昨日は2時ごろからすごい雷雨でした。
自宅の窓から見える方向にだけでも、近くに何度か落雷がある様子が見えました。
雷雨といえば夕立。
夕立といえば、7月から8月頃の晴れた日に午後から急に風と雨雲が近づいて、雷とバケツをひっくり返したような雨が通り過ぎていった記憶しかありませんでした。
ところが最近は、「夕立」に書かれているように、様変わりしている印象があります。
時期では、梅雨明けごろから秋雨が始るまでで、夏の晴れが多い時期に発生するものを指す。異常気象により最近では、5〜6月にも夕立が見られるようになった。
さらにこれまた異常現象のせいで、近年の夕立はもはや夕立などと風情のあるものではなく、ゲリラ豪雨の形をとることが多い。
たしかに、以前は夕立と言えば30分程度で雷鳴が遠くなり、雨雲が去っていったように感じていたのですが、最近では2〜3時間も強い雨と雷鳴が聞こえることがあります。
昨日も結局、3時間ぐらい雷が聞こえていました。
小さい頃は雷がなると「へそを隠さないと雷様にへそをとられるぞ」とおどかされたのも、あれは雷様は素早く去っていってくれるからだったのでしょうね。
そして夏に暑いからとお腹をだして冷やさないようにという戒めだった「雷様とへそ」の話も、最近では真冬の夜中でもいきなり雷鳴に起こされてびっくりするほど季節感がなくなってしまいました。
<ゲリラ豪雨が使われ出した時期>
ところで「以前は」っていつ頃までだったのだろうと、記憶をたぐりよせてみると、1990年代はまだ風情のある夕立だったような気がします。
ゲリラ豪雨を読むと最初にこの言葉が作られたのは1969年でも、長いこと正式な気象庁の用語「局地的大雨」だけが使われていたようです。
ところが「局地的大雨」では伝わりきらない降り方が2000年前後から増え始めた。そんなあたりでしょうか。
ゲリラ豪雨は正式な用語でもなく日本だけで使われているようですが、まさに言いえて妙とその雰囲気が伝わってくる言葉かもしれません。
<雨季とスコール>
1980年代に東南アジアのある国に赴任したのは4月でした。
その国では真夏といえる最も暑い乾季の時期でした。
湿気がない分、30度を超えても室内ではそれほど暑くなく、扇風機があれば十分という感じでした。
あ、1980年代の東京でも最近のような真夏日や猛暑日は少なくて、エアコンがある家庭もまだ少なかった記憶があります。
夏といえば夕立と思っていたのですが、乾季は乾季。
その国では、一滴も雨が降らない毎日が続くのでした。
「6月になる前に遊びに行こう」と有名なリゾート地にも連れて行ってもらいました。
たしかに。6月になると一転して雨季になりました。
毎日、毎日、これでもかというほど雨が降ります。
雨の降り方もダイナミックです。
雨雲が近づいてくるのが見えるのです。
20m、15m、10mと近づいてきて、雨が降っていないところと降っているところの境界線がはっきりわかります。
そしてザーッと雨を降らせながら雨雲が去ると、しばらく太陽が出ることがあります。
次の雨雲が近づいてくるのも見えますから、そのわずかの時間に洗濯物を外に干して乾かすのでした。
雨季というのは、日本の梅雨とは全く違うことを体験しました。
どちらかというと夕立やゲリラ豪雨が朝から晩までひっきりなしに起こる、そんな感じでしょうか。
ただ、そんな日本の夕立のような雨が続く雨季ですが、あまり雷の記憶がないのです。
これは私の記憶違いなのか、それとも熱帯・亜熱帯の国では雷雨が少ないのでしょうか。
世の中、本当に知らないことばかりですね。
「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら。