医療

看護基礎教育の大学化 16 <看護学をめぐる時代の移り変わり>

1970年代終わりの頃に看護学校に入学しましたが、前回の記事に書いたように看護学校の教員は実践の看護そのものを教えてくれていました。 最近こうしてブログの中で半世紀ほどの医療や看護の歴史を行ったりきたりして考えていて、あらためて私の学生時代とい…

看護基礎教育の大学化 15  <看護を教える人>

30年ほど前、私が入学した看護学校は病院に付属した学校でした。 その病院で働いていた方が教員として2年、3年と学生を教え、そして臨床に戻っていくシステムでした。 まだ看護のかの字も身についていないような学生にとって、教員というのはとてもベテラン…

看護基礎教育の大学化 14 <大学のメリットとは>

少し間があきましたが、このあたりから書いてきた看護基礎教育の大学化についてまたしばらく続きます。 看護大学であれ、看護専門学校であれ、最終的には国家試験に合格することがまず第一の目標ですから、その教育の内容の基本はそれほど変わらないはずです…

行間を読む 12  <看護実践の一回性>

一見「看護の本質」が科学的手法で理論化されているようで、かえって遠ざけてしまっているのではないかということを前回の記事で書きました。 たとえば「フリースタイル分娩」「アクティブバース」が、ある産婦さんの快適性によかったことは事実でしょう。 …

行間を読む 11 <「看護論は科学でなければならない」>

少し偉そうにですが、看護にとって広い視野とは何かをこちらとこちらに書きました。 実は、薄井担子(ひろこ)氏の「科学的看護論」(医学書院)には、医療の一回性に通じる看護実践の一回性について書かれていました。 私が購入したのは2011年版ですが、197…

行間を読む 10 <「広い視野」とは何か・・・全体をとらえる>

看護基礎教育の大学化の流れのなかで、よく目にする「広い視野」で学ぶという言葉についてもう少し考えてみようと思います。 たとえば、大学化の流れが一気に進み出した1991年に開かれたシンポジウムの記録の「なぜ四年制大学が必要なのか」の最初のページに…

行間を読む 9 <「広い視野」とは何か・・・一回性>

「産科崩壊」を機に医療系のブログを読むようになりました。 そのひとつが「日々是よろずER診療」でした。 福島県立大野病院の産科医逮捕、そして大淀病院や墨東病院の「たらいまわし」報道などからこのブログに出会ったのでした。 救急専門医であった医師が…

看護基礎教育の大学化 13 <「質の高い看護」とケアの独善性>

いつ頃からでしょうか、看護の世界で「看護観」という言葉が広がったのは。 「あなたの看護観は何?」と問われて、どれくらいの看護学生や新人看護師が追い詰められて涙していることでしょうか。 臨床で30年以上働いてきた私だって言葉にならないようなもの…

看護基礎教育の大学化 12 <看護職にとって「高い人間性」「広い視野」とは>

日本の看護教育の大学化の必要性についてすっきりと理由が見えてこないのは、「大学化」が目的になってしまい、社会や医療の変化に合わせた看護の方向性を大学化の理由にむりやりこじつけているように見えてしまうのです。 また、臨床実践、研究そして教育の…

看護基礎教育の大学化 11 <「なぜ4年制大学化が必要なのか」の矛盾>

2008年10月21日開催の日本看護協会プレスセミナーでの「なぜ4年制大学化が必要なのか 今こそ看護基礎教育改革を」という資料を、国民医療研究所(現日本医療総合研究所)のHPで読むことができます。 このあたりの記事から書いた「助産師教育ニュースレター」…

看護基礎教育の大学化 10 <3年から4年教育へのからくり>

1980年代から1990年代というのは、医療がますます高度化する時代でした。 たとえば産婦人科医が子宮を、小児科医にとっては胎児がブラックボックスであったのが1970年代まで続いていたことはこちらの記事で書きました。 1980年代初頭にICU(集中治療室)や人…

看護基礎教育の大学化 9 <「スキルミクス」と「看護資格一本化」の矛盾>

こちらの記事で、看護師、看護助手などを組み合わせる「スキルミクス」について少し書きました。 実は私自身、こういう言葉がすでに十数年前から日本の看護の方向性を決める人たちの間で使われていることを最近まで気づいていませんでした。 スキルミクスに…

看護基礎教育の大学化 8 <看護の方向性を誰が決めているのか>

日本の助産師の方向性がどこで決められているのかがよくわからないように、日本の看護師、あるいは看護そのものの方向性がどこでどのように決まっていくのかよくわかりません。 この看護基礎教育の大学化も、どこでどのように進められているのでしょうか。 …

めまぐるしく変化する医療体制と看護の方向性

私は2000年代半ばに総合病院から診療所に移ったのですが、今まで書いてきたように母の入院をきっかけに、わずか数年で医療従事者でありながら病院について浦島太郎になってしまったと感じるほど変化しています。 <2000年ごろの総合病院> 多くの病院は、診…

「在宅は幸せ」というのは価値観のひとつにすぎない

母は最終的に介護付有料老人ホームに生活の場を移しました。 自宅に戻りたいという気持ちがあることも痛いほどわかっていました。ですから母自身がどうしたいのか尋ねたのですが、最後まで母は「どうしたらよいかわからない」と決心を保留にしていました。 …

