赤ちゃんに優しいとは 13 <江戸時代の「大人の方便」>

大人の方便の全てが間違っている訳でもなく、「いつかは泣かなくなるよ」というのは成長・発達という軸を考えれば正解に近いものでしょう。
ただ、そんな悠長な答えではなく、今すぐ使える答えが欲しいという気持ちは慰めてくれませんが。


「赤ちゃんは泣きながら肺を鍛えているのだから」
助産師になって30年ほどたちましたが、世代を越えて引き継がれていくかのようにこの言葉を時々耳にします。


どのような観察から、いつごろその言葉が生まれたのだろうと興味がありました。


現代では高校生ぐらいの保健体育や生物で人体について学ぶことでしょうし、健康や医療に関するニュースが身近にありますから、肺は日常的にも使われる言葉だと思います。
たとえ、その形や呼吸の機能を正確に知らないとしても。


医療と解剖で紹介したように、杉田玄白らが初めて腑分けを見学したのが1777年ですが、当時の庶民は人体の正確な解剖図ももちろんしらないでしょうし、「肺で呼吸する」ということさえまだ漠然としかわかない時代だっただろうと想像しています。


ですから「赤ちゃんは泣くことで肺を鍛える」という言葉は、近代医学を取り入れ、衛生に関する知識が啓蒙され始めた頃から作られたのだろうかと考えたのですが、真相は如何に。


そんなことをつらつら考えていたら、こちらの記事の「江戸時代からの育児書」で紹介した「江戸時代の育児書から見た医学の近代化」という資料の中に、「赤ちゃんは泣くことで肺を鍛える」に通じる記述を見つけました。


資料の78ページ(公開されているものの14ページ目)のあたりです。
旧字体が使われていたり、言葉もわかりにくいのでおおよその意味を書くとこんな感じでしょうか。

1〜2歳頃までの児が、日々泣くのは自然で良い機会であり、成長のためになる。泣き声を出すことでお腹の力を強し、手足を活発に動かしたり元気になる。少しでも泣くと、泣き止ませようとしてあれこれと試すことは甘やかすことになる。
富裕層の子どもは、甘やかされることで強くなるべき時期に弱くなる。

貧しい家の子どもは泣いてもかまってもらえないので、自分で手足を動かし活発で健康になる。自然に飢えや寒さを経験するので、しっかり成長していく者が多い。

案外、「赤ちゃんは泣くことで肺を鍛える」の歴史は古いのかもしれませんね。
他の国でも、古今東西、赤ちゃんが泣くことに対しての大人の方便がいろいろとあることでしょう。


たしかに観察はしているけれど、本当にそう言えるのかどうか、認知バイアスはないか、そう言うことで大人が納得したいのではないかなど、いろいろな方向から捉えなおす段階を経ていないものは、「大人の方便」と考えた方がよいかもしれないと、先日からの話を見て思ったのでした。




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