土のいらない植物

「緑が欲しい」という母の希望に答えて持っていった小さな植物が、1年ぐらいで弱り始めました。

行くたびに、なんとか持ちこたえていました。

今まで母が過ごした二つの施設では、鉢植えの植物が枯れた時にその土をどうするか聞いたことがなかったのですが、土地はあまるほどある地域ですから、施設周辺に捨てたものもあったのではないかと思います。

 

今、お世話になっている施設ではどう処理するのか確認するつもりでいたところ、次に行った時にはきれいに土がなくなっていました。スタッフの方が処分してくださったようです。

しばらく、母の居室には植物がない日々が過ぎていきました。

 

そこで、かつてから考えていたエアープランツを持って行くことにしました。

「残念なことですが非常に多くの人がエアープランツをミイラにしてしまっています」ということで、「空気中の水分だけで生きられる」というものでもないのですが、土の処分の問題がないことに、いよいよ出番だと思った次第です。

 

母にとって初めてのエアープランツなので、持って行く前に私のところでしばらく様子をみてみました。

10日間ほど水もあげなくても、大丈夫でした。

 

母が植物を好きなのは「土いじりが好き」という点があるので、土がないエアープランツをどう受け止めるかと思いましたが、やはり部屋に植物があることがうれしいと思ってくれたようです。

 

 

 

土はゴミではない

ベランダにたくさん植物があって、季節の草花がある生活がうらやましいなと思いながら、NHKのドラマ「植物男子ベランダー」を録画して観ていました。

ポトスのような簡単な観葉植物でもだめにしてしまうので、技術的、能力的に無理だと思うから余計にうらやましく観ていたのかもしれません。

 

こんな私でも20代の頃に大事に育てた植物がありました。

幸福の木と呼ばれていたドラセナです。もうあいまいな記憶ですが、購入した時は50cmほどだったものが倍の大きさになったので、数年の間に1〜2回は植え替えもしたのかもしれません。

私にもやればできるかもしれないと思いつつ、観葉植物のお店で眺めては躊躇するのが土をどうするかという問題でした。

枯らしたら、可燃ゴミにも不燃ゴミにも出せない土が残るからです。

 

そのドラマでは、枯れた植物の「死者の土」を入れた「復活の鉢」がありました。

そういうやり方があったかと思いましたが、きっと死者の土だけがどんどんと増えていくことが想像できるので、やはりベランダーになるのを躊躇しています。

 

「土はゴミとして出せない。ガーデニングで困る使用後の正しい土の処理法」(LIFULL HOME'S PRESS、2017年12月9日)を読むと、最近では回収してくれるお店などもあるようです。

土の処理の問題について、以下のように書かれていました。

プランター1個で10kg前後が不要に 

 

一度植物を育てた土は栄養もなく、また植物の根や茎が残っていると細菌繁殖の原因にもなることがある。植物を植え替える時は、綺麗な花を咲かせるためにも土を新しくする必要がある。その際、古い土をどうするかが問題となる。

一般的なサイズのプランター(65cm)1個で、約12l(重さは土の種類によって異なる)の土が必要となるが、使用済みのものは水などを含んでいるため、1個分10kg前後になる。これだけのものを処分するのはなかなか大変。めんどうになって放置している方もいるのではないだろうか。

 

まだ資源ごみやリサイクルという言葉が浸透していなかった80年代ごろまでなら、なんでも燃やすか埋めていたことでしょうし、土地がある地域ではゴミを投げ捨てられる場所に放置していたことでしょう。「土に還る」と思い込んで。

 

ゴミという環境問題だけでなく、外来種という言葉を知った現在では、正確にどのような影響があるかまではわからないのですが、「鉢の土をむやみにその辺に捨ててはいけないだろう」と思うようになりました。

 

観葉植物に挑戦するのはやはり無理だなと思っていたら、最近、近くの花屋さんに古代蓮がありました。

直径30〜40cmぐらいの容器に、蓮の花が3〜4本咲くようです。

衝動買いしそうになったのですが、自分の能力を思い出してやめました。

 

 

 

記憶についてのあれこれ 144 マングローブ

海水と真水が混じり合う場所が「汽水」であるということは、中学校や高校で学んだのでしょうか。

なんとなく知っていたこの言葉を目の前で見るようになったのが、1980年代半ばに東南アジアで暮らした時に初めてみたマングローブでした。

 

