ケアとは何か  27 <面会とは何か>

面会という言葉は医療以外でも使われますが、コトバンクデジタル大辞泉では「人と会うこと。対面」といういたってシンプルな説明だけでした。


前回の記事で面会については「教科書的に理解していた」というようなことを書きましたが、医療や介護施設での面会について、案外、書かれたものは少ないのではないかと思います。
90年代に院内感染対策が広がった頃から、「生花や鉢植えの植物を面会で持ち込んでよいかどうか」あたりが話題になったり、産科や小児科病棟での面会についての決まりごとを目にしたくらいです。


どれだけ研究がされているのでしょうね。


私自身が面会する側になって、面会者からの視点が増えたことで、「面会とは何か」そろそろ言語化されたものがないかと気になっているのですが、参考になるような資料や本はありそうでなさそうです。
頼みの綱のWikipedia家族法の面会についてだけでしたが、こうした子供に対する養育権とか面会権というのも、また新しい面会の概念の一つですね。


でもきっと広い世の中ですから、同じように面会について考えてきた先人の表現にきっと出会うことでしょう。
私の臨床経験と個人の経験を、より本質的な表現にまとめてくれるような人たちに。


<面会は重荷のケアである>



「重荷のケア」という表現はケアの語源で紹介しましたが、「心配、苦労、不安」といったニュアンスのようです。対して、「思いやり、献身」といった「気遣いのケア」が書かれています。
どちらかというと、ケアの仕事自体は「思いやり、献身」が注目されてやりがいが麻薬になるところがありそうです。困った人の相談に乗り、寄り添い、「こうしたらよいよ」と人一倍、ケアに熱心になって助言したり。


ケアする側は、面会に来る人たちもまたケアを担っていることに気づかないかもしれません。
あるいは、「家族とはこういうもの」という固まったイメージのままであったり、「あの家族はいつもそう」といった先入観や偏見で面会に来る人のことを理解していないのではないかと、自分が面会する側になって思うようになりました。
たぶん面会ひとつとっても、多くの介護や看護スタッフ、あるいは面会する人たちが日常で感じていることの言語化が遅れ、その事象にひそむ法則性がなかなか明らかにされないので、きっと多くの人が似たような経験をしながらも前に進んでいないのかもしれません。


たとえば、「家族が面会に来ると嬉しそうですね」というスタッフ側の一言も、家族を思いやっての「気遣いのケア」の一つなのかもしれませんが、今の私には正直なところ重すぎる一言になります。
「(もっと面会に来ればいいのに)」というニュアンスにまで聞こえてしまうほど。


家族の長い関係というのは、その当事者でも言葉にできないさまざまな気持ちの変遷があるので、面会に来た人へかける言葉は難しいものだと、最近は実感しています。


産科病棟だと、出産以外に切迫早産や切迫流産、つわりなどの入院もあります。
入院している妻(娘)の体調を心配し、さらに入院費などの経済的な問題、洗濯や買い物などの身の回りの世話、上の子(孫)の世話、自分の仕事との兼ね合いなど、足取りも重く来ては帰るのだろうなと、我が身に重ねてみています。
「面会、大変ですね。無理なさらないでね」
入院している本人には聞こえないところで、そう声をかけるのが精一杯なくらい、面会の人に対するケアの難しさに逡巡しています。




「ケアとは何か」まとめはこちら



面会についての記事のまとめです。

新生児のあれこれ 23 面会についての決まりごと
ケアとは何か 26 面会は非日常の時間
記憶についてのあれこれ 133 「安静時間」がなくなり、面会時間が長くなった