入院直後から「在宅か、施設か」の選択を迫られる

半身麻痺という予想もしない結果が出てしまいましたが、心臓手術は成功したようで母のひどい不整脈や疲労感、あるいは息切れ・動悸はよくなりました。 こうした症状が強かった時期の「死への不安感」から母は解放されたようで、手術を受けてよかったと思いま…

高齢者が「急性期病院」に入院するということ

しばらく看護教育の話が続いているので、医療関係者ではない方々にはあまりよくわからない話かもしれません。 かくいう私も、数年前に身内が急性期病院に入院しなければ、この10年で医療が・・・というより総合病院がどれだけ変化したのか考える機会はなかっ…

看護基礎教育の大学化 7 <卒後教育の場はどうなるのか>

前回の記事で紹介した日本の看護大学在学中にアメリカ留学をした方は、その後どのような道を歩まれたのでしょうか。 元気に、臨床で働いていてくださるとうれしいですね。 この方が学生だった2000年前後は日本でもすでに入院期間短縮化、そして重症度別に病…

看護基礎教育の大学化 6 <スキルミクスと「質の高い看護」>

前回の記事で紹介した「看護師不足の世界の動向」の中に、「スキルミックス」という言葉が出てきます。 「看護師の数の確保とスキルミックスはどんな関係にありますか?」という質問に以下のように答えています。 たとえば、93年にはカナダで医療費削減政策…

看護基礎教育の大学化 5  <世界的な看護師不足の裏にあるもの>

前回の記事に書いたアメリカの看護師不足と海外からの補充は世界的に起きているようです。 むしろ、日本語の習得がネックになって思うように進まなかった日本が例外的なのかもしれません。 10年ほど前のものですが、「看護師不足の世界的な傾向」というイ…

看護基礎教育の大学化 4  <アメリカの医療を支える海外からの医療従事者>

1980年代に東南アジアで一緒に働いた現地の看護スタッフがとてもプライドが高い職種であることは、こちらの記事やこちらの記事に書きました。 貧困層が国民の9割を占める国々で、女性が大学、しかも4年間の教育を受けることがどれだけすごいことかは想像がつ…

看護基礎教育の大学化 3 <看護職種の2極化と、無資格者の導入>

前回の記事に引き続いて、1990年代後半のアメリカの医療と看護教育を視察したことが書かれている「アメリカにおける医療の変革に対する大学看護教育の現状と課題」を参考に考えてみようと思います。 <無資格者の導入> その論文では以下のように書かれてい…

看護基礎教育の大学化 2 <アメリカの医療と看護の現状>

前回の記事で書いたように、看護師が入院期間短縮を目的にしたクリニカルパスを作り出すようなアメリカの医療はどのような状況なのでしょうか? 2007年にマイケル・ムーア監督の映画「シッコ」が公開されました。 すぐに私は観に行きましたが、wikipediaの「…

看護基礎教育の大学化 1  <引き返すなら今かもしれない>

「学歴よりも専門職がさらに経験を深めていくための場を」までで、准看護師さんのことや看護教育の大学化について書いてきました。 正直なところ、私自身も「これからの看護師は大学教育に移っていくのか」ぐらいの認識で、あまりこのことを深く考えたことも…

境界線のあれこれ 41 <学歴よりも専門職がさらに経験を深めていくための場を>

1990年頃を境にして、これからの看護職も大卒の学歴が必要になるという「雰囲気」が強まったように感じます。 当時、一緒に働いていた20代、30代の同僚の中にも大学卒の資格をとるために、大学に入ることを決意した人もいました。 大学といっても、看護学部…

境界線のあれこれ 40 <専門学校が学歴と認められ始めた時代>

私は高校卒業後に看護専門学校と助産学校を卒業しましたが、なぜだかつい最近までこちらの記事に書いたように「私の最終学歴は高校」だと思い込んでいました。 「専門学校」は学歴には含まれないものと思っていたのです。 今までは教育制度の歴史もほとんど…

境界線のあれこれ 39 <専門学校教育から大学教育へ>

1950(昭和25)年代頃は中学卒で准看護婦になることが看護資格を得るのに一般的だった時代から、高校進学率が上昇して高卒後3年の専門学校教育を受けて国家資格を持った看護師が増えていきました。 こうした資格と学歴の変化で、それまでの世代が置き換わっ…

境界線のあれこれ 38  <看護職の資格の移り変わりと女性の学歴>

前回の記事で書いたように、産婆から助産師の資格を得るために必要な教育は、この1世紀ほどで小学校卒程度から大学院卒の助産師が存在するほど大きく変遷してきたことになります。 実際に、女性にとっての教育や学歴はそれぞれどのような時代だったのでしょ…

境界線のあれこれ 37 <旧資格から新資格へ>

前回の記事で、日本が近代的な医療システムを取り込んでからたかだか150年であることと、その歴史が書かれた「日本病院史」(福永肇氏、PILAR RESS、2014年)を紹介しました。 人の歴史からみればわずかの150年ですが、そのあいだに医療内での資格は旧資格か…

境界線のあれこれ 36 <「病院」とは何をさしているのか>

今、あたりまえのようにある社会のシステムはいつから始ったのか、そんな興味がつきないこの頃です。 医療や看護の歴史をもう少し知りたいと思っている時に、ちょうどこの本が出版されていました。 「日本病院史」 福永 肇著、 PILAR PRESS、2014年1月14日 …