思い込みと妄想 35 <呼吸についての妄想>

ブログへの検索ワードに「呼吸の始まり」がありました。
「呼吸の始まりと啼泣(ていきゅう)」という記事を書いたので、それを読んでくださったのかもしれません。


その言葉から逆に検索してみて、「ああ・・・」とうなだれました。
新生児の第一呼吸でさえ、代替療法になり、そしてセミナーや資格になっていくのかと。


そのサイトには、人が生まれた直後の呼吸について独自の考え方が記されていました。
たとえば「自己呼吸の始まり」はこんな感じ。

胎児は胎盤を通して呼吸をしています。胎盤から送り込まれてくる新しい血液を循環させ、母親の酸素と栄養素を受け取ります。そして古くなったガスを再び胎盤を通じて手放していきます。
胎児は十一ヶ月あまり、母親の呼吸とともに過ごすこととなりますが、その仲介役が胎盤であり、それを結びつけているのがへその緒なのです。

ここまではそれほど間違いでもないのですが、次の箇所から少しずつ「思い込み」が入り始める印象があります。


このへその緒を切る瞬間から胎盤を通じた母親からの酸素経路を断つことが始まります、と同時に初めて我々の自分の肺を使った新しい酸素経路が開かれます。
その瞬間が「おぎゃあ」という産声です。これが我々の日々の呼吸の始まりです。


「酸素経路」という言葉で何を表現したいのかはわからないのですが、通常、へその緒を切る前にはすでに、「おぎゃあ」という声(第一啼泣)とともに肺呼吸が始まっています。



ですから、この書き方だとちょっと順番がおかしいですねと誰かがアドバイスして、書いた方も理解してくださればそれで終わる話です。




<へその緒を切るタイミングに意味を持たせる>



ところが、どうもこの「へその緒」とその中の血流というのは、人を情緒的にさせるようです。
何か「神秘」を感じさせ、あるいは文学的な表現をしたくなるものなのかもしれませんね。

へその緒を切る儀式によって母親から独立を果たすことが、この一声で記されるわけです。
実は、この『おぎゃあ』はこれまで元気な赤ちゃんの誕生の証として扱われてきましたが、へその緒を切るタイミングによっては、熱く耐えがたい体験となります。そのことを真っ赤な顔をして、深いしわを刻みながら苦痛の表情を浮かべる顔が物語っていたのですが、残念ながら出産の歴史はその泣き声の真実を誤解してきたのです。
この場合、その体験は初めての自己呼吸と痛みや怖れの感情とを結びつけてしまう可能性があります。



もしかしてパニックを訴える叫び声をあげていたかもしれないというのに。


たしかに出生直後の新生児の泣き声と表情は、見る人によっていろいろな受け止め方があることでしょう。


そして独自の受け止め方を持つ方が表れるのも気持ちの問題ですし、新生児の感情まではわからないので「それは違うよ」とも言えないところがもどかしいところです。


ただ、その考えを人に伝えて信じてもらおうとし始めると・・・。

へその緒を切るタイミングは出産のプロセスによって異なります。
しかし、多くのお医者さんは『無酸素症を避けるため、一刻も早い対応が必要だ』との理由から、出産直後にへその緒を切ってしまいます。これが現状でしょう。
その結果、生まれたばかりの赤ん坊は初めての大量の酸素の熱い洗礼を受けます。それでも『おぎゃあ』と泣かない場合は、赤ん坊の脚を刺激して泣かせる必要があります。必要とあらば、命にかかわることですから叩かれます。昔であれば足首をつかんで逆さづりにして背中を叩きます。ここまでのことはなくとも、肺が未熟だと判断される早産児や仮死状態で生まれたブルーベビー(血の気のない真っ青な赤ん坊)帝王切開で生まれた赤ん坊は、人為的に自己呼吸が施されることとなります。
なかでも帝王切開で生まれる子は産道を通る経験をしていないために、肺を刺激するプロセスが抜け落ちることとなり、自己呼吸のための準備期間なくしてへその緒が切られることとなります。


赤字で強調した部分は、私が働いている周産期医療の中では使われることのない表現なので「何を言っているのだろう」と思った箇所です。



臍帯をいつ切るかについてはさまざまな状況でのリスクを考えながら研究や議論が続いています。臍帯拍動を待つことがよいという単純な話ではない時代になりました。


また、おそらくこの方は帝王切開で生まれる瞬間を実際に見たことがないのではないかと思いますが、よほど超緊急帝王切開でなければ、お腹から生まれた赤ちゃんも普通に第一呼吸が始まり、とくに蘇生なども必要がないことが多いです。


そのことも誰か周囲の人が教えてあげたらよかったのに。



<個人的体験談が思い込みを強くする>



そして個人的体験談が続きます。

何をかくそうこの私も1.800グラムで早産し、未熟児のために早期臍帯切断と気道を確保するための器具を入れられ、初めての呼吸をコントロールされたグループに属しています。
そして、私の娘は前述のような体験をしていないケースです。
彼女は、海老名市の片桐助産院で水中分娩で生まれました。
お湯から掲げた後に産声をあげましたが、思いのほか激しく泣かなずにすぐに泣き止みました。


水中分娩についてアメリ産婦人科学会から「実験的な手法であり、結論は『Don't do it.(行うな)』」と危険性を勧告されています。
水中で生まれることも、新生児にとっては「初めての呼吸をコントロールされた」状況といえるでしょう。しかもリスクの高い方法で。


「臍帯を切るタイミングの自然と不自然」に書いたような考え方にたどり着くうちに、「酸素経路」という言葉を思いつかれたのかもしれません。


ああ、周囲の誰かがその方向の間違いを知らせてあげたら、「呼吸の始まり」からセミナーを開いたり、資格商売を始めたりしなかったでしょうに。
各地の開業助産師とつながりを持ち、助産院を拠点にセミナーを開いているようです。




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気持ちの問題 14 <なぜ代替療法が良くみえるのか>

紫雲膏のことをつらつらと考えていたら、ちょうど「カンボジアを癒す伝統医療、再び注目を集める」(朝日新聞デジタル、apital、2015年12月3日)という記事が目に入りました。


 祈りや薬草で病気を癒す伝統医療師。内戦が続いたカンボジアでは。ポル・ポト派の虐殺で深刻な医師不足になったときも、人々の健康を支えた。経済発展を続ける今、貧富の差を埋める身近な医療として再び注目され始めている。伝統医療の復興に日本人も一役買っている。


祈り・薬草 王朝時代からの知識


 薄暗い部屋に、線香の煙が漂う。金色に飾られた祭壇に、クモの巣が張っている。ノウ・ソフェアさん(32)は祭壇に手を合わせ、目をつむり、祈りを捧げた。首筋に汗がにじむ。2度、深く息をはいて振り返ると、記者に向かって「特に悪い霊はついていません」と言った。


 プノンペンから西へ車で約2時間、水田が広がるコンポンスプー州ドムロンキチャア村。最寄りの診療所まで7キロあるという集落だ。ノウさんは「クル・クメール」と呼ばれる伝統医療師。祈祷(きとう)師の能力もあると村人らに頼られている。16歳のとき、「精霊が夢に現れ、伝統医療師となって人々を助けよと告げられた」と言う。


 以降、祈祷や伝統薬の知識を学び、村人らに「除霊」や伝統薬を使った治療を施してきた。患者を診て、悪霊を感じたら祈祷で除霊し、体の不調に応じ、国内2千種以上とされる薬用植物の葉や根から煎じた伝統薬を施す。


 この日、知人を連れて人生相談にやってきたお年寄りの女性は「病院で治らなかった頭痛が治った」と話した。「足の痛みが消えた」「うつ症状がやわらいだ」という人、電話で海外から相談してくる人もいる。症状によるが、1回の診察で150〜300円程度かかるのが一般的だ。


残念ながら、購読登録していないので私が読めるのはここまで。


以前も似たような記事朝日新聞に掲載されていました。


「親身に相談に乗ってくれる伝統療法師」への強いあこがれのようなものが根強いのでしょうか、一部の人たちには。
そしてそれはなぜなのでしょうか。


<ノンフィクションのようでノンフィクションではないような>


カンボジアには行ったことがないし、カンボジアの医療事情は全く知りません。


でもまず、冒頭の一文がひっかかりました。

内戦が続いたカンボジアでは、ポル・ポト派の虐殺で深刻な医師不足になったときも、人々の健康を支えた


本当に当時、伝統療法師が「人々の健康を支えた」のでしょうか?
であるとすれば、「健康」とは何だったのでしょうか?


Wikipediaポル・ポトの「全権掌握」にこのように書かれています。

 プノンペンは飢餓と疾病、農村への強制移住によってゴーストシテイとなり、医者や教師を含む知識階級は見つかれば「再教育」という名目で呼び出され殺害された。


私が1980年代半ばにインドシナ難民キャンプで働いていた時は、ベトナムカンボジアを制圧しポル・ポト派がジャングルに逃げ込んでから3〜4年経っていましたが、まだまだポル・ポトの影響が強いようでした。


少しずつ、1970年代のカンボジア国内の大虐殺や強制移住などの事実がまとめられて、書籍や映像で見聞きする機会が増えました。
難民キャンプにはカンボジアから脱出して来た方々もいたので、それらの資料を努めて読もうとしたのですが、あまりの壮絶さに吐気と動悸をおさえながら少しずつしか読めませんでした。


インドシナ3国の難民の方たちでも、ベトナム難民の方々は国外脱出までの話を伺う機会が多かったのですが、カンボジア難民の方は親しくなってもほとんど何があったのかを自ら話してくれることはありませんでした。


Wikipediaの「ポル・ポト」の中に、「過酷な労働と、飢餓、マラリアの蔓延などにより多くの者が生命を落とした」とあります。


ポル・ポト以前のカンボジアでは、フランスに留学して医師になりカンボジアの医療を築いた人たちが多かったのではないかと思いますが、そういう「知識層」が真っ先に弾圧され、医療制度は壊滅したのでした。


国内に残された人たちには、疾病を予防する手段もなければ、健康を維持するだけの食糧や安全な生活はなかったことでしょう。


国外に脱出して来たこうした難民の人たちには適切な食糧配給とともに、まず行うのが子どもたちへの予防接種、結核治療、性病治療そしてらい病治療でした。



国内に残された人たちは、どれだけ小児感染症結核で亡くなったり、障害を負ったことでしょうか。


その当時の記憶があるだけに、私にはとても「ポル・ポト派の虐殺で深刻な医師不足になったときも、人々の健康を支えた」とは思えないのです。


もし支えたとしたら、それは私たちには想像もつかないほどの絶望の中だったからではないでしょうか。


私はこうした医療記事を読むたびに、伝統療法とか代替療法へのノスタルジーのような感覚に戸惑うのです。
そしてノンフィクションのようでノンフィクションでないものの背景に何があるのか、気になっています。





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赤ちゃんに優しいとは 7 <どこまで検証されているかを整理する>

前回の記事で、自宅分娩を介助した助産師の臍の対応方法が書かれた部分を紹介しました。
その部分を再掲します。


臍帯の処置は、清潔保持と乾燥のみで、それ以外は何も行わなかった。日齢7の7時42分に脱落した。助産師の助言で、紫雲膏(漢方系の軟膏)を1回塗布した。これは赤紫色をしているが、この赤紫色は紫根(シコン)という植物の根の色で、炎症を和らげ、皮膚の再生を助ける作用がある。華岡青洲が開発したのだそうである。塗布後は、衣類が汚れないようにおむつ(布)で覆った。


