完全母乳という言葉を問い直す 4 <母乳推進の動きの始まり>

<「第7章  母乳哺育の政治学」 Only Mothers Know >


ラファエル氏の設立した母乳哺育研究センターがこの母乳哺育の調査研究を開始した1975年当時は、発展途上国の母乳哺育や乳児について関心をよせる研究者はほとんどいなかったようです。


そういう時代に、なぜアメリカ開発援助庁(USAID)が研究資金を助成してくれたかについて以下のように書いています。

われわれに資金を出してくれたAIDの政府官吏たちにとっても、このプロジェクトは大切な政治問題の解決を約束してくれるはずの調査でした。

彼らはわれわれ同様、第三世界における乳児死亡の増加は、全世界的な西欧化に伴う粉ミルクの導入によって、母親が授乳しなくなってきたことに起因すると考えていました。

今回の調査は、この事実に十分な裏づけを与えることを期待されていたのです。
乳児死亡率はあまりにも高く、深刻な問題であり、世界中の保健関係者たちは事態に対する自分たちの無力さに腹立たしさを感じていました。
こうした現状をふまえると、この問題には単純な原因とともに単純な解決策が存在すると言われて、彼らがその提案に飛びついたのも無理もないことです。


完全母乳という言葉を問い直す 2 <「母親の英知」> - ふぃっしゅ in the waterで書いたラファエル氏の研究前のとらえかたはフィールドワークによってくつがえり、その結論が第7章から書かれています。


どのようなとらえかたをしていたか、再掲します。

当時、私を含め人々は、母乳哺育は商業ベースで拡がってきた粉ミルクに侵害されている。そして母親たちがそれにのって粉ミルクで赤ちゃんを育てると母乳が出なくなる、と考えていました。
そして乳児栄養の現代的方法(人工栄養)−母乳の喪失ー乳児の死亡という図式を成立させてしまいました。



<「人工栄養ー母乳の喪失ー乳児死亡」の図式はどのようにできあがったか>



なぜ「人工栄養ー母乳の喪失ー乳児の死亡」という図式ができあがり、拡がっていったのでしょうか。
ラファエル氏は以下のように書いています。

私たちが11の異なる文化圏の日常生活に入り込んで母親たちに密着取材しながら人類学的事実の収集にあたっている時、医療専門家は近年の栄養不良の増加と乳児の死亡率の増加の原因を探るために母乳哺育の研究を始めていました。

病院ではどうしても統計的な数次や臨床例に慣れているため、医師たちはありきたりの病院のデーターや臨床経験を通じて、母乳哺育は世界的に減少傾向にあると言ってしまいました。
すると、母乳哺育はいちはやく世間の脚光をあび、研究されはじめ、まるで絶滅寸前の動物のような扱いを受けることになったのです。


具体的に、医療専門家による調査の不備について以下のように書いています。

病院で最初に行われた調査はごく簡単なものでした。
典型的には母親にいくつかの選択肢の中から母乳哺育かを選んでもらう形です。
当時は賢明な方法をとったつもりでいたのでしょうが、それが重大な誤りだったことがあとでわかりました。

母親たちは母乳もミルクも子どもに飲ませているのに、こういう質問の仕方をするとどちらかを選ばなければならなくなります。

母親1人ひとりに質問をしていくのですが、母親にしてみれば全く面識のない人から1年以上も前のことを、子どもをどう育てたか思い出してくださいと頼まれるわけです。
そういう場合、人は不可避的にretrospective response(既往反応)と言われる回答をします。すなわち、質問者の質問の意図を推し測り、質問者が聞きたがっているような回答をしたり、あるいは何か食物のようなちょっとした褒美をくれそうな答えをいったりするわけです。


こういう質問が不正確だということは日々、実感しています。
たとえば出産翌日などにお母さんたちにお産の様子を聞くと、すでに記憶があいまいになっていたりします。
1ヶ月健診で、入院中のことを聞いても漠然とした記憶しか残っていないこともあります。


また、母乳栄養に関しては、退院時、1ヵ月健診時などに、「母乳」「混合」「人工栄養」の3つに通常分類します。
母子手帳の記載事項もそうなっています。


いつもどちらにしようか判断に悩みますし、お母さんたちも同じだろうと思います。
退院時にほとんど母乳だったけれど時々預かってミルクを足した場合など、助産師によっては「混合」に○をつけます。
私は「母乳の自律授乳のペースがつかめたから、大丈夫」という意味で「母乳」に○をつけてしまうのですが、皆さんどうしているのでしょう。


お母さんたちにしても、一日に1〜2回ぐらいミルクを足した場合に「私は混合でした」と申し訳なさそうに話される方もいれば、「ほとんど母乳でした」という方もいます。
3つに分類して、何がわかるのかなぁといつも思います。


それよりは具体的に、何をどれくらい授乳したか記入する方法のほうがわかりやすいし、生活のペース、赤ちゃんのペースに合わせてミルクをどれだけ使ったのか実際の状況がわかるのですが。


妊娠中に「出産後の授乳方法」についてどのような希望があるかたずねているのですが、お母さんたちは今母乳を推進している時代であることをご存知なのでしょう、「母乳です」という答えがほとんどなのです。
本当は「適当に混合で・・・」と思っていても、助産師から「いい加減なお母さん」と思われたくないときっと思っているのだと思います。
期待されている答えを知っているということだと思います。


横にそれましたが、上記のような病院での調査から母乳哺育が減少傾向にあると導かれていきます。

母乳哺育が減少傾向にあるということで、その理由を調べていくうちに、何トンにも及ぶ調整乳の販売量と乳児の死亡率の間に相関関係があるのではないかと言い出した人が何人かいました。
大ざっぱな統計上の単純化です。
しかし、そう言いながらも、乳児用調整乳と乳児の死亡と母乳哺育の減少または削減の間には何か関係があるのではないかという疑問が調査員の間でふくらんでいきました。


こうして、よく知られているネスレ社(当時はネッスル社)を初めとする多国籍企業への批判、WHO/UNICEFの母乳推進のための動きへとつながっていきます。


次回は、そのあたりについて書かれていることを紹介しようと思います。


<おまけ>


日本語訳のタイトルも内容を的確に示していると思いますが、原文のOnly Mothers Knowをラファエル氏は最も伝えたかったのではないかと思います。
私たち母子保健に関わるは本当にお母さんたちの声にきちんと耳を傾け、本当に必要なことを知ろうとしてきたかということではないでしょうか。




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