畝山智香子氏の食品安全情報blogに「ニューヨーク市保健省は母乳を与える母親を支援する"LATCH ON NYC(吸い着けNYC)"イニシアチブを開始」という記事がありました。
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20120511
「新生児にとって『吸う』とはどういうことか」のあたりでも書きましたが、乳児はお母さんの乳首あるいは哺乳瓶の乳首に舌を巻きつけて深く口の中まで引っ張りこむようにして母乳やミルクを飲みます。
母乳の授乳指導の中で、適切な方法で吸い着かせることを英語で表現するとラッチオンとなります。
<2ヶ月で「母乳のみ」という統計上の意味は何か>
http://www.nyc.gov/html/doh/html/pr2012/pr013-12.shtml
地下鉄や病院に母乳のメリットを示すポスターを貼る
NYCの母親の90%は母乳で育て始めるが2ヵ月後には母乳のみの率は31%に減る
授乳方法の統計では、「母乳のみ」「混合」「人工乳」に通常分類します。
でも実際に「混合」の定義は明確ではありません。
言葉をそのまま受け止めれば、一日1回でもミルクを足せば「混合栄養」になります。
いつからかWHOのexclusive breastfeedingが「完全母乳」と直訳されて、世の中に広がりました。
かなり狭義のとらえかたになると、「出生後から薬以外のものは補足していない状態」であり、搾った母乳(搾乳)を哺乳瓶で与えることも区別されていくようです。
お母さんたちの中で「私は完母(かんぼ)でした」と、この言葉を使う方が増えてきました。でもよく話を伺うと、状況はかなり幅広いものをさしていることがわかります。
ある人は出産直後からk2シロップ以外は母乳だけでしたという意味だったり、最初はミルクを足していたけれど途中から母乳だけになったという意味で使われている方もいます。
最初はミルクを足していたけれど途中からは赤ちゃんが哺乳瓶を受け付けなくなって母乳だけになった、というのがだいたいこの生後2〜3ヵ月目に多いことです。
ですから「出産直後に90%のお母さんが母乳だったのに、2ヶ月頃には母乳のみの人が31%になった」ことは、母乳実施率が下がったということではないとも解釈ができると思います。
出産直後からの「完全母乳」を目指している側には不満足な統計だとは思いますが、多くのお母さんたちはぐずる赤ちゃんを前に試行錯誤しているのがこの生後2ヶ月頃までであり、本当に必要な支援は何かを考えることが大事ではないかと思います。
<NYCの啓蒙活動と支援策>
記事の中では具体的な支援策として、母乳の大事さの啓蒙活動として乳児の中耳炎や消化管感染症に対するリスクを減らすこと、授乳によって卵巣がんや乳がんのリスクを減らすことを強調した啓蒙活動が中心のようです。
また病院内での粉ミルクについての指導や粉ミルクのお土産を渡すことが、母親の母乳分泌不足の不安をもたらし完全母乳を続けることの妨げになるということから、「処方箋なしにミルクを買えないようにする」「病院スタッフがミルクを使用したり調乳指導に関わらない」「お土産のミルクの禁止」「院内でのミルクの宣伝禁止」などを関係団体が要求しているようです。
今までアメリカでの出産経験がある方々からお話を伺う機会がありましたが、本当に出産当日あるいは翌日には退院、出血多量でふらふらでも退院した方もいらっしゃって驚きました。
退院後は訪問看護師が授乳をサポートしてくれるものと思っていましたが、全くなく、何がなんだかわからない状態で夫と日本から呼び寄せた実母とで乗り切ったということでした。
日本のように少なくとも数日間の間、初産婦さんに赤ちゃんの抱き方、オムツの替え方、授乳の仕方などを手取り足取り説明して、少し赤ちゃんになれた状況で退院しても生後2〜3ヵ月までの赤ちゃんは授乳回数も多くぐずることが多いのでお母さんたちはとまどいます。
それにしても出産後すぐに退院して、日本のような里帰りやサポートの無い中でも31%もの人が母乳だけというのは、アメリカの女性はなんとタフなことでしょう。
これでもさらに「完全母乳率」をあげたいのであれば、それは母親に努力を求めることではない別の支援策が必要ではないのでしょうか。
まして、自由にミルクを購入できなくなること法律で決めることが「支援策」になるはずがないことです。
<母親は教育されるべき対象なのか>
ニューヨーク市のHHC President Alan D.Aviles氏がインタビューで以下のように答えています。
We are proud to have been a leader in supporting and educating mothers
on the benefits of breastfeeding.
我々は母親に母乳栄養の大切さを教え、支援する推進活動の中心となっていることを誇りに思う。
欧米では1970年代から母乳哺育への関心が高まりたくさんの活動が行われました、
現在のWHO/UNICEFの「母乳育児を成功させるための10か条」も、ラレーチェリーグなど母親たちの活動が大きな影響を与えてきたといえるでしょう。
一方で、行き過ぎともいえる方向性に警鐘を鳴らしてきた人たちもいます。
「母親の英知 母乳哺育の医療人類学」(ダナ・ラファエル、監修 小林登、医学書院、1991)の序文で、ラファエル女史の言葉が紹介されています。
女性たちは、結局のところ、乳児が確実に生きのびられるように判断を下し、安全で良好な結果に至るよう行動を積み上げていく。
退院後の現実の生活の中で、たとえ「完全母乳栄養は乳児の感染症のリスクを少なくする」と「科学的根拠」を示されてもそれがいったい母親の役に立つのでしょうか。
本当に必要なのは母親は教育されるべき対象という視点ではなく、具体的にどのような支援が可能なのかという視点なのだと思います。
このラファエル氏の本を紹介しながら、いつか完全母乳という表現を見直したいと考え続けていました。
しばらく、完全母乳という言葉について書いてみたいと思います。
<おまけ>
本当は、食品安全情報blogの3月15日の記事の中にあった「6ヶ月間母乳のみを与えるという助言は『役に立たず』あまりにも理想的」の中から、完全母乳について書こうと考えていましたがどんどん日がすぎてしまいました。
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20120315
「完全母乳と言う言葉を問い直す」まとめはこちら。