水のあれこれ 7 <水を制御する>

小学生の頃過ごした地域では、美味しい水道水に恵まれていました。
山が多いと降雨量も増えるために豊かな地下水があったこととともに、雪解け水もその美味しい水という豊かな恵みを与えてくれました。


雪から水へ変化したその雪解け水も、量が多ければ生活の障害にもなることでしょう。


私が過ごしたのは太平洋側の山間部でしたが、「トンネルを抜ければそこは雪国だった」という日本海側の地域の水量の違いを感じたことがありました。


奥三面(おくみおもて)には小国(おぐに)を通って新潟県へ入ったのですが、山を越えた途端に川の様相が違いました。
ちょうど低気圧が通過した後だったこともありますが、濁流が荒れ狂うかのように流れている川は、太平洋側の川とはまた違う姿でした。


そして奥三面のダム建設予定地の近くまで見たあと、村井吉敬さんたちとそのまま新潟市へ向かったのですが、途中の阿賀野川信濃川の川の深さと水量に圧倒されました。
季節は7月でしたが、これが雪国の川なのかと印象に残りました。


信濃川水系の治水>


村井さんたちが新潟市を訪れた目的は、信濃川の治水事業を見学することでした。
私は新潟は米所、そして「公共事業と談合」の印象しかない田中角栄元首相の地元ぐらいの知識しかありませんでした。


20年ぐらい前のことなので記憶があいまいなのですが、たしか関谷分水の施設を見に行きました。日本海に面した河口に大きな水門が建設されていました。


1990年代は環境問題への高まりとともに、こうした河口付近の水門建設への反対運動が各地でありました。長良川河口堰もそのひとつでした。


当時、私はその著書を愛読していた野田知佑氏が、こうした川を遮るものに対してカヌーで川下りをしながら反対の表明をしていたことと、東南アジアで過ごした地域の自然な川の姿への思い出もあって、河口に建つ堰が無粋に見えたのでした。


その関谷分水の施設を見学した後、たしか信濃川水系土地改良調査管理事務所だったと思うのですが、村井さんたちはその管理事務所で話を聞くことを計画していました。
「当事者」に話を聞く、村井さんの姿勢は一貫していました。


巨大な信濃川水系と小さな支流に至るまで、水量が監視されている制御装置がその管理事務所にありました。


国土交通省「信濃川水系流域及び河川の概要」という資料が公開されています。
(235ページもあるpdfですので注意!)


その「4.37」から「4.43」に「計画高水量の変遷」がありますが、上流から下流まで常に信濃川水系は水量が観測され、適性な水量になるように放水したり排水したり調節されていることを知りました。


「4.1」から書かれている「水害と治水事業の沿革」を読むと、あの雪解け水や急峻な地形を流れてくる河川の水と、「洪水との戦いにより生まれた文化」(2.36 〜2.37)の歴史がわかります。



豪雪地域の雪のニュースを聞くと、信濃川の治水事業を見に行った日のことを思い出します。






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