院内助産とは 6  <産む人にとっての「院内助産」>

出産場所を選ぶというのは、なかなか大変だろうと思います。
最近は「選ぶ」余地もない地域が増えてきたようですが。


日本の場合、ローリスクの出産は診療所、ハイリスクほどではないけど医学的管理が必要な場合は総合病院、そしてハイリスクは周産期センターでの出産とリスクからみた棲み分けがうまく機能していたのではないかと思います。


それでも妊娠中何も問題もなく経過して、「ここで産みたいと思っていました」という産婦さんを分娩直前や分娩中に周産期センターに搬送しなければならない事態も出てきます。


産婦さんにとってはイメージしていた出産を受け止めなおすだけでも大変なのに、出産の間際になって産む場所まで移動しなければいけないというのは負担が大きいことだと思います。


それでも、母子の生命の危機を乗り越えるために、あえて搬送という手段を選択しなければならないことがあるのです。


<「院内助産」を選択するということ>


出産病院を選択するのも一大決心がいると思います。


さらに院内助産システムを取り入れている病院では、妊娠経過が問題ないという見通しが出てきた頃に、「院内助産所」か「医師主導の分娩管理」かという選択をする必要が出てきます。


ある病院の「院内助産院コース」と「医師コース」は、出産の違いを以下のように説明していました。

「院内助産院コース」
あなたが持っている産む力と赤ちゃんが持っている生まれる力
それを最大限に発揮できる
自然なお産

「医師コース」
自然分娩
誘発分娩
帝王切開


「自然なお産」と「自然分娩」の違いって何でしょうか?
誘発分娩、帝王切開も「あなたが持っている産む力と赤ちゃんが持っている生まれる力」が必要なので、医師コースにも同じ言葉があってよいと思います。


「今のところ妊娠経過に問題がないので、医師コースでも院内助産院コースでも出産は可能です。ただし、分娩は何がおきるかわかりません。院内助産院コースでは医療介入ができないので、分娩途中でも医師コースに移動する可能性はあります。」という説明を受けたら、それなら最初から医師コースでという方もいることでしょう。


それでも「院内助産院」を選択する方は、どのような思いから選択されるのでしょうか?


別の院内助産所を開設している病院では、以下のようなことが書かれています。

院内助産院での出産までの流れ
自然なお産のためには、お母さま自身が妊娠・出産に対し、心と体の準備をしていただくことが大変重要です。医師の健診と助産師の健診を受けていただきますが、助産師の健診では、お産に向き合うための心身の準備をきめ細やかにサポートさせていただくため、完全予約制でゆっくり時間をかけてお話をさせていただきます。


きっとこういう言葉と、「院内助産」をアピールするための写真などを見て、自分の出産のイメージができてくるのでしょう。


でも「自然なお産のための心と体の準備」で、根拠のある話ってどれくらいあるのでしょうか。


現在、推奨できるだけの根拠がでてきているのは非妊時のBMIを基準にした適切な体重管理、バランスのとれた栄養、妊娠中の感染予防(早産予防、生ものなど食事からの感染など)と、腰痛その他マイナートラブルを軽減させることぐらいではないかと思います。


それは院内助産所だけではなく当然すべての妊婦さんに必要なことであって、妊産婦の保健指導に従事する全ての助産師は、最新の知識をアップデートしておく必要があることです。
それ以外は、「効果は検証されていない」ことにすぎません。


アロマやリフレクソロジーでリフレッシュしたり、ヨガやマタニティスイミング、マタニティビクスなど体に負担がかからなければ自由ですが、「気持ちがよかった」程度の効果にすぎないものです。



医師コースにはない「自然なお産のための心と体の準備」のノウハウが本当に助産師にあるというのならば、実証する必要があることです。


今まで助産院の中で根拠が明確でない民間療法などをたくさん取り入れて「体作りをしたから助産院で出産できた」と妊婦さんに思わせてきたことの弊害は、見過ごすことができないほど大きいものになってきました。


「自分の努力で出産も思い通りにできる」という思い込みは妊婦さんの中に誤ったエリート意識を作り出します。


妊娠経過がうまくいったから「院内助産院を選択できた」、反対に妊娠経過に医学的な管理の必要が生じて「医師コース」に「行かざるを得ない」と思わせてしまうようなグループ分けを同じ病院内でする必要があるのでしょうか?


出産時の異常とは、妊婦さんの努力に関係なく起こります。
私たちには、胎児の首に臍帯が巻きつかないようにさせるなんてことはできないですし、癒着胎盤にさせないこともできません。


お産は終わってみないと正常とはいえないということなのです。