新生児の表情 4 <何を伝えようとしているのか>

前回書いたように、産声というのは肺呼吸を始めるための第一啼泣(ていきゅう)という意味があります。


その後、新生児は何をどのように伝えようと表現しているのでしょうか。


<声のトーン>


胎児は水の中ではもちろん声を出すこともなく成長しています。
それがこの世に出た瞬間から、声を出せるということが不思議で不思議で仕方がありません。


しかも、刻々と、声のトーンや強弱などのバリエーションを増やしていきます。


最初は、「ギャーーー」というおなかの底から搾り出すような声で、力の限り叫ぶことが多いです。
生まれた直後にお母さんに少し抱っこしてもらったあと、ウォーマーの上で新生児の全身を観察したり計測する施設が多いと思います。


体を拭かれたり、メジャーであちらこちら測られたり、一番恐怖なのがあの硬くて不安定な体重計の上にのせられる時かもしれません。
全てが人生最初のことばかりなので、「何だ!何をしているのだ!危険だ!」と絶叫に近い泣き方になります。
そりゃぁ、赤ちゃんにしたら「体を拭く」「オムツをつける」「服を着る」という概念もないし、びっくりの連続だと思います。


新生児がよく泣くこの計測類も、「母と子を暴力的に引き離して、病院側の都合を優先」と批判されやすい部分でもあるのですが。


うちのクリニックではもう孫がいてもおかしくない年代のスタッフが多いのですが、こういう出生直後の計測の時にも、「おー、よちよち、大丈夫よー」と自然と赤ちゃんと会話をしています。
最初は絶叫だった新生児が、次第に声のトーンを落として「ん?ここまで呼ばなくても大丈夫かな?」とだんだんと静かになることが多いです。


そう、新生児の啼泣はまずは危険を感じたときに知らせようとしているのではないのかと思っています。


まぁ若い世代のスタッフだと、ちょっと新生児に話しかけるのは照れくさいですよね。でも、話しかけてみると、生まれた直後の新生児でもふと泣き声のトーンが変って落ち着いてきます。


その後、新生児の危険度を伝える声のトーンはだいたい3段階に落ち着いてくるように感じます。
「ギャーー」(危険度マックス!)
「うんぎゃぁ、うんぎゃぁ」(ちょっと危険だからちゃんと見守ってよ!)
「ふんぎゃ、ふんぎゃ」(これは体験したから自分だけでも大丈夫だけれど、でもアンテナはちゃんと向けていてね)
・・・ってところでしょうか。


*<水の中>のタグがついている話は根拠に乏しいので信じ込まないように。


<表情はどのように変化していくのか>


学生の頃、新生児の感情というのは「快、不快」から始まってだんだんと喜怒哀楽といった複雑な感情へ発達していくと習った記憶があります。



でもどちらかというと、「危険か。危険でないか」から始まっているように私個人は感じています。


出生直後から生後2日ぐらいまでの新生児は、「ギャーー」という危険度マックスの泣き方をすることがよくあります。
声だけでもすごいのですが、その表情もまた「危険度マックス」を表現しています。


よく漫画で赤ちゃんが泣いているのを描くときに、目のあたりをバッテンで表現しますが、出生直後の新生児は本当にそんな感じです。


眉間のあたりの表情筋から最初に発達していくのでしょうか。
眉間の縦じわ、横じわ、すべてをぎゅーっと寄せ集めて、まるで鬼瓦か歌舞伎役者かのような表情になります。
それだけでも迫力があるのですが、顔中に血液が上ってきたかのように真っ赤になるので、もうその表情だけでお母さんたちをおろおろさせるのに十分です。


そして額の産毛の薄黒さもこの表情に深みを持たせるのに一役買っているのではないかと思います。
口も、下唇が四角いかたちになって大きく開くので、それはそれは恐ろしい形相になります。
ギャーーのあとに下顎を震わせて「ぎゃーーー、アワワワーー」と、必死さをアピールします。


この危険度マックスを表現できる演技力が備わっていることに、またまた感動してしまいます。
胎内では、こんな表情をすることはなかったでしょうに・・・。


最初は何か察知すると全力でこの「危険度マックス」を表現していた新生児も、時間とともに、「ギャ」と危険度マックスを表現しそうなところでふととまって「ま、いいか」のような泣き方が出始めます。
そう、周囲の人が先に気づいて近づいてきたり、声をかけた時です。


周囲の人間との信頼関係なのかもしれませんね。
呼ぶと呼びかけに応えてくれる人がいるということを学習しているのかもしれません。


生後2日を過ぎる頃には鬼瓦のような表情や危険度マックスの泣き方が少なくなって、リラックスした表情が多くなるような印象があります。


新生児は何を伝えたいのでしょうね。