数字のあれこれ 10 <距離>

電車や人混みの中というのは、人間観察の場でもあり、精神修行の場でもありという感じです。


定員乗車率250%以上の圧死しそうな状況でも、四方八方からくる人をよけながら歩かなければいけない雑踏でも、概ね、周囲を見ていないようでちゃんと見ているクールな集団行動だと思っているので、どちらかというと感動しています。


ただ、同じように見えている電車内や雑踏でも、2〜3年で起きる変化の波があると感じることがしばしばあります。


<肘鉄を喰らうことが増えた>


こちらの記事に「だいぶ座席で小突かれることが減ったように感じます」と書きました。


2013年の記事ですが、私が携帯電話をiPhoneに替えたのは2011年の震災の少し前のことでした。
具体的な数値はわからないのですが、まだ2011年当時は周囲の人でもスマホを持っている人のほうが少なくて、電車内でも片手で携帯電話を持ってメールを打ち込んでいる人が大半でした。


その後、2013年頃にはだいぶスマホが広がった印象があります。
印象としては、1割程度だったものが3〜4割ぐらいになった感じ。
スマホも慣れれば片手で操作できますが、やはり両手で持った方が使いやすいので、電車内で脇腹を小突かれることが一時期増えました。


それが2013年頃には一旦、小突かれることが少なくなったように感じてやれやれと思って書いたのでした。


最近、あの頃の比にならないほど、電車の座席に座ると必ず脇腹を小突かれるようになりました。
一勝九敗どころか全敗という感じで、小突かれない日はないのです。


わずか数年ですが、今ではほとんどの人がスマホになって、電車内ではみなすぐにスマホを操作し始めています。
使う人の割合が増えたから、小突かれる確率が増えたのでしょうか?


<凹型の人と凸型の座り型>


私自身は他人の体が触れることは好きではないので、座席に座っている時にはギュッと肩をすぼめて、腕が隣りの人に当たらないようにしています。
服や荷物も体の一部として、極力相手に触れないように、わずか1cmぐらいの隙間でも作るようにしています。
隣りに座った人が同じような人だと、「ああ、同志よ」と心の中でほっとします。



でもそれが気にならない人もいるのですね。
こちらがギュッと体を縮めて隣りの人に触れないようにしていることも、もしかしたら見えていないのかもしれません。
「ラッキー、今日は座席のスペースに余裕がある」という感じで、私が確保したその1cmの隙間に入ってくるのです。
そうすると、また私はさらに1cm離れるためにギューッと肩をすぼめる。
さらに相手は「スペースに余裕がある」と認識する。
私は座席の極限まで追い詰められて、心の中ではムンク「叫び」の表情になりながら座っています。
「私は石である。何をされても感情も意思もない石である」と念じながら。


それを向かい側の座席に座っている人たちの行動をみると、私のような凹型に座る人の横に凸型の人がいると、ちょうどその肘が脇腹付近にあたっているわけですね。


最近、京王線内に「気がついて」というポスターがありました。
牛が座席に座ってギュッと肩をすぼめている絵が描かれています。
スマホの操作や読書でゆったりと座っている人の隣りでは、こんなに縮こまっている人がいますよということなのでしょう。


でも、きっとマナーやルールでは、なかなかこういう距離感の個人差は理解しあえないかもしれませんね。





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