新生児の表情 3 <呼吸の始まりと啼泣(ていきゅう)>

啼泣。
新生児がなくことを、ていきゅうといいます。
正確にはどれくらいの月齢の赤ちゃんにこの言葉が適応されるのかはよくわかりません。


「泣く」という漢字が含まれていますが、悲しいとかくやしいとかの感情表現とも違います。


この啼泣には、「つぎつぎと伝えて泣く」という意味があるようです。
でもほとんどの新生児は出生後しばらくは涙を出して泣くことはないので、「つぎつぎと伝えてなく」とひらがな書きのほうがあっているように感じます。


<第一啼泣(だいいちていきゅう)>


文字通り、人生最初の泣き声です。
ドラマの出産シーンでは、超元気な声で「おぎゃー、おぎゃー」が約束事のようですが、実際にはもっと静かな場合もあるしいろいろです。


小さく「ふぎゃっ」でお終いの新生児もいます。
お母さんたちには聞こえないくらいなので、心配したお母さんのほうが「赤ちゃん大丈夫ですか?」と泣き出してしまう方もいました。


羊水の中で臍帯を通して酸素二酸化炭素のガス交換をお母さんにしてもらっていた胎児から、自力で肺呼吸を始める瞬間です。


なぜどのような機序でこの第一啼泣が始まるのかは、まだはっきりわかっていないようです。
産道で圧迫されていた胎児の胸郭が広がる機械的刺激ということもあるようですが、経膣分娩で児頭が出たところですでに泣き始める気が早い赤ちゃんもいますし、帝王切開の場合には産道で体幹部が圧迫されることなくいきなり胎外に出るのですが、すぐに泣き始めることがほとんどです。
(もちろん、帝王切開の新生児には呼吸障害のリスクが少し高くなりますが)


温度差とか空気に触れた刺激によって第一啼泣が始まるという考え方もあるようですが、経膣分娩で破水した後はすでに児頭は産道内でも空気に触れているし温度差も体験しますが、それでも産道内で自力呼吸が始まるわけではありません。


どういうきっかけで自分で呼吸するようにプログラムされているのだろうと考えると、不思議ですね。


<呼吸を安定させるために泣かせる>


ふんぎゃーと大きな泣き声の新生児も、ふぎゃっぐらいの小さな声で第一啼泣が始まった新生児も、ずっと泣き続けているわけではないです。


第一啼泣で一瞬のうちに肺胞内に空気が入り肺での呼吸が始まると、しばらくはじっと呼吸に集中するかのようにしています。
ここは、本当にどの新生児も真剣そのものの表情です。


しばらくすると肺胞内の水分を出すためにまた声を出して泣く場合もあります。
あるいは、泣きたいけれど泣けない新生児のようであれば背中をこすって刺激をして泣かせることで肺胞内の水分が出ることを助けるようにします。
泣くと口の中に粘ちょう性の肺胞液がたまってくるので、吸引して取り除くことが必要な場合もあります。


この第一啼泣のあと十分に肺胞内の水分を外に出すことができたかどうかは、その後の新生児の呼吸が安定するかどうかに影響を与えます。
水分の引き方が不十分だと生後数時間ぐらいたってから新生児一過性多呼吸という状態になることもあります。


ここは新生児も真剣なら、分娩介助する側の医師や助産師・看護師も真剣そのものの時間です。


かっと目を見開いて手足をつっぱらせていたり、逆に目を閉じて手足の緊張がなかったり、そんなときにはためらわず泣かせて刺激して呼吸が安定するように介入が必要になります。


「やった!自分で呼吸ができた!もうこれで大丈夫」とじっと静かにしている新生児なのかどうかを見極めるためには、全身の観察とともに、たくさんの新生児の出生直後の状態とその後の経過を地道に体験すること以外にはないといえるかもしれません。


この第一啼泣の直後の新生児も、言葉ではうまくできない表情の変化やさまざまな状況があります。


第一啼泣、ここで新生児が伝えたいことは「呼吸が安定しているかどうか」の一言に尽きるのではないかと思います。


新生児を迎える側の私たちは、感覚的な「大丈夫」ではなく、呼吸数や呼吸の状態、呼吸音の聴診、時にはサチュレーションモニターを使って、新生児のこの「呼吸が安定しているかどうか」という声をできるだけ正確に通訳する責任があるということです。


<出産の文化的あるいは感情的側面>


1970年代以降、出産や新生児に関してたくさんの文化的なアプローチがありました。


私も助産師になったばかりの二十数年前は、そういう出産に対する運動にかなり影響されていたほうでした。


暴力的な出産という文脈で、「病院で生まれた赤ちゃんは出生直後に大きな声で泣くけれど、助産院では静かだ」という言説も今もあちらこちらで見かけます。助産院や自宅分娩を勧める話の中で、医療介入批判の中で、出生時のトラウマのような話、あるいは自閉症など発達障害を「予防する」というような話の中で繰り返し繰り返し使われます。


今は、はっきりと否定できます。
病院で生まれた新生児も、第一啼泣のあと呼吸が安定していれば泣き続けない場合もあるし、泣かせる必要がある新生児もいるということです。


助産師が「いいお産」とか「暴力的でないお産」という言葉の方を大事にしすぎると、手を出さない方がよいという思い込みから必要な医療介入が遅れるのではないかと心配です。かつての私自身がそうだったように。


新生児の表情について、まだ続きます。