新生児
前回のWHOの「母乳育児成功のための10か条」の中の「4.母親が分娩後、30分以内に母乳を飲ませるように援助をすること」を勧めていくために、さらに「援助方法」がつくられていきました。 <科学的のようで科学的でないような・・・> 「母乳育児支援スタン…
WHOの「母乳育児を成功させるための10か条」には以下の項目があります。 4.母親が分娩後、30分以内に母乳を飲ませられるように援助すること たしかに1990年代初め頃の産科施設では、まだ分娩室で赤ちゃんを抱っこしたりおっぱいを吸わせてみることをしてい…
少し間があいてしまいましたが、「自律授乳のあれこれ」の続きです。 助産師が新生児を継続的に観察する時代に入ったのは1960年代であることを考えると、初産と経産の会陰裂傷の頻度さえまだ自分達の経験をきちんと数値化できずに、前回の記事のように「玄米…
「我が国の妊娠・分娩の危険性は?」の4ページ目にある「我が国の分娩場所の推移」のグラフをみると、1960年に自宅と病院での分娩が半々だったものが急速に十年間で病院での出産に移行し、1970年から1975年でほとんどの出産が病院で行われるようになりました…
1960年代の出産の医療化の時代を境に、栄養と衛生状態の改善そして小児医療の発展によって新生児死亡率・乳児死亡率が劇的に改善されました。 1970年代終わりから80年代初めに看護学生だった私さえも、自分が生まれた1960年代の新生児死亡率や乳児死亡率の高…
私が生まれた1960年代初め頃は、半分の人が自宅で生まれていました。 その自宅分娩も、医療を少し学んだ助産婦がまったく関わらなかったお産もまだあった時代でした。 たとえ、助産婦が産後数日ぐらい訪問したとしても、せいぜい沐浴をしながら新生児を観察…
「小児は大人を小さくした存在ではない」ということは、小児医療や小児看護では最初に認識させられることのひとつです。 ただ単に、大人の体格を縮小コピーした存在ではないということです。 こちらの記事で、ナイチンゲールの「病気の子どもの生命を絶えさ…
「欲しがるときに欲しいだけ」というのが「自律授乳」であったり、あるいは「赤ちゃん主導の授乳」とされるのであれば、「赤ちゃんが欲しい(飲みたい)わけでなない」状況があることを認めることも「自律」や「主導」ではないかと思います。 ところが、すべ…
「自律授乳」とはどのような定義なのか探してもみつからないのですが、それらしい考え方が「Q&Aで学ぶお母さんと赤ちゃんの栄養」(「周産期医学」2012 Vol.42増刊号、東京医学社)の中に書かれていました、 しばらくその内容について考えてみたいと思います…
新生児医療や母乳に関する本をあれこれ探してみたのですが、「自律授乳とはなにか」定義らしいものが明確にされているのは見つかりませんでした。 いえ、「自律授乳」について書かれたものはもちろんあるのですが、私にはとても定義されたものとは思えないも…
1980年代終り頃の助産師向けの教科書には書かれていなかった「自律授乳」という言葉は、卒業したあと自然と耳に入りました。 助産婦学校の実習は大学病院の産科でしたから、当時の大学病院で母子同室はおろか自律授乳を取り入れている施設は皆無といってよい…
哺乳瓶についてはまた不定期に記事が続きますが、「ミルクも『自律授乳』が基本といいつつ」で書いたように、「自律授乳」という言葉についてしばらく考えてみようと思います。 <「自律授乳」が使われるようになる直前の時代> 私が看護学生だった1970年代…
身長や胸囲は日常的に変化するものではありませんが、腹囲に関しては一日の中でもかなり変動するのではないかと思います。 たとえば食後であれば腹囲はそれほど変化なかったとしても、もう少し上の上腹部がぷっくりと出っ張っていることは感じると思いますし…
新生児や乳児のゲップや吐く、あるいはそりかえるなども異常ではなく腸蠕動に伴うもので、「溢れてくる(溢乳)」胃結腸反射とのタイミングで説明できるのではないかということを前回の記事まで書いてきました。 それでもまだ、不安にさせる表現が残っていま…
年の瀬も押し詰まったのに、毎日、新生児の『吐く』話題ですみません。 新生児は「吐いている」という表現を使うのではなく、「胃結腸反射の大きな腸の動きの時に、飲んだものが口まで溢れて来る(溢乳)」というように表現を変えてみたら、お母さん達を不安…
