完全母乳という言葉を問い直す 5 <調整乳反対キャンペーンの時代背景>

母乳推進運動の中で必ず出てくるのが、多国籍企業による粉ミルクの販売促進が第三世界での乳児死亡を高めたという話です。


2012-02-23 - ふぃっしゅ in the waterでも、日本ラクテーションコンサルタントの「母乳育児支援スタンダード」(医学書院、2009)の中の「開発途上国における哺乳ビン病の悲劇」についての記述を紹介しました。


また、「小児内科 特集 母乳育児のすべて」(東京医学社、2010年10月号)の「Baby Friendly HospitalとBaby Friendly Hospital Initiative」(山内芳忠氏、永山美千子氏、p.1614)の中にも以下のように書かれています。


発展途上国では、母乳哺育の衰退に伴い、多くの新生児、乳児が下痢、脱水、感染症、栄養不良などわが国では問題にならない病気でなくなっていた。それに拍車をかけたのが乳業メーカーの粉ミルク販売戦略である。
この子どもたちに対してお金や人材投入することなく、しかも確実に成果を期待できるのが母乳哺育の実践であった。


1980年代初頭、東南アジアとアフリカでの医療援助に参加したときに、その頃まだ日本ではほとんど知られていなかったこの調製粉乳反対キャンペーンを知りました。


たしかに途上国では、国内外のメーカーによる粉ミルクを目にしました。
都市部のショッピングモールの食品売り場には、山のように様々な粉ミルクが並んでいて圧倒された記憶があります。
販売量にも圧倒されましたが、なによりその価格です。大きな一缶が最貧困層の平均月収の1.5倍から2倍ぐらいの価格でした。


誰がそんなに高価な粉ミルクを購入するのでしょうか。
今考えれば、それはごく一部の階層、しかも衛生的な水も他の食料も十分に入手可能な階層の人たちではなかったかと思います。
貧困層が9割近くを占めるといわれていた当時の東南アジアの国でも、中流層から富裕層は逆に私の想像をはるかに超えるお金持ちが多く、貧富の差が激しいこととが印象的でした。


そんなに高額な粉ミルクを貧困層の人が購入して乳児死亡率が上昇したのだろうかという疑問をいだきつつも、当時はそのキャンペーンを広げて貧困層のひとたちを「啓蒙」することが途上国の母子保健では求められ始めていました。


<キャンペーンの背景にある時代>


母乳哺育は実際には減少していないのに、なぜ「人工栄養ー母乳の喪失ー乳児死亡」という考えがでて、単純な原因(多国籍企業の販売促進)と単純な解決策(母乳推進運動)が支持されていったか、当時の状況についてラファエル氏が書いています。


まず、母乳哺育の減少と調整乳の販売量の増加、乳児死亡率の間に相関関係があるのではないかと「大ざっぱな統計上の単純化」があることは、前回の記事でも紹介しました。
そして調製粉乳を販売していた多国籍企業、とりわけ世界一の乳児用調整乳の製造メーカーであったネッスル社(現ネスレ社)が主に標的になっていった様子が以下のように書かれています。


1970年代半ばになると、多国籍企業の役割と影響に関して、社会正義の観点から非常に不満が沸騰してきたのですが、その頃からやはり調整乳が母乳衰退、乳児死亡の原因だとする考えが主流になってきました。
多国籍企業の侵略的商戦は、各地の抑圧的な政治体制や非合理な経済発展と相構えて進むものと見なされ、その結果をもたらされるものは最悪の都市化と、最悪の欧米化であると言われました。


社会正義(social justice)、これは日本の社会で考える以上に強い表現であって、当時の貧困層を解放するために働いていたキリスト教関係者やNGO(非政府組織)の間でよく耳にしました。


現地のごく一部の富裕層と欧米や日本の企業の経済進出が、貧富の格差やさまざまな人権侵害をもたらしている事実もたくさんありました。
当時私が、「こんなに高いミルクを貧困層の誰が買うのか」と疑問に思いつつも、多国籍企業貧困層の搾取、だからやはり粉ミルクは乳児死亡を高くしたに違いないと信じていったのもそういう時代背景があったのです。

乳児の死亡率が高くなり、自然で健康的な母乳哺育が減少してきたのは多国籍企業やその製品がかかわっているからと一般に言われるようになりました(Raphael,1976a)。

そこで当然の帰結として、調整粉乳反対キャンペーンと母乳哺育推進運動が起きてきました。
牛乳で調整乳を製造し、販売してきた企業関係者はこれには仰天しました。
何しろ一世代前には人々に受け容れられるどころかむしろ最高の称賛をほしいままにしていたのですから。


日本では1950年代になってようやく現在の調製粉乳の原型に近いものが発売されたようです。
「人工栄養の歴史」 一般社団法人日本乳業協会
http://www.nyukyou.jp/dairy/powdered/powdered05.html


「母乳で育てたい」「ミルクを足したい」という選択の次元の話ではなく、粉ミルクがなければ死んでしまう赤ちゃんがいるわけで、本当に粉ミルクはその「一世代前の人々」には福音であったことでしょう。


どうして「一般の社会の人々は第三世界の女性や子どもの状態について何の知識もないまま、簡単に世間に流布している説を受け容れてしまい」、この調製粉乳反対キャンペーンと母乳推進運動が広がっていったのかについて、また次回につづきます。




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