以前勤務していた病院で、産婦さんの痔に紫雲膏を処方する先生がいらっしゃって、初めてこの軟膏を知りました。
Wikipediaには「抗炎症、肉芽形成促進作用、抗菌作用、抗腫瘍作用などが報告されているが、薬理作用の詳細なメカニズムについての研究は十分おこなわれていない」とあります。


ただ、新生児に使うことは聞いたことがありません。


冒頭で紹介した部分を読んで、2つの疑問が残りました。


ひとつは、新生児に使っても大丈夫であるという検証はされたのかということ。
もうひとつは、臍帯脱落までは「清潔保持と乾燥のみで、それ以外は何も行わなかった」のに、臍帯脱落したその直後だけ、なぜ紫雲膏が必要と考えられたのか。
その2点です。


臍帯の消毒や処置に関しては、「臍帯消毒の記事」に書いたように、まだまだ臨床では考え方や方法に統一されたものがないので、施設によっても新旧いろいろな考え方が混在しているのが現状ではないかと思います。


この「新生児ベーシックケア」(横尾京子氏、医学書院、2011年)ではコクランレビューで「消毒薬や抗菌剤を使用しても清潔保持と乾燥以上の効果は期待できない」とされていることを紹介して、以下のようにまとめられています。

したがって臍処置においては、臍帯脱落が臍帯自体のミイラ化と臍輪部における好中球の組織浸潤(好中球による貪食と殺菌作用が働く)という生理的変化であることから、清潔保持と乾燥に十分留意し、母乳育児の早期開始によって新生児に抗体を与えることが不可欠である。

あ〜あ、おしいなあ。
前半部分は納得できたのに、なぜここで「母乳育児の早期開始によって新生児に抗体を与えることが不可欠」という文章になってしまうのでしょうね。
ミルクだけで育っている子は、臍帯脱落の過程になにか決定的に不利な状況があるのでしょうか?



いずれにしても、現在は「清潔保持と自然乾燥」で十分ではないかという方向性が示されているのですから、同じ書籍の中で紫雲膏を紹介する必要はなく、むしろ「それを使った場合と使わない場合の効果の違いが未検証」「新生児への安全が確立されているわけではない」と注意喚起をするほうが良かったのではないかと思います。


華岡青洲が開発したものでも、効果が実証されなければ医薬品からはずされるのが現代の医療ですしね。


<これも問題ではないか?>


もうひとつこの本の中に「へその緒」というコラムがあり、「脱落した臍帯に対する3人の母親の体験や想いを紹介」しています。
その中に、また驚く箇所がありました。

Aさんの紹介で助産院の院長から話をうかがった。3年ぐらい前から実施しているそうであるが、そのきっかけにも驚かされた。それまでは、土鍋に臍帯の付いた胎盤、竹炭の粉(体に良い)、よもぎ(におい消し)を入れ、とろ火で24時間、黒焼きにし、粉にして、"熱さまし”としてあげていた。(量は30×20cmのビニール袋に1/3ぐらい)。しかしにおいが強いのでやめ、その代わりに胎盤の付け根から切断部分までの臍帯を乾燥させ、それをあげることにしたのだそうである。長ければ動脈や静脈も見て取れ、母子がつながっていたことが実感できるだろうという配慮である。


へその緒を土鍋で乾燥させて「○○に効く」と渡している助産師がいることは、以前から助産師に広がる代替療法定点観測していたので知っていました。


ブログにそれを「良いことをしている」というニュアンスで書いている人がいることに、同じ医療従事者としてとても驚きましたが、ごくごく限られた人たちだけに支持されてそのうち消滅するだろうと思っていました。


誰かがそっと、「そんな無謀なこと、馬鹿なことはおやめなさい」と注意してあげればやめるだろうというような話ですからね。


これを読むと実際にやめたようですが、「においが強いから」という理由に、何が問題なのかわかっていないのかもしれない不安を感じます。


そしてさらに、こうして周産期看護の本に紹介されるようになったことにもっと驚きです。


「効果があるということはどういうことか」「どこまで検証されているか」
そういう基本的なことがおさえられていない、周産期看護の行方に不安を感じる本でした。


思い込みによっていろいろな方法が赤ちゃんや子ども達に試されていることに、むしろ私たちは警鐘をならすべき立場だと思うのですが。




「赤ちゃんに優しいとは」まとめはこちら

思い込みと妄想 24 <子どもの「未病」対策?>

m3.comの配信記事に、「あ〜あ」という記事がありました。


「未病」共同で対策へ 九都県市首脳会議


 首都圏の知事や政令市の市長でつくる「九都県市首脳会議」が9日、千葉市内で開かれ、病気の前段階である「未病」について、食生活や運動習慣など子どもの未病対策を共同で取りくむことを決めた。
 黒岩祐治知事は、食生活の乱れによる集中力の低下、外遊びの減少による運動不足などで将来の未病リスクが子どもに高まると指摘。「子どもが多く、発信力の高い九都県市から対策を進めるべき」と訴え、普及啓発やシンポ開催など共同の取り組みを求めた。
 賛同の声が上がる一方、川崎市の福田紀彦市長は趣旨には賛同しつつも、県外での「未病」を使うことに「概念や言葉が浸透していない。『未病って何だ』と、どきっとしてしまう。首都圏全体で聞いたこともないのでは」と心配の声を上げた。黒岩知事は「確信的に未病という言葉を使っている。子どもの未病って何だ、というところから始めることが大事が」と強調した。


 会議では横浜市が生活困窮者などへの自立支援策を重層的・安定的に実施するため、人口規模に応じた財源措置の上限撤廃や子どもの学習支援の法定補助率引き上げの要望を提案。川崎市は子どもの貧困対策と未然防止に向け、九都県市共同で学習支援や若者の自立支援などの情報共有と、切れ目のない取り組みを検討すべきと求めた。相模原市は英語教育充実について、小学校英語専科教員の教員配置に対する支援や外国語指導助手(ALT)の配置への財政支援を国に要望した。
 東日本大震災から5年目の節目を迎える来春には福島県内での開催も決めた。