たしかに新生児期にも、異常な病的な「吐く」という表現が必要なこともあります。 たとえばこちらの記事に書いた消化管閉塞の場合や、嘔吐(おうと)の<小児科領域の嘔吐>に書かれている、生後2〜3週間頃から目だってくる肥厚性幽門狭窄症に伴う噴水状の…
「30分ぐらい背中をさすっているのですが、ゲップがでません」 お母さんたちの悩みです。 前回引用した「周産期相談318 お母さんの回答マニュアル」の「よく吐きますが?」の回答でも次のように書かれています。 赤ちゃんはよく吐きますが、機嫌が良くお乳を…
お産が終わってほっとして、しばらくしてから赤ちゃんと一緒に過ごし始めるのはお母さんたちにとって緊張もしますが、本当にうれしいものでしょう。 出産直後には赤ちゃんを抱っこどころか顔をみるのも精一杯なぐらい大変だったお母さんたちも、赤ちゃんを連…
出生直後の新生児がゲボッと「吐いた」場合にはこちらの記事に書いたように、まず看護スタッフはそれは病的な嘔吐(おうと)なのかそれとも生理的な「初期嘔吐」なのか観察することでしょう。 そして、生後1日2日ぐらいでそこそこに母乳やミルクを飲めるよう…
前回までの記事に書いたように、助産師になったばかりの頃は新生児の世話についてはそれなりにできていましたが、「異常」に対しては不安がたくさんありました。 「異常を見逃しているのではないか」と。 ですから、少し新生児の呼吸が速いと「多呼吸か?感…
前回の記事に書きましたが、助産師になって働き始めるとそれなりに新生児の世話はできるようになりました。 でもしばらくは、こちらの記事に書いたような状態でした。 まだその頃の私は、「泣けばおっぱい」「泣けば授乳」「泣けばおなかがすいた」と新生児…
「過飲症候群」について考える前に、新生児や乳児はどれだけ理解されているのだろうということを少し考えてみようと思います。 私が初めて新生児に接したのは、今から三十数年前の看護学生の時でした。 哺乳瓶でミルクをあげさせてもらった日の記憶がうっす…
「哺乳瓶のトリビア」では、日本でも1830年代の江戸時代末には、哺乳瓶の原型に近いものが使われていたことを紹介しました。 今回は、アメリカで現在の哺乳瓶の原型を作った人について書かれたものがありましたので紹介します。 「世紀転換期米国の乳児哺育…
「母乳育児支援スタンダード」(日本ラクテーションコンサルタント協会、医学書院、2009年)では、途上国で粉ミルクが広がった様子と理由が以下のように書かれています。 1960年代のアフリカは独立したばかりの新興国家が多く、政府の機関は体制が貧弱なため…
1970年代に医師の問題提起によって始まった途上国における粉ミルク販売への批判から40年ほど過ぎましたが、その間に医療の中でも大きな変化がありました。 それは1990年代に広がった「根拠に基づいた医療」です。 私にはとてもこの言葉の全体像を説明できる…
1970年代以降、どのような理由で途上国で粉ミルクを使うことが問題とされてきたのでしょうか? wikipediaのネスレ・ボイコットに、途上国での粉ミルクの「問題」が以下のようにまとめられています。 ●人工ミルクの使用により、本来母乳が十分に出る母親の母…
「ネスレ・ボイコットまでの経緯ー医学的議論はあったのか」で紹介した「母乳推進運動と人工乳の販売促進を規制する運動の歴史」年表では、1938年にシシリー・ウィリアムズ氏が加糖練乳について「ミルクと殺人」と講演をしたあと、一小児科医による粉ミルク批…
1977年にはじまったネスレ・ボイコット、それは多国籍アグリビジネスの粉ミルクを買わない、買わせない運動といってもよいかもしれません。 前回の記事で紹介した「世界の母乳育児推進と人工乳の販売促進(マーケティング)を規制する運動の歴史」年表からも…
前回の記事で紹介した「母乳育児スタンダード」(NPO法人日本ラクテーションコンサルタント、医学書院、2009年)の「世界の母乳育児推進と人工乳の販売促進(マーケティング)を規制する運動の歴史」という表を、今回はもう少し細かく見ていこうと思います。…
「母乳育児支援スタンダード」(NPO法人日本ラクテーション・コンサルタント協会、医学書院、2009年)で、小児科医シシリー・ウィリアムズ氏について書かれた部分があります。 1939年、シンガポールで活動していた小児科医Cicely D.Williamsは、人工乳(特に…