散歩をする 24 <目黒川>

一時期、目黒川の近くへ行き来することがよくありました。
桜はあった記憶がありますが、まだほとんど人が気にもとめない「ドブ川」のような川でした。


「目黒のさんま」という落語があるということは知っていたけれど、現実の中では目黒とさんまはつながっていなかったので、ある時期からさんまを焼くイベントが毎年ニュースになるのを不思議な感覚で見ていました。
なるほど、このWikipediaに書かれているように1996年から始まったのですね。


3年ほど前の春、たまたま桜の時期に目黒駅から目黒川沿いに少し歩いたことがきっかけで、「そうだ。いつか目黒川を上流から下流まで歩いてみよう」と思っていました。
ということで、昨年から今年にかけて4回ほどにわけて目黒川を散歩してみました。


イメージしていた目黒川は、池尻大橋付近から中目黒、目黒・五反田を抜けて東京湾へ注ぐ川でしたが、はてと思いました。
そういえば、目黒川の源流ってどこなのだろうと。
地図を見ても、池尻大橋で忽然と川がなくなっています。
けっこう水流があるのに、どこから湧き出て、暗渠部分はどうなっているのだろう。


Wikipedia目黒川の説明を読んで、へえーっと驚きました。
まず「水源」は世田谷区内であることです。

東京都世田谷区三宿の東中橋付近で北沢川と烏山川が合流して目黒川となり南東へ流れ、品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぐ。


そして何よりも驚いたのが、この部分です。

機転(北沢川と烏山川の合流点)から国道246号の大橋までの600m強の区間は暗渠化され、それと地表部分には人工のせせらぎを抱いた緑道(目黒川緑道)が整備されており、カルガモや鯉、ザリガニなど様々な生物が住み着いている。大橋より下流は開渠となっている。現在「清流復活事業」として、目黒川を流れる水の大部分は新宿区の東京都下水道落合水再生センターで下水を高度処理したものを導いている

下落合からここまでけっこうな距離がありますが、東京の地下にはどんな下水管のシステムが網羅されているのでしょうか。


私が1980年代頃に見ていた目黒川はどんな感じだったのか、その周辺の変化がどうなっていたのか、全く記憶がないことが悔やまれます。


さて、いざ、目黒川へ。
まずは、目黒川緑道を歩いてみました。
たしかに池尻大橋から「上流部分」は暗渠になっていて、人工の川が流れています。
ゆったりと歩けるスペースで、周辺は植物もよく手入れされていました。


タモリさんが喜びそうな「いかにも暗渠の上」という昔の川の流れを感じさせる緩やかなカーブの道を歩くと、「目黒川起点」にぶつかります。どちらも歩いてみたかったのですが、北沢川を選び歩きました。住宅街の中を緑道が続いています。
きっと、70年代頃までの高度経済成長期には、生活排水もなにもかも混じってドブ川の様相だったのではないかと想像できます。



こちらの記事で紹介した「水路をゆく」という本の中で、「戦後〜高度経済成長期」の川の様子について書かれていますが、「厄介者」と表現されています。


東京オリンピックを前にした1960年代前半に、東京都が都民へ呼びかけた内容が書かれていました。

この時期、東京都は「東京ニュース」や「1000万人の話題」といった定期番組をテレビで放送し、「東京のゴミ」「河はなげく」「汚れゆく東京港」と題する番組で、川や港がゴミや工場排水で汚される様子を記録している。総武線隅田川を横断する際、季節によって悪臭に悩まされるなど、川はすでに、住民の意識からは遠い存在となっていた。環境への関心が低かったことから、水辺はゴミや生活排水を処理する施設に近い感覚が持たれていたようで、当時の様子を良く知る東京下町に暮らす高齢の方は、今でも川に対する印象は良くない。(p.72)

当時、幼児だった私も、どこか「川は臭い」という記憶が残っています。


半世紀ほどで、ここまでいろいろな意味で川が変わったのかと、夕暮れ迫る中をその緑道を歩いたのでした。






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