2015年11月10日(火)配信 神奈川新聞
(強調は引用者による)

本当にどきっとしますよね。「子どもの未病」って。


「未病」という言葉は養命酒の宣伝で使われていて、ずっとひっかかっていました。
ちょっと検索するだけで、医学的な言葉ではないことがわかります。


<「未病」とは何か>


たとえば日本未病研究学会というサイトに、「当学会における未病とは」としてこんなことが書かれています。

 「未病」という言葉は日本語にはありません。広辞苑、現代用語辞典、イミダス等にも掲載されておりません。当学会を法人で設立登記する為には、法務局に申請を受理してもらわなければなりません。法務局の登記官は「『未病』を名称にする事は構わないが、目的の中に使用しないで欲しい。未病は、日本語ではありません。登記は日本語でなければできません。」と説明してくれました。当学会設立準備委員会では大変に困窮して
・・・未病(病気が発症していない予備軍)・・・
と後ろにカッコ書きする事で登記官の了承を得ました。従って、未病の意味はカッコ書きの中の説明では十分では有りません。登記法の解釈の結果で導きだされた表現です。

 そこで当学会では、未病とは「健康状態の範囲であるが病気に著しく近い身体又は心の状態」を言うと一応定義いたします。
(中略)
 ただし、未病の概念はまだ確立されておりませんのでここでの未病の説明が絶対であるとご理解頂きたいと存じます。


「未病」そのものが日本語でさえないようです。


<誰がこの言葉を使い始めたのか>


「未病」という言葉を日本に広げたらしい人のサイトがありました。
未病医学研究センターの「未病について」に以下のように書かれています。

これは、2000年以上前に記された中国古来の医学書『皇帝内経』の中の言葉です。発病前、つまり未病段階での治療がいかに大切かということが、漢方の世界では古代から受け継がれてきました。


すでに日本でも、未病という言葉は定着したといえますから、この考え方に頷かれる方は多いでしょうが、私がこの言葉を新聞や雑誌で発信し始めた約20年前、未病に対する理解度は非常に低く、「みびょう」ではなく「まつびょう」と読む人も少なくない時代でした。


ここを読むと、「未病を治す」ということは予防医学や「病気を発症前の段階で食い止める」という解釈だけではないそうです。

さらにいえば、「未病を治す」という考え方は、身体を超えて、さまざまなジャンルに役立ちます。親子の関係、夫婦の関係、会社経営から政治や経済にいたるまで、何事も大きく乱れる前、つまり「未病」の段階で手を打つことが重要なのです。

アンチエイジングだけでなく、人生のさまざまなことへと広げられる考え方のようです。
よく読んでも理解できませんでした。


このセンターの対談実績には、黒岩知事との対談についても書かれています。

 健康な長生きは、人生にとって最大の願いでもあります。未病と未病を同一線上にとらえて、命輝く社会の構成をめざす黒岩知事の「未病哲学」が、いかんなく披露された注目の対談となりました。


このあたりが「確信的に未病という言葉を使っている」ということなのでしょうか。


やっぱり「発信力が高い」とか「発信する」という言葉には警戒してしまいますね。


ところで、本当にこの会議では「『未病』共同で対策へ」という方向になったのでしょうか?
だとすれば、一県知事個人の信念で物ごとが決まるプロセスに疑義をもつのが報道の役目のような気がするのですけれど。


このニュースは誰のためのニュースなのでしょうか。




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思い込みと妄想 23 <菌をスプレーするとどうなるか?>

先日、外で食事をしていた時のこと、後ろに座っていた20代から30代くらいの女性2人が熱心に話をしていたのですが、「抗体」とか「血液」の単語が聞こえて来たので、医療従事者なのかなとなんとなく会話が気になっていました。


そのうち、1人が「消臭スプレーならEMスプレーがいいみたい」と言ったのが聞こえたので、まるで漫画のようにぐっと喉につまったのでした。


後ろを振り返ってみたいという気持ちをずっと抑えながら、食事を続けました。


<EM菌とは>


EM菌という言葉を初めて知ったのは、今から10年ぐらい前でした。
いつも前を通るクリーニング屋さんに、なんでも汚れが落ちる奇跡的な洗剤のようなチラシが貼ってありました。


まだその頃は、「ニセ科学」という言葉を知らないぐらい怪しいことに対しての問題意識もなかったのですが、なーんとなく「あ・や・し・い」と感じたのでした。
衣服についた汚れを落とすのは専門店に出しても難しいのに、それが簡単に落とせるとなると、クリーニング屋さんだって商売あがったりになるかもしれない画期的な商品になる可能性がありますからね。


その後、助産師の中に広がる代替療法に危機感を持っていた時にkiulogに出会ったのですが、そこでEM菌についても議論されていたことを知りました。


「ニセ科学とつきあうために」の「9. EM菌」では以下のように説明されています。

 EM菌は琉球大学の教授だった比嘉照夫さんが作られたもので、たくさんの微生物を共生させた「微生物資材」とされています。その効果は生ゴミ処理・土壌改良にはじまり、無肥料栽培・河川の浄化、さらには健康までおよそあらゆる分野におよぶとされます。
 もちろん、世の中にそんな万能なものはありません。


kikulogを読み始めたのが2009年でしたが、「菌」という病気を連想させるものを散布したりすることに普通は抵抗や不安を感じるでしょうから、このEM菌はじきに売れなくなるのではないかと思っていました。
ところが、じわじわと広がっているのを感じるこのごろです。