海の中に森があり木が育っている情景は、それまで汽水域とは無縁だった私にとってはなんとも不安定な風景に見えました。

塩分がある水の中で、植物が育っているのですから。

80年代半ばはまだ東南アジアへの観光はメジャーではなかったので、マングローブは名前は知っていても情報もほとんどありませんでした。

 

時々、漁師さんの小船に乗せてもらってマングローブの森を抜けて外洋へとでる時に、気根がぐっと海の中に張り出している姿に圧倒されていました。

たしかこの時に、マングローブ周辺は魚が産卵で集まる大事な場所だと漁師さんから聞いたのだと思います。

 

海でも川でもない場所があり、塩分のある水中から植物が育ち、そこは海や川から魚が集まってくることが印象に残りました。

 

マングローブとエビの養殖場

 

90年代に入ると、社会問題としてマングローブのことが気になり始めました。

80年代の後半ごろから日本ではコピー機が広がり、どこでも簡単にコピーできるようになりました。

そのインクの原料になるのがマングローブを炭にしたものであり、日本などでインクの資料量が増えるにしたがって、熱帯のマングローブが伐採されて消失していくことが問題になりました。

 

そしてもうひとつ、日本のエビの消費量が急激に増えたことで、エビの養殖場にするためにマングローブの森が伐採されていきました。

 

90年代に私が行き来していた地域の沿岸にも、エビの養殖場が増えました。

「東京ドーム1個分」のような大型の養殖場から小規模のものまでさまざまでしたが、海岸沿いの道を走ると、マングローブの森がなくなり水をたたえた養殖場へと変わっていきました。

エビを育てるために養殖場では海水と大量の地下水を混ぜる必要があり、周辺地域の水不足も起きているという話を聞きました。

 

汽水域のマングローブの周辺で育つエビを大量生産するために、マングローブを伐採し、人工の汽水が必要になる。

 

ちょうどそのころ広がりだした環境問題という、新たな社会問題でした。

 

 

 

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米のあれこれ  10 麦秋

分水を訪ねるために6月初旬、上越新幹線に乗りました。

 

大宮を過ぎたあたりから、田植えを始めている水田が見え始めました。

昨年古代蓮を見に行ったあの行田市のあたりまでは、これから田植えという風景でした。

東北の水田よりさらに1ヶ月ほど遅い風景に少し驚きました。

 

しばらくして本庄、藤岡あたりで風景が一転して、一面、収穫の時期を迎えた麦の風景になりました。

1ヶ月前に東北の川と海をみて回った時、新潟からの帰路ではまだ緑色の穂でした。

ああ、これが麦秋なのかと、初めて見る風景に惹きこまれていきました。

そして、すでに麦の収穫を終えた畑は、田植えに向けて準備が始まっているようでした。

雨が少なく、乾燥した季節ではあるが、すぐ梅雨が始まるので、二毛作の農家にとって麦秋は短い。 

 

私が高校生まで過ごした地域では、米の収穫の後は青菜類を栽培しているようです。

また倉敷の祖父の水田でも、麦が植わっていた記憶がありません。

麦を栽培している風景をほとんど見たことがありませんでしたから、てっきり北海道などの大規模農場だけで作られているのだと、今まで思い込んでいました。

 

Wikiprdiaの二毛作の「概要」を読むと、私が麦秋を実際に見る機会がなかった理由がわかりました。

かつての日本の農業においては、春から秋にかけてイネをつくり、秋に収穫してから 翌年の春までは麦などを作っていることが多かった。一回目を表作、二回目を裏作という。日本では稲麦二毛作鎌倉時代から普及したが、高度経済成長期頃から、輸入穀物に価格面で対処できなくなり、あまり行われなくなった。現在は畑作野菜で二毛作や三毛作が一般的に行われている。

 

二毛作という言葉は知っていたのですが、実際には長い長い試行錯誤や失敗があったのですね。

イネの場合、水田での栽培ということもあり、連作障害が発生しにくかったが、一般的には二毛作を行うと地力が低下し、次第に生育不良となっていく。これを回避するため、三圃式農業や輪栽式農業として発展していった。中世には地力を補うために厩肥や下肥を補うようになったが、二毛作を行うために必要十分な量を確保できたのは人口密集地域の近郊に限られ、鄙びた地域では裏作に麦を作ることはできなかった。 

