散歩をする   90 <渡良瀬遊水地>

利根川や江戸川流域はこれまでほとんど訪れたことがない地域でしたから、私の頭の中の地図はそのあたりは白紙のような状態でした。
今年は、古代蓮を見に行ったり、利根大堰を訪れたので、なんども地図を見ているうちに利根川流域を思い浮かべられるようになってきました。


関宿水門に行ってみようと計画を立てている段階で、渡良瀬遊水地が近いことがわかりました。
近いといっても、関宿からは一旦バスで東武動物公園駅に行き、電車に乗り換えてになりますから迂回するような行き方になります。
ただ、渡良瀬遊水地のそばに駅がありますから、せっかくなら足を伸ばしてみようと欲張った計画です。


遊水地と聞くと、治水事業のひとつとして90年代からずっと意識していた言葉でした。
国土交通省利根川上流河川事務所のホームページの「渡良瀬遊水地情報」に、その仕組みが書かれています。
航空写真で見るとハート型の愛らしい形をした貯水池ですが、出水時には周辺の広大な地域が茶色い水で溢れています。

貯水池(谷中湖)と洪水調節


渡良瀬洪水池(谷中湖)は、7月から9月の3カ月間、洪水(台風などの大雨)を貯めることができるよう、あらかじめ水位を下げて洪水調節のための容量を増やしています。
また越流堤から流入した洪水は、谷中湖東側にある「流入堤」から谷中湖へ流入します。


日本最大の遊水地を見てみたいと、朝早く家を出ました。
本当は一周歩いて、湿地資料館にも行ってみたかったのですが、時間が足りなさそうです。柳生駅を降りて堤防に沿って歩き、しばらく谷中湖の水辺で休憩した後、板倉東洋大学駅から帰路につきました。


<もうひとつの目的、記憶を辿る>


谷中湖の水辺のベンチに座っていると、遠くに山並みが見えました。
その奥の方に見える山の頂きあたりが白っぽく見えます。地図と付き合わせて見ると足尾銅山周辺の方向のようです。


二十数年前に、この谷中湖のそばを通って足尾銅山に行ったことがあります。
当時、私の記憶にある谷中湖は洪水調節よりは、渡良瀬遊水地の冒頭に書かれているように「足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿させ無毒化することを目的」とするものとして印象に残っています。
確か、その足尾鉱毒事件の学習ツアーのようなものに参加したのでした。


どこをどのように通ったのか忘れたのですが、途中、たぶん所沢あたりを通ったと思うのですが、産業廃棄物処理場からの排煙で、あたり一面、真っ白い煙の中を通過しました。
ちょうど「ダイオキシン問題」が話題になり始めていた時期で、その状況を見るのもこのツアーの目的の一つだったのかもしれません。


あの1970年代のおどろおどろしい駿河湾の公害と同じことを繰り返しているのかと暗澹たる思いで足尾に着いたのですが、閉山して20年経った後も木がほとんどない風景が目の前に広がっていました。


当時は、正義感と理想に燃えていた頃でしたし、足尾銅山に関する資料や本も田中正造氏の伝記を中心にしたものくらいしか目にしていませんでした。
今回久しぶりに渡良瀬遊水地に行く前に、足尾鉱毒事件の被害はどのようなものだったのか気になりましたが、Wikipediaに書かれている「どの時代も科学的な分析がほとんどなされていないため、公害の内容はあまり明らかになっていない」という一文が、腑に落ちるものでした。


公害の事実を否定しているのではなく、公害とされたものの中には因果関係がはっきりしていなかったものも含まれていた可能性がある。
案外、こういう事実を受け止めるが難しいのかもしれません。


公害の歴史を忘れてはいけないし、でもその歴史はどのように語られてきたかにも正確さをどのように確認したら良いのか。
そのあたり、今回の散歩は自分自身の記憶を辿ることも目的のひとつだったのです。




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