2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

アドバンス助産師とは 2 <認証制度の目的は何か>

「アドバンス助産師」と聞いて、まず思い浮かんだのが「助産師と高学歴化」の記事に書いた「上級助産師」でした。 私が助産師になった80年代終わりは、まだ専門学校か短大専攻科に進むしか助産師への道はありませんでした。その後、急速に看護教育の大学化が…

アドバンス助産師とは 1 <「正常なお産は助産師だけで」教>

「アドバンス助産師」について、昨日紹介した日本経済新聞6月7日の記事では以下のように書かれていました。 分娩介助100例以上、妊婦健診200例以上などの経験に加え、新生児蘇生法や分娩監視装置に関する研修の受講が条件。 認証された助産師は「アドバンス…

助産師の世界と妄想 16 <アドバンス助産師って何?>

看護協会の会員なので、毎月「協会ニュース」が送られてきます。 ざっと助産師に関することは目を通していますが、6月号には気になった記事がありました。 ひとつは平成27年度通常総会での協会の「重点政策・重点事業」です。「少子超高齢化社会に対応する…

水のあれこれ 19 <風浪とうねり>

前回の記事で「高波」の経験を書きましたが、そういえば「高波」ってどれくらいの波のことを指すのだろうと気になり検索してみましたが、でてくるのは「高波(駆逐艦)」「清酒 高波」で、定義らしいものは見つかりませんでした。 気象庁のホームページの「…

水のあれこれ 18 <死を覚悟した高波>

海を眺めるのが好きです。 といっても、今は海岸まで出かける時間がなかなかないのですが。 80年代から90年代にかけて東南アジアを行き来していた時には、働いていた難民キャンプもいつも行く市場も、海岸沿いにあったので毎日海を見ることができました。 ま…

ゼニアオイ

銭葵(ゼニアオイ)の花を初めて見たのは3〜4年ほど前、父がまだグループホームで生活していた頃でした。 面会に行く途中の道ばたで見つけました。 子どもの頃にはその地域では見たことがないので、とても珍しい花なのではないかと写真をとりました。 そし…

難民についてのあれこれ 4 <経済難民>

こちらの記事で紹介したJBPressの「欧州移民喜々の冷たい現実」(2015年4月22日)という記事に「移民」「移住者」「難民」「不法移民」という言葉が混在していて、釈然としないと感じたことを書きました。 そして、もしかしたら「経済難民」という言葉をあえ…

難民についてのあれこれ 3 <「難民」という言葉について>

私が初めて「難民」という言葉に出会ったのはいつだろうと思い起こしてみるのですが、記憶がとてもあいまいです。 たぶん、としかいいようがないのですが、1970年代半ばの高校時代の歴史の授業では耳にしていないのではないかと思います。 1970年代半ばには…

びわ

この季節、存在感があるのがびわの実です。 あちこちの庭にびわの美がたわわに実っていて、淡い橙色が鮮やかできれいですね。 でも本当は果実の美しさよりも、「あーーーもったいない。あの家の人は誰も取って食べないのかな」という無念の思いのほうが強い…

トイレについてのあれこれ 2 <トイレに入るのにチップが必要>

トイレの話が続きます。 こういう時に「尾籠な話が続きますが」というのが日本語なのかもしれません。 「尾籠な」には「不潔な」という意味があるのですが、看護ケアの中では排泄は「基本的欲求」の大事なひとつですし、日々、新生児をみていると幼児期にか…

トイレについてのあれこれ 1 <公共のトイレの今昔>

駅や商業施設のトイレは、本当にどこも清潔で使いやすくなりました。 以前からデパートなどはトイレの個室というよりも、まるで高級ホテルの室内かと思うほどでしたが、最近では公園など公共施設のトイレだけでなく、ひっきりなしに多くの人が利用する駅のト…

行間を読む 49 <「中国残留孤児の父の下、過酷な半生を乗り越えた」>

6月初めにNHKの「心を込めて、当たり前の日常をビル清掃・新津春子」という番組を見ました。 番組の宣伝に書かれていた「中国残留孤児の父の下、過酷な半生を乗り越えたたくましい朗らかさ」という表現に、心が疼き戸惑いを感じたのでした。 1990年代初頭に…

米のあれこれ 5 <米粉とさまざまな調理法>

子どもの頃、1960年代から70年代初頭は、まだ今のように市販のお菓子を手軽に買える時代ではありませんでした。 家での手作りのお菓子が多かったと記憶しています。 冬には祖父がついたお餅が送られてきました。現在のような宅急便はなく、郵便の荷物として…