 

麦秋」の風景には、人口密度も関係しているということでしょうか。

 

そして、次の一文に興味をそそられました。

近年、FOEASという地下水位制御システムが開発され、農地の高度利用がしやすくなった。 

どんなのシステムなのでしょう。

関心を持っていれば、きっとその答えに出会うような予感がしますが。

 

ああ、やはりえいっと分水行きを決めて良かった。

麦秋の風景を見ることができただけでも、旅のすごい収穫でした。

 

 

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観察する 61 皇帝ダリアの定点観測

皇帝ダリアが広がり始めたことに気づいたのが10年ほど前のことでした。

その頃は、両親が暮らしていた標高のやや高い地域では寒すぎて育てられないと母が言っていましたが、ここ2〜3年でその地域でも育てられているのを見るようになりました。

また、皇帝ダリアの説明ではだいたい開花時期が「11月から12月」と書かれているのですが、今年は結局2月初め頃まで咲いていて、寒さに強くなったのでしょうか。

植物の適応力、という表現が正確なのかはわかりませんが、すごい世界だと思います。

 

その通勤途中にある皇帝ダリアは「いつ枯れるのだろう」と気になって見続けていたら、2月初旬に咲かなくなり、そして根本の30cmほどを残して切られました。

切り株には何かでカバーして保護されていました。

歩道の電柱の脇に育っているのですが、おそらくその目の前のお店の方が手入れをされているのでしょう。

 

今年は皇帝ダリアがどう育つか、見てみようと思いました。

 

毎日通っているわけではないのですが、確か3月の終わり頃にその切り株のカバーが取られました。

4月に入ると、そこから新芽が出ていつの間にか葉が出ていました。

 

4月の終わりから5月にかけての茎と葉の育ち方は驚異的でした。

1週間ごとに30〜40cmは大きくなり、1ヶ月前はまだ切り株だけだったのに3週間ほどで私の背丈を超える勢いでした。

このあたりまでくると、むしろ毎日どれくらい成長しているのかわかりにくくなりそうです。

写真を撮ったり、メジャーで計測してみたいのですが、お店の真ん前なのでさりげなく観察して通り過ぎています。

唯一の頼みはすぐそばに電柱があるので、それをメジャーがわりにしています。

 

11月ごろまでにこの3倍の大きさになるのですから、皇帝ダリアの成長恐るべしです。

 

それにしても、こんなにダイナミックな植物なのに、昨年は同じ場所を通っていても目に入らなかったのでした。

 

今年は皇帝ダリアの定点観測をしてみようと思いついたのですが、「何センチになった」ぐらい初歩的な観察です。

でもずっと観ているうちに、皇帝ダリアの生活史が見えてきそうで楽しみになりました。

 

 

 

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ケアとは何か  29 介護施設と植物

1ヶ月ほど前、母の日のカーネーションについて介護士さんの意見が偶然、目に入りました。

家族が花を贈ると、それの世話をしたり片付けをするのは介護士さんたちで大変だということに加えて、「花を贈るのは家族の自己満足」と書かれていたと記憶しています。

 

私自身は母の日だからといって花や贈り物をすることはないのですが、たしかに、この時期に一斉に花が施設へ送られてきたら通常業務外のことが増えるのかと、現場の声としてなるほどと思う反面、「介護施設に入所している人に植物を贈るのは非常識」ぐらいまで話がヒートアップしそうな様相に少し驚きました。

 

介護施設は生活の場*

 

なかに「病院では感染対策から植物のお見舞いは禁止」という意見もありました。

病室への植物の持ち込みをどうするかと初めて問題視されたのが、1990年代に始まった院内感染標準予防対策でした。

ただし、現在でも「免疫不全がなければ花瓶の水や鉢植え植物は感染源にならない」(2003年CDC)というあたりではないかと思います。

 

以前は、花束を花瓶に移し替えて水を取り替えることが主流でしたので、患者さん自身が水換えをできない状況など、個別に制限することも必要な場合もあったことでしょう。

ところが現在は、消毒効果のある水のおかげで2週間ぐらい水やりをしなくても綺麗なままのアレンジメントフラワーがあります。

 

