院内助産とは 1 <「院内助産」いつ頃から使われたか>

「院内助産」、ここ数年でマスコミの報道などでも耳にするようになりました。
きっとなんとなくよいイメージができあがっているのではないかと思います。


私からみたら、「院内助産」という言葉はもっと違うニュアンスでずっと前から使っていました。
きっと私と同じ世代の助産師なら、そういう人もけっこういるのではないかと思います。


<院内助産の言葉はいつ頃から使われてきたか>


ちょうど二十数年前、前回紹介した佐野病院が「助産科」に向けて動き始めた頃は日本でも「自然なお産」「医療介入のないお産」を求める動きが高まって、昔ながらの開業助産婦さんたちに再び注目が集まっていました。


それまでは風前の灯だった分娩を取り扱う助産所も、当時30代、40代の若い助産師が新規開業をするなど活気を取り戻していました。


助産婦学校でも助産所実習を取り入れるところが出始めていました。
当時の助産婦教育課程は、通常、大学病院や国公立の大きな病院の付属の専門学校で行われていましたから、ハイリスクも扱う病院実習と比べて助産所の「家庭的」なイメージは学生にとっては大きなインパクトがありました。


卒業して就職したのは民間の総合病院でしたが、「自然なお産」の中で批判されるほどは医療介入も医療機器の使用も少なく、自然に陣痛発来を待ち自然な経過を見ていました。


分娩台は使用していましたが、児娩出直前にセミファーラー位(半座位という上体を起こした体勢)になってもらいましたが、それ以外は自由でした。


何よりも、分娩経過は入院の判断から、児娩出直前まで助産師に全て任されていました。
それはローリスクだけでなく、合併症やハイリスク、誘発分娩なども医師の指示のもとに助産師が経過を見て、必要であれば医師の診察や処置をしてもらっていました。


特に夜間は、異常がなければ赤ちゃんの頭が出る頃に産科の先生を呼ぶぐらいでした。


次に就職した総合病院も同じような感じでした。


病院の出産も世間で批判されている程、医療介入が多いわけではないし、入院の判断から分娩経過も異常がなければ助産師にまかされていたので、当時助産所が話題になリ始める中で、「私たちだって院内助産所だよね」と言っていました。



「院内助産所」の由来はそのあたりだろうと思います。
自然なお産は病院ではなく助産所のようなところでしかできないかのように世間にアピールしようとする人たちに対して、それは実情とはちょっと違うという揶揄をこめたニュアンスだったのです。



「院内」「助産(所)」。
どんどんとこの言葉が独り歩きしていますが、この2つの言葉には大きな矛盾があります。
それは、助産師が死守したいからこそ矛盾となってしまうことが。


次回は、定義について考えてみたいと思います。





「院内助産とは」まとめはこちら