科診療所関係の記事をすでにいくつか準備できているのですが、今日はまだ競泳モードの気分です。 すみません。 そういえばあまり河童について知らなかったと思い、wikipediaを読んでみました。 「外見」の「肛門は3つあり」は解剖学的にどうなのだろうと…

大雪あれこれ

いやぁ、まさかの2週連続、しかも週末の大雪でした。 一番驚いたのは、よく使っている東横線の脱線事故でした。 軽症のけが人だけで済んで本当になによりです。 写真を見ると、前方の列車の車掌さんと後方の運転手さんは押しつぶされてしまったのではないか…

雪明かりと光

今年は1月半ばには紅梅が咲き始めていたし沈丁花も早く咲きそうだったので、一気に春が来るかと思っていたらまさかの大雪でした。 やはり季節はどこかで帳尻を合わせているかのようですね。 今朝3時ごろにふと目が覚めて外を見たら、外がとても明るくて、普…

産科診療所から 9 <安全にかかるコスト>

世の中には、医師とくに開業医は金持ちだという思いが強いようです。 たしかにそういう方もいらっしゃると思います。 年収の詳細はわからないのですが、総合病院の産科医の場合、あれだけ毎日24時間365日拘束されて母子2人の生命に対する責任を負う過酷な仕…

産科診療所から 8  <情報が伝わりにくく、変革しにくい>

10年前に総合病院から小規模の産科診療所に移ってから、小規模ゆえのスタッフのチームワークのよさやケアを充実させていくことができることに私自身はとても満足しています。 ただ「家庭的な組織」とも言い換えられるそのよさは、やはり諸刃の剣になるデメリ…

産科診療所から 7 <産婦人科診療の一世紀前と半世紀前>

産科診療所の歴史について検索していたら、岡山大学大学院医歯薬学総合研究科産科・婦人科教室の「教室の歴史」という年表に興味深い話がありました。 診療所ではないのですが、日本で近代医学が始ったばかりの大学病院の歴史が書かれています。 明治23年(1…

産科診療所から 6 <有床診療所の歴史>

10年前に初めて有床診療所という入院施設を持つ小規模な医療施設に勤務し始めてから、特に産科診療所についての歴史に関心が出始めたのですが、案外と書かれているものは少ないのです。 これは昨日の記事に書いたように、産科診療所が広がってきた半世紀とい…

産科診療所から 5 <医療施設の歴史>

1980年代に東南アジアのある国へ「海外医療援助」へと意気揚々と出かけた私を打ちのめしたのが、現地での日本人に対する戦争責任への厳しい視線でした。 当時の日本では戦争はまだまだ語り継がれていましたが、戦争という状態がいかに大変かというどちらかと…

境界線のあれこれ 25 <代替療法から近代医療へ>

1990年代に東南アジアで暮らした時に、ヒーラーと呼ばれる民間療法師が人々の健康相談から治療までおこなって生業にしている様子をよく見ました。 地元の友人が体調の悪いときに、ヒーラーに見てもらうというので付いていくこともありました。 普通の、貧し…

10年ひとむかし

先日、たまたまつけたテレビで昭和から平成にかけてのさまざまな商品の進歩についての番組を放送していました。 最後の方を少し見ただけだったのですが、最初から見たかったと残念です。 1960年代はまだ油が高価で日本の食生活の中での摂取量自体が少なく、…

産科診療所から 4 <お産が好き>

以前勤務していた3つの総合病院は、常勤産婦人科医が1人か2人の体制でした。 ですから夜間・休日は泊り込む「当直」は組めず、産科医の先生は「宅直」といってお産や産婦人科救急があると電話で呼び出されていました。 時にはお産や救急受診の多い日があり…

産科診療所から 3 <母体・新生児搬送の今昔>

私が勤務している産婦人科診療所は年間分娩件数が300未満で、緊急帝王切開まで自施設で対応しています。 それでも年間に7〜8件ぐらい、母体搬送あるいは新生児搬送が必要な状況があります。 36週未満で分娩が始ってしまった場合、分娩前に搬送先へ転院して…

産科診療所から 2 <一人医長から複数の産科医の時代へ>

1980年代終りに私が助産師として最初に就職した病院は、常勤の産婦人科医が一人でした。 その先生が休暇を取る時にだけ、もう一人の先生が手伝いに来てくださっていました。 つまり、常時、産婦人科医は一人です。 お産があると電話で呼ばれ、夜中でも徒歩10…

産科診療所から 1 <この20年の遅れは取り戻せるか>

10年前に産科クリニックで働き始めようと決意した時の動機はこちらの記事に書きました。 「決意」と書くほど、病院勤務から診療所に移るのは私にとっては未知の世界へ飛び込むような印象がありました。 ひとつには、それまで総合病院にいた時には必ず小児科…

境界線のあれこれ 24  <一次施設の診療所と助産所>

昨日の記事で産科施設の一次医療機関は何か、次のような説明文を紹介しました。 正常分娩を中心とするローリスクの妊産婦・新生児への対応を行う。 小規模病院や有床、無床診療所と助産所が含まれる。 (「助産師基礎教育テキスト3 『周産期における医療の…

境界線のあれこれ 23 <周産期医療ネットワークシステム>

妊娠・出産の際に何か自身に大きな問題が起こらなければ、普通はあまり産科医療がどのような体制になっているのか関心をもたれないことでしょう。 「親切だった」「食事がおいしかった」「立会いができる」「希望を聞いてくれる」などの口コミが、世の中の産…