鮭を咥えた木彫りの熊といえば北海道のお土産ですが、初めて本物を見たのは今から半世紀ほど前、小学校2〜3年生だったと思います。
たしか、北海道に行った父がお土産に買ってきてくれたのでした。
玄関に飾ったような気もするのでけっこう大きかったような、でも手のひらに乗せて見たような記憶もあるので、大きさについても曖昧な記憶しかありません。
木彫りの熊からは獰猛さは感じられなくて、現代のプーさんのぬいぐるみを「かわいい!」と感じるような気持ちだったのでしょう。
もうひとつ、その時に父がコロポックルの話をしてくれたのでした。
「北海道にいる妖精で大きなフキの下にいるんだよ」だったと思います。
当時は、アイヌの人たちのことはよく知らなくて、コロポックルとアイヌが私の中でごっちゃになり、そして人が雨宿りできるほど大きいフキがあることが北海道のイメージとなったのでした。
1980年代に東南アジアに暮らすようになって「先住民族」という言葉を知り、木彫りの熊がどのような経緯で作られたのかも、図書館にあった本で知りました。
<「三毛別羆事件」>
木彫りの熊のお土産を買って来てくれた時だったのか、別の機会だったのか、父は子どもの頃に北海道で暮らしていたことを知りました。
私の本籍地は東京になっていたのですが、かつて父の本籍が北海道にあったことを、父が亡くなってからの手続きの中で確認しました。
父の両親か祖父母かが、北海道に開拓移民として移住したのだと思いますが、今となってはその経緯を知ることもできなくなりました。
そして、いつ東京へ戻って来たのかも。
さて、半年ほど前、マレーガビアルというワニの動かなさに感動した時に、偶然、ワニの研究者の方のtweetを見て、ワニの背中にある突起がオステオダームということを知りました。
その福田雄介氏の「クロコダイル研究者のブログ」に「三毛別羆事件」について書かれたものがあります。
この事件を題材にした小説を読んだ記憶があって、三浦綾子氏の作品だと思い込んでいましたが、吉村昭氏だったようです。本当に、記憶というのはいい加減ですね。
ぬいぐるみなどの熊と違って実際には凶暴な面があることは知っていましたが、その小説で描かれていた凄惨で緊迫した状況に、可愛かった木彫りの熊のイメージとの差をどう受け止めたらいいのかと混乱したのが20代か30代の頃でした。
なぜ北海道の開拓移民の人は、生活を脅かす熊を、あの怖さを感じさせない木彫りの熊にしようとしたのか、と。
「三毛別羆事件」とその中にリンクされている「慟哭の谷」を書かれた木村盛武氏のインタビュー記事を読み、久しぶりに木彫りの熊に対する混乱した気持ちが甦ってきました。
「三毛別羆事件」が起きたのは1915年(大正4年)ですから、父が生まれる10年ほど前のことで、父の本籍をたどっていくと、その事件が起きた村からそれほど離れていないことがわかりました。
おそらく父は子どもの頃からその事件については聞かされていたのではないかと思うのですが、私が小学生の頃に木彫りの熊を手渡してくれた時は、子ども心に怖いと感じさせるような話はなかったのではないかと思います。
そして父からは、東南アジアの国々に対してはたまに言葉の端々に植民地時代の感情が感じられることがあったのに、コロポックルの話をしてくれた時には、なんだかどこかアイヌの人たちに懐かしいような気持ちにさせてくれるような語り方だった気がします。
父が生まれた一世紀ほど前の、北海道の様子はどんな感じだったのだろう。
父は何を感じ、考えてそこに住み、そして東京に戻った時に何を思ったのだろう。
同じ木彫りの熊を見ていても、父と私は全く別のことを見ていたのかもしれません。
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