<やってもやらなくてもかわらない・・・どころか>



「EMスプレー」って何?と検索してみたら、消臭スプレーとしてだけでなく浴室のカビ防止などにも効果があるように書かれています。


「化学物質の入っていない」「無害の」ペットの消臭スプレーでは、ペットのグルーミングやお散歩のお尻拭きなどに使うらしく、「一緒に暮らす、子供たち、私たちの体や食品に触れても大丈夫」と書かれています。原料は「食品で使われている乳酸菌や納豆菌と同じ微生物や酵母」が使われているそうです。


たしかに、乳酸菌や納豆菌、健康そうなイメージですが、冷蔵庫に保存してしばしばなやまされるのが「腐敗」です。


EM菌、大丈夫かなあと検索したら、「消臭EMスプレーの恐怖」というブログ記事があり、「今回わかったことは『昆虫マットに消臭スプレーをしない方が賢明だ』ということでした」という、消臭どころか腐敗臭が酷かったという貴重な経験談がありました。
さもありなん、という感じですよね。


2004年の記事なのですが、その後、腐敗しないような改良が可能だったのでしょうか。


また、「EMWを使って快適お掃除を始めましょう」というサイトでは、浴室の掃除について書かれています。


浴室では「湯アカや飛び散った石鹸かすを冷水でさっと流すだけでも、汚れ具合が随分違ってくるのでお掃除が楽になります」、排水口は「お風呂上がりに排水溝の髪の毛や石鹸カスを取り除きます。水で細かいカスを洗いながしましょう」、そしてバス小物は「お風呂上がりに、シャワーでさっと洗い流します。スポンジでこすり水で洗い流しましょう」とあり、それぞれその後に「EMスプレーをしましょう」と書かれています。


いやあ、これってお風呂のあとに石鹸かすをよく流して、水滴を遺さずに拭くだけで大丈夫なことですね。
私自身、もう20年以上この方法で浴室も、浴室の小物も新品のようにきれいに維持していますし、なんたってマツコ・デラックスさんや福山雅治さんも実践してますからね。


「EMスプレー」はやってもやらなくても変わらないということではないかと。


それにしても「善玉菌」が、悪臭や汚れの原因になっている「悪玉菌」をやっつけるというのは、人の心をぐっとつかむのかもしれませんね。



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思い込みと妄想 22 <ロータス・バース・・・胎盤を残したままにする>

心配な伯母さんからコメント欄でこんな相談がありました。(心配な伯母さん、ありがとうございます。そして承諾なしに本文中で紹介してすみません。)

義妹が10月に初出産を控えています。その時、自宅出産を希望しており、その理由が赤ちゃんのために胎盤を切らずに数日間、そのままにしておきたいからと言っています。出産自体がショックなのに、その上胎盤をすぐ切り離したら赤ちゃんの負担が大きすぎるとどこかで読んだそうです。
私にしてみれば、母親の胎内だからこそ機能していた胎盤を、出産後に赤ちゃんにいつまでもくっつけておくほうが危険なんじゃないかと思うのですが、妊婦ハイなのか聞く耳を持ちません。


その返信にも書いたのですが、この胎盤を新生児につけたままにするロータス・バースについては、20年ぐらい前いえ十数年ぐらい前でしょうか、何かで写真を目にしたことがありました。
生まれた新生児のへその緒を結紮(けっさつ)することも切断することもなく、そのまま臍帯が脱落するまで胎盤とともにつけておくというものです。


いやあ、本当に出産近辺にはシュールな光景の話題がつきないものです。


でも、さすがに湿度の高い日本の気候ときれい好きな日本人の間には広まらないだろうと高をくくっていたのですが、このために自宅分娩を希望する方もいらっしゃると聞いて驚きました。


どんな状態かを知りたい方は、「やまとなでしこのお産」というブログの「へその緒を切るタイミング」(2014年7月4日)の記事に写真があります。
ニュージーランドに住む、日本では助産師として勤務していた方のようです。

また、今は、へその緒をしばったり切ったりしない、ロータスバースというものも増えてきています。3日から1週間もすればとれるへその緒です。赤ちゃんの体の一部という意味でも、あえて手をださないというのもありかなと思います。


そして赤ちゃんから茶色く乾燥したへその緒が伸びて、その先にやはり茶色い胎盤がタオルのようなものの上におかれている写真が掲載されていて、こんなキャプションがついています。

自分の胎盤とへその緒を見つめる息子。
胎盤についているのはローズマリーを乾燥させたハーブです。

いやはや、シュール。


たしかに、こんな希望を受け入れてくれる分娩施設は日本にはないので、自宅で出産するしかないことでしょう。


<サイエンスもどきの説明を見つけた>


このロータス・バースで検索していたら、MAASHというサイトに「米出産トレンド へその緒を切らず、胎盤もそのままに」という記事が<サイエンス>として書かれていました。


アメリカの最近の出産のトレンドとして、へその緒を切らない、というのが出てきたようだ。umbilical nonseveranceアンビリカル(へその緒)・ノンセーバランス(ノン切断)


これは、へその緒に繋がる胎盤(プラセンタ)をしばらく持ち歩き、自然にへその緒が切れるのを待つというもの。
パリの伝統的慣習にあるものだ。


専門家によると、多くの人は胎盤と胎児が同じ細胞でできていることを認識していないという。「胎児とは別々に作られた廃棄物」というイメージがあるが、胎児と一体ということか。


へその緒は2日から10日で自然に切れる。その日まで、胎盤をつなげているとどういうことが起きるのか。


シンシナティ大学医療センターの母胎胎児医学デイレクター、ジェームズ・ヴァン・フッく博士は、胎盤を保持することによって新生児にメリットがあると述べている。まず、胎盤から幹細胞が豊富な血液を得ることができる。そして、免疫グロブリンを得ることができるのだ。