分娩施設でも、時々こうしたお祝いのお花があります。

「新生児がいるから感染源はだめ」なんて根拠のない規制はしていませんし、アレンジメントフラワーであれば産後の体のきついお母さんたちでも世話をしなくて済みますから、特に問題に感じることもありません。

私も、「きれいですね!」と一緒になって眺めています。

 

まして介護施設というのはより生活の場ですから、感染対策で規制するのは筋が違うのではないかと思います。

 

*植物に励まされる*

 

9年ほど前に想定外の半身麻痺になった母は、急性期病院からリハビリ病院への転院、そして在宅か施設かの選択と、目まぐるしく生活の場が変化し重い判断を迫られた4ヶ月の後、介護付き有料老人ホームへと移りました。

 

次の面会の時に持っていったものが、小さな鉢植えの観葉植物でした。

その施設がある駅前の花屋さんで、ふと思い立って購入したときのことをはっきりと覚えています。

まだ若い夫婦がやっているお店で、お店の中にバギーに乗せられた赤ちゃんがいました。

 

母はその小さな鉢植えを、ことのほか喜んでくれました。

病院なら鉢植えは「寝づく」と忌み嫌われるものですが、そこは生活の場ですから、母は半身麻痺のリハビリ中でも水やりをかかさず、昨年、特別養護老人ホームへ移るまで大事に育ててくれました。

母が植物を育てることが好きなことを知ったスタッフの方々は、庭の植物の手入れなども勧めてくれました。

母の部屋の中は、少しずつ花や鉢植えが増えて、出入りするスタッフの皆さんもとても楽しみにしてくれていたようです。

 そして、母も車椅子から杖歩行まで回復したのでした。

 

昨年、転倒して寝たきりになると思った母ですが、いまはまた車椅子に乗りながら特別養護老人ホームでも室内の植物に水やりをしています。

「部屋に緑が欲しい」というので、小さな観葉植物を持っていったのでした。

そして母の気持ちが落ちそうになると、豪華なアレンジメントフラワーを贈っています。

私自身のなんとも言えない自己満足や罪悪感を少し意識しながら。 

 

 

そんな家族側の気持ちも受け止めてくれているのでしょう、スタッフの方々も花を喜んでくれて、写真を撮ってくれたり、花が枯れたあとの花かごにドライフラワーを入れて飾ってくれたりしてくださっています。

 

 

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アスパラガス

今年はアスパラガスが手頃な価格で手に入るので、ここ1ヶ月ほど、連日のように購入して食べています。

アスパラガスは、子どもの頃から大好きな野菜のひとつです。

 

ただ、子どもの頃の「アスパラガス」は白くて缶詰のものでした。

ちょっとふにゃとしていてマヨネーズをつけて食べていたのですが、今思い返しても子どもが好みそうな味ではなかったのに、なんで好きだったのかと不思議です。

 

1980年代ごろを境に、私の中での「アスパラガス」は今のようなグリーンアスパラガスに変わりました。

私が初めてグリーンアスパラガスを食べ他のはいつか、あの白いアスパラガスと同じものだと驚いたはずなのですが、それがいつだったのか、どうもそのあたりの記憶がないのです。

Wikipediaアスパラガスの「種」に日本でのアスパラガスの歴史が書かれていました。

江戸時代にオランダ船から観賞用として日本にもたらされたが、食用として導入されたのは明治のことである。本格的な栽培が始まったのは大正からで、欧米への輸出用缶詰に使うホワイトアスパラガスが始まりであった。その後国内でも消費されるようになり、昭和40年代以降はグリーンアスパラガスが主流となった。現在では生のホワイトアスパラガスや調理しやすいミニアスパラガスなどが店頭に並んでいる。 

 

1970年代ごろからグリーンアスパラガスが市場に出回るようになり、次第に受け入れられて80年代ごろにはアスパラガスといえばグリーンアスパラガスぐらいに逆転したのかもしれません。

そういえば最近では、近くのスーパーではあの缶詰のアスパラガスを見なくなりました。

最後に食べたのはいつ頃でしょうか。

 

 

*アスパラガスの端境期*

 

