記憶についてのあれこれ 88 <KJ法>

半年も続かないかなと思ったブログですが、もうじき4年になります。
人生で最長の日記かもしれません。


どうしてこんなに書くことが尽きないのかと自分でも驚いているのですが、まあ、日常の小さなことをふくらまして上げ底にした内容でもあります。


最近では電車に乗っている時や街を歩いている時に、ふと目にした光景だけでも数日分のブログになりそうなことを思いついたり、回想の世界に入り込んでいます。


思いついたらそのつどiPhoneに書きとめておきます。そうしないと、次の瞬間にはもう思い出せなくなることもあるので。


そして自宅には落書き帳があって、テレビを見ているときや食事をしている時、あるいはブログ記事を書くときにもふと思いついたことをすぐに書き留めてあります。


そして最終的には1冊のノートに、ブログのテーマになりそうな単語を記録していきます。
その単語を記入している時にもまたそこから関連した単語やキーワードを思いつくので、そのノートも2冊目に入ったのですが、書きたいことがまだまだ残っています。



そうやっていると、「これがKJ法なのかもしれない」と30年以上前に知った方法を意識しています。


KJ法をずっと意識してきたのかもしれない>


初めてKJ法を知ったのは、看護学生の授業か新卒の卒後教育の中でした。


色のついた小さい紙を何枚か渡され、テーマに関して思いついたことを1枚1枚に書き込んでいきます。
グループのみんなが出したその紙を、大きな紙に似たような内容をまとめていき、関連図のようにつなぎ合わせていくものでした。


「ブレーン・ストーミング」という言葉とともに、「あ、おもしろい」と印象に残りました。


次に院内のプリセプターになった3年目の看護職の教育係になったときに、このKJ法を取り入れて新人とそれを支えるプリセプターシップ双方のリアリティ・ショックについて対応方法を探すことをした記憶があります。


ただ、そのどちらの機会も、思いついたことを書いた紙の枚数があまりなくて、議論が深まりませんでした。
おそらく、20代の人たちにとってはまだまだブレーン・ストーミングするほどの経験がなかったことがあるかもしれません。


もうひとつ、KJ法で印象に残っていることがあります。
それは知人のジャーナリストが、ポストイットに思いついたことをどんどんと書き込んでいる姿でした。
それを紙の上に広げて、あっちやこっちへ移動しながら、最終的に書きたいことを明確にしていく手法でした。


そんなことを思い出しながら、私がブログの記事にしていくまでの頭の整理はKJ法に近いのかもしれないと思っています。


<タイトルをカード化した>


うさぎ林檎さんが私のブログ記事のまとめをうさりーぬめもで作ってくださっていて、ありがたく参考にさせていただいています。


ただ、今日の「記憶についてのあれこれ」のようにブログのテーマや連続記事がどんどんと増えて、私自身もそれをさらに整理する必要を感じるようになり、最近、紙のカードとカードケースを購入しました。


はてなにも「記事一覧」の検索機能がついているのですが、パソコンだけでは網羅できない何かを感じて、なんだかアナログの世界に戻っています。


でもたしか、KJ法の本にも最終的にカードにしていく話があったような記憶があります。


もう一度、川喜田二郎氏の「発想法 創造性開発のために」を読んでみたくなりました。
90年代に一度購入して読んだのですが、1960年代に書かれたとは思えない、古さを感じさせない本でした。





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