免疫グロブリン(immunogloblin)とは、新生児にとって感染から身を守ることのできる大切なもの。免疫の中で大きな役割を担っているという。


また、今のような出産後すぐの切断は、臍帯が自然に閉鎖するのを待たないため、博士からすると注意が必要らしい。


この胎盤を残す方法は"lotus birth"と呼ばれているが、当然、胎盤はきれいに保ち、汚染がないようにしなくてはならない。


博士はこの方法の選択について、両親は決める権利があると主張している。


臍帯結紮を遅らせることのメリットについて述べたことを、胎盤をつけたままにすることのメリットに使われているような印象の文章ですが、原文を読んでいないのでよくわかりません。


それにしても、「多くの人は胎盤と胎児が同じ細胞でできていることを認識していない」と言われると、なんだか目から鱗な気分になるのかもしれません。


そして「○○大学、母胎胎児医学、博士」が語ったとか、「免疫」といわれるとそのまま思考停止に陥りやすいのでしょう。



こういう文章は、冒頭の心配な伯母さんのような「母親の胎内だからこそ機能していた胎盤を、出産後にいつまでもくっつけておくほうが危険なんじゃないのか」という常識的な判断を揺らがせるのではないかと思います。


自分は大丈夫・・・と思っていたのにいつの間にか、ニセ科学にはまり込むのが人間仕様なのかもしれませんね。


さて、そういえば「lotus」ってなんだっけと検索したら、Weblioでは「はす(蓮)」しか出てきませんでしたが、goo辞書ではこんなことが書かれていました。

ギリシャ神話で、その果実を食べると楽しく、忘我におちいり、故郷に帰ることも忘れるという植物。

それ以外にも、「神話」とか「伝説」とかが説明で使われていました。


また、「lotus birth」で検索すると、「子宮エコロジー」とか「世界エコロジー」とかが。
そうそう、あっち系が出処なのかもしれませんね。




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定点観測

昨日の記事の植物の変化のように、毎日連続して見ていると気づかない変化も、1週間おいてみると違ったものが見えてきます。


その地域に住んでいた時、あるいは1年に1〜2回ぐらいしか帰省しなかった頃には見えなかった変化が、今、父のところへ1週間から10日ごとに通うことで、明確に見えることがあります。



私が「定点観測」という言葉に出会ったのは、村井吉敬(よしのり)氏とその研究仲間の方々に出会った時でした。
日本の開発援助の影響がどのように相手国のその地域に出るのか、それを一定期間を置いてその地域を訪ねることで検証するという意味で、「定点観測」という言葉が使われていたと記憶しています。


社会の変化は、植物の変化ほどははっきりとはわからないものですが、それでも1年毎、2年毎とある一定の期間をあけて再訪すると、そこに住む人々の暮らしの変化がけっこう見えてくるものです。


政府開発援助は往々にして大規模なインフラ整備が主ですから、強制立ち退きで生活の基盤を失うたくさんの住民を生み出すことがあります。


数年後に再訪すると、なんとかそういう人たちの中にも生活を立て直し、またインフラ整備で確かにその地域の経済が上向きになってその恩恵を受けていることもあります。
日本が戦後、世界銀行からの借金でインフラの基盤を作り出したように。


自分たちが考えた正しさだけで「白か黒か」を決めつけることなく、答えを考えて続けていくことが、問題提起した側の責任でもあるからこその「定点観測」だったのだと思います。


この「定点観測」という言葉を知ったことは、私自身もハッとさせられるものでした。


正しさは自分の頭の中で作られた論理ではなく、仮説と観察によって検証していくことが大事であることに、改めて気づかされました。
それを実行している人たちに出会ったことは、幸いなことでした。


これもまたのちにニセ科学の議論の中で出会う折り合いをつけると同じく、「拙速に答えを出さない」という一言につながる伏線だったのかもしれません。


<気分で変化する社会>


このブログの中でも過去に何度か「定点観測」という言葉を使いました。


たとえば、「助産所数の推移と分娩以外の業務」の中で、以下のように書いています。

かれこれ7,8年、開業助産所での業務内容に感心があって調べています。特に助産師の中でホメオパシーが広がっているということを知って驚愕した2009年からは、助産所のホームページなどを定点観測しています。

この記事で書きだした助産所の「業務」に紹介されていたさまざまな民間療法の中に「抱っこ療法」があります。


これが最近、話題になった「ズンズン運動」のことですが、数年前には開業助産師さんたちのHPやブログで好意的に紹介されているものがしばしばありました。「免疫力」という言葉とともに。


数年ぐらいでこうした助産師が勧めてきた民間療法や代替療法をリストアップしてみると、いかに流行り廃りがあるかがわかります。


それは自分の経験に対する思い込みによるのか、はたまた助産師としての臨床経験の自信の無さの裏返しなのか、いずれにしても本当に何かに有効であるからというよりも気分によるものではないかと思います。


さて、最近、定点観測は数年ではまだまだだめかもしれないと思うようになりました。
すっかり下火になったと思った酵素玄米がふつうに医療機関で働いているスタッフの口から出て来て愕然としました。


最初はコアな「自然派」の人たちで広まり、数年経つと「なんとなくカラダによいかも」という気分で広がっているようです。


まだまだ定点観測を続ける必要がありそうです。
それにしても「助産雑誌」は今年の4月号でも水中分娩を好意的に掲載していたり、大丈夫でしょうか。
こちらも定点観測が必要そうです。

思い込みと妄想 18 <マクロビ『派』ビスケット>

連日、辰巳国際プールでの競泳日本選手権の熱戦は本当にわくわくしました。
私の印象に残った場面はたくさんあるのですが、表現するのは難しいですね。
5月のジャパンオープン、そして世界水泳と楽しみにしています。


さて、辰巳からの帰路は、いつもじんわりと熱戦の余韻を楽しみながら帰るのですが、今年はちょっと気になるものが目に入ってしまいました。


有楽町線の車内に貼ってある森永製菓の「マクロビ派ビスケット」の宣伝です。
このビスケットはちょうど1年前に発売されて、当時話題になっていたので気になってはいました。あ、私の近辺での「話題」はもちろん批判的な意味ですね。


