水のあれこれ 36 <泳ぐことを学ぶ機会があるということ>

私が小学校5年生まで過ごした小学校は寒冷地のため、プールはありませんでした。その代わり、冬には天然のスケートリンクで毎日のようにスケートで遊んでいました。


小学6年生になって少し標高が下がった地域に転校したのですが、その学校には50mの立派な屋外プールがあって、7月〜9月の初めまで、体育の授業は水泳でした。


プールのない学校から転校しても、私は楽しく水泳の授業を受けていました。


それは毎年、夏休みになると海へ両親が連れて行ってくれて海で泳ぐことを教えてくれたからだと、今になって感謝の思いでいっぱいです。
あの経験がなければ、私は転校した学校で一人泳げずに落ち込んでいったことでしょう。


父はどこで泳ぎを習ったかといえば、陸軍幼年学校だったようです。
遠泳の授業があったのでしょう。
海での泳ぎ方を教えてくれたような記憶がかすかにあります。


少し沖合にいけば全く足もつかないし、波の抵抗で自分が行きたい方向とは全く違う方向へと移動してしまう海での泳ぎ方を知っていれば、プールのように水も清明で浅く、抵抗も少ない中はそれほど怖いと思わなかったのかもしれません。


最近の小学生のようにきれいなフォームで4泳法を習っているのとは違い、当時は犬かきよりももうちょっと平泳ぎに近いぐらいの適当な泳ぎ方でしたが、水に浮かび、移動する楽しさを知ったのでした。
そして、水にあらがわないことも。


子育て中の同僚の話では、最近は小学生ぐらいからスイミングクラブなどで習っていないと授業についていけなかったり、反対に水泳の授業さえないところもあると聞いて、現代は現代で基本的な泳ぎを覚えるのにも相変わらず格差のようなものがある印象です。


1980年代半ばに東南アジアのある国で暮らしましたが、あれだけ美しい海岸線で泳ぎ放題の地域でも、現地の人たちはほとんど海へ入らないことをこちらに書きました。
「たとえ泳げる場所があっても、泳ぎを教わる機会がなければ人は泳ぐことが難しいのかもしれません」


それは、プールが整備されて来た今の日本でも、まだまだそうなのかもしれませんね。


私が本格的に水泳を始めたのは30代に入ってからですが、よくよく思い返すと、20代の頃も泳いでいました。


その東南アジアで暮らしていた地域には、1カ所だけ屋外プールがあるホテルがありました。
いついっても誰も泳いでいない状況で、難民キャンプで働く外国人スタッフの息抜きの穴場でした。
枯れ葉やゴミが浮かび、蛙やらおそらくたくさんの微生物も泳いでいる水質でしたが、難民キャンプから徒歩でも10分ぐらいだったので、海に行かない時にはそこで泳いでいたのでした。


欧米から来ているスタッフは、皆泳ぎが上手でした。
スイミングクラブで習っているのかと思うほどでしたが、普通に学校で習い、あとは泳ぎたい時に泳いでいるぐらいだったそうです。


泳ぎ方を学ぶ機会があるからこそ泳ぐことができ、泳ぐことができるからこそ高波にも負けず海に出ようとするのだと思います。


ちなみに、東南アジアのその国では泳ぎ方を学校で学ぶ機会がないのですが、島々を結ぶ交通手段はフェリーが一般的で、年に何度も沈没のニュースがありました。
整備が不十分な中古フェリーに定員の2倍近くを乗せ、さらに救命胴衣もないというシステムの問題が一番の原因だろうという印象ですが、もし泳ぎ方をすべての国民が学ぶ機会があったら、もしかしたら助かる命もあったのではないかと心が痛むニュースでした。



野口智博氏のブログの次の記事の中程に、こう書かれています。

部活動の体罰の問題、組み体操の事故の問題。数々のトップアスリートの反社会的行為に関する問題。そういった諸問題の多くは、単に「目的達成型」の選手強化やスポーツ活動という「成果主義」的取り組みが進化していく一方で、「なぜスポーツをするのか?」という哲学的問いかけが、遥か彼方に置き去りにされたことを示す事件であると、考えることができます。

まさに。
成果として目には見えにくいけれども、多くの人が泳ぎを学べる機会がある社会というのは、経済的にもインフラ的にも、そして哲学的にも成熟した社会への一歩ともいえるかもしれません。
そして一人一人が大事にされ、平和であることが前提なのですから。




「水のあれこれ まとめ」はこちら
野口智博氏についての記事のまとめはこちら