米のあれこれ 4 <1993年米騒動>

1993年、日本で米騒動があった。 この記憶が残っている人はどれくらいいらっしゃることでしょう。 私は東南アジアのエスニック料理の写真を見るたびに、タイ米が緊急輸入された記憶が蘇ってくるのですが、あれは1993年でした。 ただ「1993年米騒動」とか「平…

米のあれこれ 3 <もち米や黒米>

最近は日本でも、一昨日の記事の東南アジアの市場のようにさまざまな銘柄のお米を自由に選べるようになりました。 それは主食として食べるいわゆる「うるち米」の種類の多さですが、東南アジアで暮らしてみるとそれ以外の米の種類の多さや用途の多さに、同じ…

水のあれこれ 17 <「若く、まだ自分が何者かわからない」>

昨日の毎日新聞記事に、先日のジャパンオープンに出場したアメリカのアンソニー・アービン選手の記事がありました。 海外の競泳選手の名前は覚えきらないのですが、グランド・ハケット選手やスクーマン選手のような達人級の選手だと記憶していました。 競泳 …

米のあれこれ 2 <こんなに米の種類があるのか>

1980年代半ばに、東南アジアで暮らし始めた頃、当時の日本ではまだ自主流通米は限られた人が買う高級なお米という記憶があります。 ご飯を美味しく料理するためには米の銘柄という選択肢はなくて、「米の研ぎ方」「炊くための火加減」といったコツぐらいでし…

米のあれこれ 1  <お米の記憶>

祖父が水田を持っていたおかげで、私は子どもの頃から美味しいお米に恵まれていました。 といっても今でもそれほど味覚が鋭いわけでもグルメでもなく、「おじいちゃんが作ったお米」「おじいちゃんから送られた新米」というだけで世界一おいしいお米だと感じ…

思い込みと妄想 21 <○○をすると4歳の時の運動能力と社会性評価が高まる>

ここ2〜3日、はてなの検索でこのブログにいらっしゃる方が増えて、私なにかやらかしたのだろうかと心配したのですが、どうやら「へその緒を切るのを2.3分遅らせよ、4歳のときの運動能力と社会性評価が高まると確認」という記事へのコメントで「臍帯を切る…

稲の香り

花が少し少なくなってきた季節ですが、父の面会への道すがら、最近では夏の匂いを楽しんでいます。 なんといっても稲の香りです。 4月の終わりごろに田植えをしていたので、まだ十数センチぐらいなのですが、田んぼのそばを通るとなんともよい香りがします。…

記憶についてのあれこれ 79 <魚を食べられるということ>

少し前に観た番組で、マグロの内蔵の料理がありました。 あ、懐かしいと思って、また回想の世界へ。 私が初めてマグロの内蔵を食べたのは1990年代に1年間、ホームステイをさせてもらっていた東南アジアのある街でした。 <マグロもエビもやめてみた>に書い…

小金がまわる 5 <年金制度の始まりを支えた世代>

Wikipediaの年金を読むと、案外その歴史はまだ新しいことに驚きます。 1954年(昭和34年)11月1日の「国民年金法」において、「養老年金」は一定の年齢に達した者の中で、一定の所得以下の者に限定して支給するものであった。 1961年(昭和36年)4月から国民…

記憶についてのあれこれ 78 <父と年金制度の移り変わり>

私が社会人になった1980年代初めの頃、年金制度や健康保険制度はすでに当たり前の感覚でした。 それはもうずっと以前、たとえば数十年ぐらい前からある社会制度だと思い込んでいました。 だから父も「年金だけは続けたほうがいい」と言ったのだと。出産と医…

記憶についてのあれこれ 77 <「年金だけは続けた方がいい」>

父は私の日常生活や人生についてあれこれと言うことがない人でした。 その父から言われた数少ない人生のアドバイスとして「イデオロギーに入り込むな」と、もうひとつ「年金だけは続けたほうがいい」があります。 ちょうど私が自分で給料をもらうようになっ…

あの山は何と言うのだろう

父の面会に行く時に、車窓から山がたくさん見えます。 子どもの頃はこんなに山が近くにあって毎日見ていたのだと、感慨深いものがあります。 そういえば、都内からその地域に父の転勤で引っ越すことが決まった時に、当時幼稚園児だった私が描いた絵がありま…

タチアオイ

ノビルやツクシは、その成長過程を見てみたいとおもいつつ、いつの間にか伸びていて「また今年もやられた」と無念さを繰り返しています。 もっとダイナミックな成長をする植物のひとつにタチアオイがあります。 5月から6月にかけて紫陽花などに気を取られて…