ところが私の生活圏ではほとんど見かけることがなかったので、きっとあまり売れなくていつのまにか消滅したのだろうと思っていました。


検索してみると、けっこうコンビニなどで売れているようで、「20代から30代の女性」がターゲットになっているようです。


<マクロビ派ビスケット、ブラウニー、チップス>


森永製菓のホームページを見ると、現在は3種類があるようです。
そして「マクロビ」について以下のように説明があります。

マクロビとは「マクロビオティック」の略で、穀物や野菜中心の自然と調和した食事をとることにより、健康的なライフスタイルを目指す考え方です。

そしてビスケットは「バター、マーガリン、白砂糖不使用」として、こんな説明があります。

マクロビオティック」の考え方に基づき、植物由来の原料のみで焼き上げました。バター、マーガリンといった動物性脂肪のほか、白砂糖や乳製品、卵も使っていません。

あるいはマクロビ派チップスには、「精製塩不使用」と書かれています。


でもビスケットの原料にはアーモンドパウダーやメープルシロップが使われているし、ブラウニーも有機ココアが使用されているあたりは、「『身土不二』の思想」とも違うような感じですね。


<「こだわり」が社会へ深刻な影響を与えることもある>


このマクロビ派ビスケットの開発担当者のインタビュー記事も以前、話題になっていました。
「カラダうれしい自然素材にこだわった『マクロビ派ビスケット』前編「後編」です。


前編では開発担当者の「こだわり」が好意的に書かれていて、後編では「どんな方に食べて欲しいか」という質問に、こう書かれています。

マクロビオティックが気になっているけれど、忙しくてなかなか実戦できない女性の方はぜひ。商品名のマクロビ派の『派』には、マクロビオティックを手軽に普段の生活に取り入れて欲しいという担当者の思いが込められているのですよ。

「派」という一字で、そのこだわりのイメージをやんわりとしたものにしたいのかもしれませんが、「なんとなくよさそう」と若い女性に広がったことが与える影響は、数年前に助産師の中で広がったことを思えば見過ごせないものがあります。
そんな危機感から書いたのがこちら。

助産師と自然療法そして「お手当」1
<身近な素材でできる?>
<14歳までの子どもへのマクロビ>
<子どもたちの「症状」とマクロビ>
<子どもたちと「好転反応」>
<子どもたちは「症状」を訴えられない>
<妊娠・出産・子育てとマクロビ>
<マクロビでお産は痛くない?>
<マクロビの「出産心得」>
<マクロビの安産志向にあるもの>
<マクロビの安産志向の背景にある思想>
<マクロビの安産志向とアンビバレンツ>
<マクロビの「食をととのえて迎える出産」>
<マクロビの安産と難産>
<マクロビの妊娠・出産の「トラブル」>
<マクロビ「妊娠・出産・育児のなんでも相談編」>
<マクロビ「妊娠・出産・育児のなんでも相談編」つづき>
<マクロビと予防接種>
<マクロビとアトピー性皮膚炎>
<助産師とマクロビのつながり>
<母乳哺育とマクロビ的なもの>
<マクロビベビー>
<バイブル商法と私のあちゃーな経験>

我ながらよく書いたと思いますが、doramaoさんのマクロビ関連エントリーのおかげです。


私の中でマクロビオティックというのは、思い込みと妄想が生み出したイデオロギーであり、そのこだわりはフードファデイズムへと人をはまり込ませる可能性がある、といったあたりです。


そしてそれが助産師の中で組織的に広がったり、こうしたメーカーが広げることで、バイブル商法へと加担していることへの社会的責任を問われる必要があると思います。


それにしてもこうしたこだわりにはまるきっかけはちょっとした気分の差なのだろうと、この開発担当者のを読むと思いますね。
もし、マクロビの話を「シャルル・ド・ゴール空港で出会ったマダム」からではなく、そのあたりの普通のおばさんから聞いたら、あるいはマクロビオティックではなく「食養」だったら。
私と同じく、辛気臭いと思って信じなかったかもしれないですからね。


ちょっとおしゃれで進歩的な雰囲気に弱い時というのは、往々にして「自分がとても大事」な心境なので、その失敗を認めることもなかなかできないものです。


こうして、あやしい思想は10年とか20年の時を経て、繰り返し繰り返し復活するのかもしれません。




「思い込みと妄想」まとめはこちら

競泳日本選手権、始まる!

今日から12日まで、競泳の日本選手権が始まります。


最近は6日間という長い日程が多いので、全日程を観に行けなくなり残念ですが、行ける日は辰巳の国際プールへと通おうと思っています。


大会に先駆けて、先日の「GEt SPORTS」(テレビ朝日)で松田丈志選手の名前があったので録画してみました。
タイトルは「崖っぷちの30歳」になっていて、ずっと応援して来た一人としてはなんだかな〜と思いました。
たしかに、昨年、一昨年は思うような成績ではなかったとは思いますが、「苦悩」もストーリー性があるのでテレビ的には好まれるのですかね。


現役復帰が話題になり、先日のオーストラリア選手権で入賞したグラント・ハケット選手や、南アフリカスクーマン選手も皆30代です。
むしろ、こうした年齢層の選手たちの安定してかつ「巧みな」達人級の泳ぎを見ることができるのは楽しみです。


そういう意味では、松田丈志選手は決して崖っぷちではなく「大きい息の長い選手」のお一人だと思っています。


今年もまた松田選手やずっと応援している選手の泳ぎを見ることができるのは、本当にうれしいし楽しみにしています。



さて、今日は水泳の話題なのですが「代替療法」のタグをつけました。


というのも、同じ番組の中で伸び盛りの中学生選手を追っていましたが、その選手が急成長してきた理由として「幼児期から雲梯(うんてい)を取り入れていた」という話に、なんとなく私の心の中の赤信号がともったのでした。


