「産む力」「生まれる力」と院内助産

女性には本来「産む力」が備わっている。赤ちゃんにも「生まれる力」がある。


「自然なお産」という流れ、あるいは「医療介入の不要なお産」という流れではよく耳にする表現です。


女性の体が妊娠準備のために周期的に変化し、受精卵の着床から分娩までそれは言葉につくせないほどの巧妙さで維持されていきます。


また胎児も、分娩の時期に合わせて産道内を回旋しながら下降していきます。
それは少しでも角度を間違えれば、途中で分娩が止まってしまうほど巧妙な動きの連続です。
たとえば骨盤内に入り始めるときに、胎児は自分の顎をぐっと引いて屈曲位という体勢をとります。その顎の引き方が足りないだけでも、児頭の後頭部から骨盤内に入ることができずに「回旋異常」になってしまいます。


「産む力」「生まれる力」たしかにあると思います。


でもそれが自己の「万能感」のように使われると、言葉は独り歩きをして何か大切なことが忘れられ、便利にその言葉が使われてしまうような気がします。


<院内助産と「産む力」「生まれる力」>


「産む力」「生まれる力」は以前から、自然なお産の流れの中でよく使われていたと記憶しています。
最近、特にその表現をよく目にするのが「院内助産」の紹介文です。

院内助産では、産婦さんが持つ「産む力」と赤ちゃんがもつ「生まれる力を引き出し、その力を最大限に発揮してできるだけ自然なお産ができるようにします。

院内助産では、本来産婦さん自身が持っている「産む力」と赤ちゃんが持っている「生まれる力」を引き出し、できるかぎり自然なお産ができるように家庭的な雰囲気の中で助産師が寄り添い支援します。

本来、もともと女性に備わっている「産む力」と赤ちゃんが持っている「生まれる力」がハーモニーを奏でるようにうまく響きあう時、自然なお産が安心で安全なものになります。

本来、女性は自分で自然に出産する力を備えています。

ママに備わった「産む力」赤ちゃんに備わった「生まれる力」を最大限に発揮できるようお手伝いをさせていただきます。


同じような文章を並べましたが、これは全国で「院内助産」を始めた病院のHPから抜き出したものです。


この「産む力」「生まれる力」とともに「日本に古くからある助産院での自然でアットホームな良さを取り入れたシステムです」という文章も、いくつかの病院で使われていました。


どうも最近のトレンドのようです。


これだけ同じような文章が使われているのは、何か影響を与えているものがあるのではないかと思っています。


まったく推測ですが、これかなと思うものがありました。
日産婦医会報(平成18年02月)
助産科 −産科医療の新しい方向性ー」
兵庫県 佐野病院 三浦 徹
http://www.jaog.or.jp/japanese/jigyo/taisaku/kaihou/H18/H18-02.htm


この中の「助産科誕生の背景」には、以下のように書かれています。

産科医療、特に分娩管理について振り返ってみると、安全性を追求するあまり、技術主義的な出産にこだわり続けてきたことに気付いた。約18年前のことである。時を同じくして、開業を夢み、助産師本来の活動がしたいという、Midwife
spiritsに溢れた二人の助産師と出会い、母子の自然に産む力、生きる力を引出し、産婦主体の分娩管理を行いたいとの想いが助産科誕生の背景である

そして「助産科とは」に、以下の文があります。

2.日本に古くからある助産院/自宅でのアットホームな「お産」の良さと、医療設備の整った病院内での安全性の高い「分娩」という両者の良さを兼ね備えたシステム。


「日本に古くからある助産院/自宅でのアットホームな『お産』」という表現に関しては、助産院はけっして古い歴史があるものではないことを、「助産師だけでお産を扱うこと 1 <日本で助産婦が出産の責任を負っていた頃>」http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20120325で書きました。


助産所での出産は、1950(昭和25)年に初めて登場し、この時点での助産所における出産の割合は0.5%であった


産婆・助産師(婦)の活動というのは、1950年まではそれぞれの独立した助産婦が自宅に赴いて出産介助する形態でした。
出産が医療施設で行われ始めた1950年代に、助産師の歴史の中では初めて助産所という「助産師による施設分娩」へ移行したわけです。
そしてその助産所も1970年に全分娩の10%を占めた時代を境に衰退し、現在の1%程度になっています。



ちなみにこの佐野病院の助産科は、院内助産の先駆けともいえる存在で運営方法を紹介した助産師向けの本も出版されました。
正確な年は確認していませんが、ここ数年の間に産科医不足でその助産科は閉鎖されたと記憶しています。


佐野病院の助産科誕生の背景にある平成元年頃というのは、世界中で助産婦の存在意義を求めて運動が高まっていた時期でした。
医師のいないところで開業して分娩を扱うのはリスクが高すぎるけれど、助産師だけの分娩管理をしたいという思いが助産師の中には脈々と続き、「院内助産」という言葉まで作られました。


そういう流れに、「産む力」「生まれる力」あるいは「日本に古くからある助産院/自宅でのアットホーム」がキャッチコピーとして使われているのだろうと思います。


しばらくその「院内助産」について考えてみようと思います。