最近では、ほぼ一年中、グリーンアスパラガスを買うことができます。

以前は、本当に旬の野菜で、春から初夏を感じさせる季節のごく一時期だったような記憶があります。

90年代に入る頃には、日本産のアスパラガスが終わる頃に、輸入品が見られるようになりましたが、まだまだ珍しいものでした。

Wikipediaの「出荷時期と産地の例」を見ると、最近では「10・11月:輸入」でそれ以外は産地を変えながら国産のアスパラガスが供給されているようです。

 

1990年代初めの頃は年間で2〜3ヶ月が国産品、それ以外の時期はいろいろな国からの輸入だったように記憶しているので、30年ほどでほぼ年中、国内産のアスパラガスが食べられるようになったことになります。これもまたこちらの記事で紹介した「産地リレー」のひとつでしょうか。

 

*アスパラガスの端境期を埋める*

 

グリーンアスパラガスが大好きだったこともありますが、アスパラガスの端境期が気になってきた理由がもうひとつあります。

端境期を埋める野菜はどこからくるのかで、「1990年代初めのころ一時期住んでいた東南アジアのある地域で『日本の端境期をうめるため』にある野菜の栽培が奨励されて広がり始めていました」と書いたのがアグリーンスパラガスでした。

 

涼しい高冷地で栽培されるイメージがありましたから、現地の人からその話を聞いたときには半信半疑でした。

でもじきに、日本向けの輸出にはねられた細くてふぞろいのアスパラガスの束を、暑いその地域の市場で見かけるようになりました。

 

栽培を奨励されていたのは、少数民族の人たちの住む高地でした。

現地の友人が、アスパラガスの栽培を始めた人のところへ連れて行ってくれました。

当時、私も写真でしか見たことがなかったあのふわふわとしたグリーンアスパラガスの茎(葉だと思っていました)が一面に広がっていました。

Wikipediaによると「収穫できる株になるまで2年から3年かかる」そうですから、私が訪ねたのはようやく収穫ができるようになった頃だったようです。

収穫までは現金収入がないこと、日本への輸出に耐えるだけのレベルの高い出来が求められているので、栽培から出荷まではさまざまな経済的なリスクがありました。

それでも将来の可能性にかけてその少数民族の方々が日本向けのアスパラガス栽培を自由に選択できるのでしたら、ここまで私の記憶に残らなかったことでしょう。

 

 

問題は、土地は神のものであって、個人が所有するものではないこの地域の土地が、栽培が失敗すれば借金と引き換えに外部の人たちの名前で登記されていくことでした。

内戦状態のその地域で、半ば強制的、脅迫ともいえる契約方法でグリーンアスパラガスの栽培が行われている話を、その村で聞いたのでした。

 

「野菜ナビ」の「アスパラガスの輸入先と輸入量」には、「アスパラガスは12カ国から輸入されています」と5位までの国が書かれていますが、あの地域の名前はありません。私のいく店でも見かけることがなくなりました。

 

あの地域がその後どうなっているのか確認したい、と思いながら時間だけが過ぎています。

 

植物に慰められる

今年も通勤途中で見かける梅の開花は、1月に入ってからでした。

12月には咲き始める早い年もあるので、まだかまだかと待ち続けていたのですが例年並みのようです。

昨年の災害と認識する暑さの影響はどうなるのだろうと思ってこの冬を待っていたのですが、梅の開花には関係がなかったのでしょうか。

 

ブログを始めたのが2012年1月ですが、植物に関して書いた記事がいつの間にか138件になっていました。

はてなブログに移行してからも「植物」のタグは残してあるので、タグをクリックすると全記事がわかります。

 

7年前の今頃は、ちょうど両親のこれからどうなるかが全く見えない時期で、どちらかの状態が落ち着くとどちらかが体調を壊し状況がまた大きく変化するという日々に入った頃でした。面会という非日常が日常になりました。

仕事とのバランスを考えないと私自身も体調を崩しそうになる中で、急な呼び出しに備えて働けるときには働かなければ周りにも迷惑がかかるし、いつも気が張った状態だったと思い返しています。

 