母親が幼児教育の本で「雲梯は身体能力を高める」話を聞いて、家の中に雲梯をつくりいつもぶらさがったりしていたことが紹介されていました。


たしかに全身の運動能力のトレーニングにはなるかもしれません。
反面、番組ではその選手の泳ぎの特長として「手が入水する際に泡がたたないほど水への抵抗がない」ことをあげていました。
だとすれば、それは雲梯の「効果」ではないと思うのですけれどね。


ちょっと気になって「雲梯、幼児教育」で検索すると、「脳に良い」とか「天才を育てる」といった言葉がたくさんありました。
そのお母さんも幼児教室を開いているようですが、その服についていたロゴが、kikulogの議論でも時々見かけた教室でした。


泳ぎを極めるには、自分の泳ぎを客観的に見て修正し、地道に泳ぎ込んで体に記憶させていくしかないと思います。
あの番組をみて、「我が家にも雲梯を置こう。そうすれば天才スイマーに育つ」と思う人がいないことを祈っています。

記憶についてのあれこれ 38 <思い出させることが良いのだろうか>

先日、テレビをつけたらNHKの「くらし☆解説」の「認知症 音楽で笑顔を」という番組が放送されていました。


「若い頃のことなんて忘れたわ。90になるのだもの」と話していた90代の認知症の女性に、昔好きだった音楽を聴かせたら表情が明るくなり、子どものことなどを語りだす様子が映し出されていたところから私は観始めました。


マイケル・ロサト監督という名前が出ていたので、番組のあと検索してみました。
「パーソナル・ソング」というドキュメンタリー映画が「話題」になっているようです。
リンク先の紹介を全文引用します。

1000ドルの薬より、1曲の音楽を


現在、全米で500万、日本でも高齢者の4人に一人、約400万人以上いるとされ、今後も爆発的に増え続けると言われている認知症アルツハイマー患者たち。いまだ特効薬がなく、先進国の間で深刻な社会問題化している。
アメリカのソーシャル・ワーカー、ダン・コーエンはかつてIT業界で働いていた。あるとき「患者がiPodで自分の好きな歌(パーソナル・ソング)を聞けば、音楽の記憶とともに何かを思いだすのではないかと思いつく

実験を始めてすぐに効果が表れた
長年認知症を煩い、娘の名前も思い出せずふさぎこんでいる94歳の黒人男性のヘンリー。昔好きだったギャブ・キャロウェイの音楽を聴いた途端、突然スイッチが入ったように、音楽に合わせて容器に歌いだし周囲を驚かせた。音楽を止めた後にも饒舌になり、音楽の素晴らしさや仕事のこと、家族のことを次々に語りだす。
多くの患者たちも劇的な反応を見せる。
この映画はそうした奇跡の瞬間をいくつも見せてくれる
私たちは人が失われた記憶を呼び戻す幸せな場面に立ち会うことができ、喜びを手に入れた高齢者たちに深い感動を覚え涙するに違いない。

音楽をきっかけに何かを突然思い出す認知症の方がいらっしゃるのは事実かもしれません。
私の父の場合には、座禅の話題から今まで知らなかった父の人生を初めて聞くことがあります。


ただ、この番組と映画の説明を読んで何か違うと直感したのは、タグに「代替療法」を入れたように、音楽療法という代替療法の話題が伏線にあって、「奇跡の」「感動の」話にさせられたからだと思います。


認知症の人の記憶を呼び戻したい」という認知症でない人の希望を叶える、そんな思いつきから始まった思い込み、というのは言いすぎでしょうか。


そしてきちんと検証もないままビジネスになっていく。


<思い出したくないこともある>


人には誰でもひとつや二つ、心の奥底に封印したまま人生を終えたいと思うような記憶があるのではないでしょうか。


私にもあります。
もし私が認知症になった時に、そのことだけは蘇らないで欲しいと思うような記憶が。


父を見ていると、日本軍のエリートとして教育をうけたことが誇りであったことが嘘のように、認知症になってからはあの戦争前後の記憶が忘却の彼方へといってしまったようです。
きっと父には思い出したくない時代だったのかもしれません。


以前、何の番組だったか、理学療法士さんが昔日本軍の兵士だった男性に銃剣を持たせて「記憶を呼び戻させる」ことを試していることが好意的に紹介されていました。
あ、なんて恐ろしいことをするのだろうと胸が痛みました。


人には思い出したくない事もある。忘れている事で精神が安定する事もある。
たとえ音楽といえども、いえ音楽だからこそ感情が一気に呼び覚まされてその記憶に向き合わなければいけなくなる可能性もありますね。


<「今、思い出した事を忘れる」ことへの不安>


父にとって娘の私の記憶はなくなり、顔は覚えてくれているけれど妹になっています。
グループホームに面会に行くと、「この人は誰ですか?」と父の記憶を試すような質問をするスタッフの方がいるので、やんわりと制止するようにしています。


記憶の辻褄を合わせようとしている父の表情が一瞬険しくなるのからです。
さりげなく私の方から「妹です」と伝えると、安心したような表情になります。


認知症の人を前にすると専門職の人でさえその記憶を試したくなるのかもしれませんが、覚えているかどうかを試されること、言い替えれば「忘れた記憶の存在」を意識させられることは認知症の方には不安と緊張を与えるのではないかということをこちらに書きました。


そして認知症の場合、「思い出した」ことの喜びよりは、「今、思い出したことをそのそばから忘れていく」ことに不安と絶望を感じやすいのではないかと思います。


認知症の人の記憶を呼び戻す、さまざまな代替療法
本当にそれは本人の幸せなのでしょうか。
奇跡や感動話にすることで、認知症でない人自身の不安から目をそらしたいだけように私には思えるのです。






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