散歩をする   89 <江戸川「源流」を訪ねる>

災害といわれるほどの暑さがようやくおさまったので、ずっと計画していたことを実行できました。
それは江戸川の「源流」を訪ねることでした。


これまでも水元公園へ向かう途中で江戸川の堤防沿いを歩いたり、河口付近の旧江戸川沿いを歩きました。
江戸川の中流から下流というのは、荒川と同じく放水路として人工的に開削された川であることを実感していました。
ところが、上流、特にどこから江戸川が始まっているのかについては、地図をしょっちゅう眺めているにもかかわらず、案外、意識が及ばずにいました。
多摩川や荒川のように、どこかで一滴ずつ滴り落ちる湧水から徐々に川になる源流があるものだと思っていたのです。


今年6月に、首都圏外郭放水路を見にいった時に、施設の方が親切にいろいろと説明してくださいました。
その時に、「もし、時間があったら、あのあたりに行ってみるといいですよ。あのあたりが江戸川の始まりの場所で、利根川から分かれた場所だから」とはるかに見える場所を指差したのでした。
初めて、江戸川というのは利根川から分岐した川であることを知りました。


首都圏外郭放水路の展望台からみると、こちら側よりも対岸の野田市の方が堤防や街全体が少し高い場所にあるように見えました。
自然にできた川というよりは、開削したからこその高低差なのでしょうか。


私がイメージしていた江戸川の源流はなくて、「源流」とかっこ付きにしたのはそれが理由です。
教えていただいた関宿水門を見たいと思ったのですが、じきに猛暑の日々に突入。
なんと言っても日本一暑い場所を争う地域ですから、涼しくなるのを待つしかなかったのでした。


<関宿(せきやど)へ>


利根川と江戸川の分岐点には千葉県立関宿城博物館があり、東部アーバンパークライン川間駅から博物館行きのバスが出ています。
数人の乗客を乗せてから30分ほど走ると乗客は私一人になり、江戸川の堤防沿いに走り、そして利根川の堤防も見えてきました。


博物館の展望台からは、利根川から江戸川へ分かれる部分が見えます。


河川敷には公園が広がり、関宿水門まで歩けるようになっていました。
少し離れた場所からでも、江戸川へ水が轟々と音を立てて流れているのが聞こえてきました。
下流の地域を潤しそして洪水も防ぎながら東京湾へと水を流すために、この地をどうやって見出したのだろう。


博物館の展示で印象に残ったのが、「明治四十三年の洪水絵はがき」と「大正六年の洪水絵はがき」でした。
洪水の様子が写真で印刷されたものが、絵はがきとして使われていたようです。
昔、海底だった地域から、「生まれてまだ日も浅い関東の臨海沖積地」での水との闘いの歴史について、あまりに知らないことばかりでした。



関宿城博物館にあった「河川改修の年表」を転記しておきます。

1594年  会の川を川俣村(現・埼玉県羽生市)で締め切る
1595年  利根川左岸の堤および渡良瀬川右岸の堤を築造する
1596年  小名木川(現・東京都江東区)を開削する
     中条堤(現・埼玉県行田市)を築造する
1614年  備前堤(現・埼玉県蓮田市桶川市)を築造する
1621年  新川通(佐波(現・埼玉県加須市)〜栗橋(現・埼玉
     県久喜市))を開削する
      赤堀川(栗橋〜関宿(現・千葉県野田市))を初開削
     する
1629年  元荒川を久下村(現・埼玉県熊谷市)で締め切る
      荒川を付け替える
      水海道付近(現・茨城県常総市)から丘陵を開削し、
     鬼怒川を付け替える
1630年  戸田井(現・茨城県取手市)で丘陵を開削し、小貝川
     を付け替える
      布川(現・茨城県利根町)と布佐(現・千葉県我孫子
     市)を貫いていた丘陵を開削し常総川の瀬替えをする
1635年  江戸川(関宿〜金杉(現・埼玉県松伏町))の開削を
     着工する
1641年  権現堂川(栗橋〜関宿)を掘削する
      逆川(関宿)を開削する
      江戸川の開削が完了し、竣工する
1654年  3度目の赤堀川開削を行い、通水する
1666年  新利根川(押付(現・茨城県利根町)〜浮島(現・
     茨城県稲敷市))を開削する
1676年  将監川(布縁(現・千葉県栄町)〜安食(同))
     を開削する
1706年  宝永元年の大洪水への対処として、新川通を拡幅する
1728年  江戸川(金杉〜深井新田(現・千葉県流山市))を
     改修する
1729年  中川を開削する
1742年  寛保2年の大洪水への対処として、「関東利根川
     御普請御手伝」と称して全水系に渡って 改修工事が行
     われる 
1809年  赤堀川の川幅を40間(72m)に拡幅する
1826年  権現堂川の堤を修築する
1838年  浅間川の呑口(外野(現・埼玉県加須市)と佐波の
     境)を締め切る
      合の川の呑口(飯積(現・埼玉県加須市)と大高島
     (現・群馬県板倉町)の境)を締め切る
1871年   赤堀川(中田(現・茨城県古河市)〜大山沼(同))
     を拡幅する
1872年  オランダのファン・ドールン、リンドウたちによって
     我が国初の量水標が設置される
1874年  土木権頭・林友幸と土木頭・石井省一郎の連名で、
     内務卿・木戸孝充あてに「刀根川修築の建議」を提出
1875年  利根川の低水工事に着手する
1878年  島川(栗橋(現・埼玉県久喜市)と佐伯堀(五霞(現
     ・茨城県五霞町))を締め切る
1888年  利根運河(深井新田〜下三ケ尾村(現・千葉県柏市))
      の開削を始める
1890年  利根運河を通水する
1896年  関宿棒出しを大改修する
1899年  利根川の低水工事を打ち切る
1900年  利根川第1期改修工事(銚子(現・千葉県銚子市)〜
      佐原(現・千葉県香取市))を着工する
1907年  利根川第2期改修工事(佐原〜取手(現・千葉県取手
      市))を着工する
1909年  利根川第1期改修工事が竣工する
      利根川第3期改修工事(取手〜沼之上
     (現・群馬県玉 村町))を着工する
1910年  渡良瀬遊水地の築造を始める
      渡良瀬川改修工事を着工する
1911年   利根川改修計画を改訂する
      江戸川改修工事を着工する
1916年  中川改修工事を着工する
1918年  関宿水閘門の工事を着工する
      渡良瀬遊水地が完成する
1926年  渡良瀬川改修工事が竣工する
1927年  権現堂川を締め切る
      関宿水閘門が就航する
1930年  利根川第2期と第3期改修工事が竣工する
      江戸川改修工事が竣工する
      中川改修工事が竣工する
1939年  利根川増補計画を策定する
1949年  利根川改修工事の改訂計画を策定する
1965年  利根大堰の工事を着工する
1968年  利根大堰の工事が竣工する
1987年  スーパー堤防整備事業を着工する
  


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