なぜ植物の記事があるかというと、そういう現実から逃避するかのように、ふだんの何気無い通勤の道端の草花に目がいき始めたのかもしれません。

寒い中、あるいは人に踏みつけられるような場所で生きている植物が急に大きな存在になって、目に入ってきたのでした。

ちょっと疲れながら面会に向かう時に、下を向いて歩いていたら大好きだったタチツボスミレが目に入り、一気に桃源郷のような風景に変化していきました。

こんなに美しい世界に自分は生きていたのか、となんだかわからない大きな気持ちの変化が生まれました。

 

そのかわり、平穏な日々が続いているとすぐに道端の植物のことを忘れそうになるので、回心というにはまだ遠い心境かもしれません。

イメージのあれこれ  22 地味に花が咲き実になる

晩秋というより冬に入った頃、散歩をしているとどこからともなく甘い香りが漂ってくることがあります。

ただ、においそのものを言葉で表現するのも難しいので、「あの香り」が何からくるのかたどり着くのは結構時間がかかりました。

 

なんと、びわの花だとようやく気づきました。

来年は花を愛でるようにしたいと3年以上前に書いておきながら、地味な花の存在を忘れて相変わらず美味しそうなびわの実だけ関心が向いていたのでした。

 

 

Wikipediaの「植物学的特徴」に、「花期は11月〜2月、香りのよい白い5弁の花を群がりつける」とあるのですが、実際には遠目には茶色い枯れた何かが集まっているように見えます。そういえば、この年末のころに、びわの枝の先端がこの茶色いもので賑やかになるような印象はありました。

あれが、びわの花だったのですね。

もう一度、Wikipediaの説明をよく読むと、「枝葉は春・夏・秋と3度伸長する」「花芽は主に春枝の先端に着く」とあります。こうした一つ一つの事象が言葉で表現されるようになるまで、どれほどの時間が必要だったのでしょう。

いやはや、定点観測なんて言葉をしょっちゅう使っているけれど、観察するということは生半可なことではないですね。

 

花は地味だけれどとても良い香りがして、3年前の記事に山口(産婦人科)さんがかきこんでくださったように「花はメジロなどのよいご飯になっている」そうで、あの一見枯れた花びらのような塊の周囲には、いろいろな生物が集まって一つの世界を作っているのでしょう。

 

そして半年かけて、実になっていく。

 

ヒトの世界だと見た目や言動の華やかさの方が耳目を集められやすいけれど、なんだかこのびわの花のように地味で気づかれないけれど堅実に生きているという世界がいいなとしんみりしたのでした。

 

 

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10年ひとむかし 42 寒さに強くなったのか

10年ぐらい前に初めて気がついた皇帝ダリアですが、最近はあちこちで見かけるようになりました。

11月に訪れた岡山でも、庭や畑のすみ、あるいは公園でたくさん目にしました。

ダリアが好きだった祖父が生きていた1990年代には、もう植えられていたのでしょうか。祖父はこの花の存在を知っていたのかな。

こういう、花の広がりを定点観測している方はどこかにいらっしゃるのでしょうか。いつ頃から、どの地域でこの皇帝ダリアが日本各地で広がったのか気になっています。

 

晩秋の澄み切った青空に向かって、空高く伸びて咲く薄紫の花は本当に美しいですね。

通りすがりでも、しばらく立ち止まって花を見上げています。

 

木か草かわからないほど、数mに育った皇帝ダリアの幹は太くしっかりしています。

通勤途中にもあるのですが、今年は一段と太く4〜5mまで伸びて、高いところにいくつも花をつけています。

「つけています」と書くのは、まだ現在進行中で咲いています。

寒さに弱く「霜に当たると即死」と書かれるほどの皇帝ダリアのはずですが、年末からの朝の寒さに当たってもまだ、元気です。

そうそう、年末に房総半島を回った時にも水田には氷が張るほどの気温でしたが、やはり皇帝ダリアが咲いているところがありましたし、母が暮らす地域も以前は標高が高くて咲かないと言われていたのに最近、皇帝ダリアを見かけるようになりました。

 

多年草」とあるので、もしかしたら、少しずつ植えられた場所の気候や温度に適応して耐寒性が出てくるということもあるのだろうか、とちょっと気になっています。

 

あと10年ぐらいしたら、水仙や梅と並んで真冬にも咲くようになったら、花が少ないこの季節にうれしいですね。

 

 

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