目から鱗 12 <フィルハーモニー>

昨夜、快眠の私には珍しく寝付けそうになかったので、何気なくテレビをつけたら、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で「ベルリンフィルで個性派団員を束ねる日本人バイオリニストに密着」を放送していました。


普段は「神の手」とか人をカリスマ化している番組は観ないのですが、久しぶりのクラッシック音楽とドイツの美しい街並に惹きつけられて見始めながら、またまた回想の世界へ。


音楽の素養はまったくないのですが、20代の頃は、たまに人見記念講堂や上野公会堂のクラッシックコンサートを聴きに行ったことがありました。


1980年代半ば、乾燥した風景のソマリアに滞在した時にはボブ・デイランを繰り返し聴いて慰められていましたが、その前に東南アジアに初めて赴任する時には、そうだ、クラッシック音楽のカセットテープを持っていたのだと思い出しました。
「途上国にはこういう音楽はないかもしれない」という、まったくもって失礼な偏見だけで選んだのでした。


実際にその国に行くと、これを心の琴線に触れるというというのかという音楽がありました。
1980年代の東南アジアの国々では独裁政権とか開発独裁がまだ幅を利かしていましたから、こちらの記事の<「外人が村にやってくる」ということ>に描いたような社会でした。
日本の反戦歌とかフォークソングが甘っちょろく聞こえるぐらい切実な歌を、生命を懸けて歌う人たちがいたのでした。


そういう現地の音楽に惹き込まれる反面、心の安定のバランスをとるのに、クラッシック音楽が役に立った感じです。
「なぜ難民の人たちが生み出されるのか」「なぜ貧困問題があるのか」「なぜ独裁政権があるのか」
答えのない現実の問題から逃げるために、自分の部屋に戻るとクラッシック音楽を流していました。


当時も今もクラッシック音楽については、なんとなくメロディーが好きぐらいで選ぶど素人ですが、あの頃も「有名だから」という理由でカラヤンが指揮するベルリンフィルハーモニーのカセットテープを購入したことを思い出しました。


冒頭の番組を観て、「そうだ、フィルハーモニーが正式名称で、その言葉の意味を考えたことがなかった」と虚をつかれる感じになるとともに、現在の私自身の「仕事に対する感覚」と重なり合って、久々に心に何かが残るドキュメンタリーでした。


フィルハーモニー


フィルハーモニーという言葉は知っていたのですが、どちらかというと「フィル」と略したり、オーケストラや交響楽団のほうを私は使います。


番組では、コンサートマスター樫本大進(かしもと だいしん)氏が100名の一流奏者をまとめていく様子を描いていました。
本当に、世界屈指の一流奏者であり、それぞれがプライドを持ち個性が強い奏者を束ねて演奏していくのだから、考えただけで胃が痛くなりそうです。


仕事の世界は全く違うのですが、産科診療所もそんなところがあります。
総合病院だとまだ若いスタッフが多く、経験年数による年功序列がわかりやすいのですが、産科診療所にはそれぞれの経験と価値観を持ったスタッフが集まりますから、その経験量や個性を推し測りながらひとつの目的を成し遂げていくところがあります。


樫本大進氏は30才という若さでベルリンフィルコンマスとして採用され、その試用期間中にひと言も口をきいてくれない奏者がいたのですが、1年ほどたって樫本大進氏の実力を認めたと直接話しかけて来たというエピソードがありました。


はてなキーワードではフィルハーモニーについて、「調和を愛する」と説明されています。
そうか、「調和」だけでなく「愛する」というニュアンスも入るのかとちょっと驚いたのでした。


その奏者の気落ちは推し測るしかないのですが、好き嫌いだけで口を聞かなかったのではなく、プロとしての矜持が、「この人は自分たちが求める音楽の調和をまとめられるか、それとも乱すか」というあたりを観察していたのだろうと感じました。



たぶん、それはこちらの記事で紹介したように、「『個』が明確だから、『公』が何であるかがわかる」につながっていくのかもしれませんね。


なんとなく調和するのではなく、個の違いを乗り越えて調和するためにはかなりの厳しさがそれぞれの個人にも求められるということなのかと。



久しぶりに、クラッシック音楽を聴きたくなりました。



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