院内助産とは 12 <産科医による医療介入への反論>

1980年代頃から病院での出産に対する医療介入への批判、そしてより自然なお産を求める社会の動きに反応したのは助産師だけではなく、産科の先生方の中にもいらっしゃいました。


1990年代に「自然なお産」「産む人が主体のお産」などを考える集会に行くと、そうした熱い(!)産科の先生も参加されていて当時は心強く思ったものでした。
そして「出来る限り医療介入をしない」ことを掲げる産院もぼちぼちと増えた時代でした。


そういう先生方は、「助産婦さんたちにお産とはどういうものか、自分は教わった」と、おおむね助産師を高く評価していらっしゃって、助産師もまた好意的にそういう先生方を同志のように感じていたのではないかと思います。


<産科医が助産師を評価するということ>


私が勤務した総合病院も、医学部を卒業したばかりの研修医の先生たちを受け入れていました。現在の研修医制度ではなく、当時はそのまま産科医になることをめざした若い先生たちでした。


分娩の時には、食い入るように助産師の分娩介助を見ている先生もいました。
ハイリスクの分娩が多かったり教育機関の役割がある大学病院と比べれば、市中病院のお産はそれこそ「手を出さない、待つお産」に見えるのでしょう。


初産婦さんでも会陰切開をいれることなく裂傷ができれば縫合することや、当時は全国でもまだ少数だった夫子供の立会いも始めていた病院でしたので、それはそれはカルチャーショックだったのではないかと思います。


研修期間を終えてその病院に就職する頃には、すっかり助産師のやり方を尊重してくれるようになっていました。
だから、私たちも好き放題にさせていただいたのですが・・・。


<産科学への反動的な思い>


けれども2012-06-30 - ふぃっしゅ in the waterの<強い感情は新しい世界への扉>で書いたように、産科の先生たちにとって助産師の分娩介助から強いショックを受けた時に、反動として自らが学んできた産科学への反発にもなりうるのではないかと最近は思っています。


たとえば、助産科を初めて立ち上げた佐野病院の三浦医師は以下のように書かれています。
日産婦医会報(平成18年02月)
http://www.jaog.or.jp/japanese/jigyo/taisaku/kaihou/H18/H18-02.htm

産科医療、特に分娩管理について振り返ってみると、安全性を追求するあまり、技術主義的な出産にこだわり続けてきたことに気付いた。約18年前のことである。時を同じくして、開業を夢み、助産師本来の活動がしたいという、Midwife spritsに溢れた二人の助産と出会い、母子の自然に産む力、生きる力を引出し、産婦主体の分娩管理を行いたいとの想い助産科誕生の背景である。


また前回の記事で紹介した葛飾赤十字日赤で院内助産を立ち上げ、その後、初代の聖路加クリニック所長を勤められた進 純郎(しん すみお)氏は、医学書院から出版された本の「序」で以下のように書いています。
「正常分娩の助産術  トラブルへの対応と会陰裂傷縫合」
進 純郎/堀内成子、医学書院、2010年8月

遷延分娩に関しても、理論に根ざした管理が助産師側にできていないため、ほとんどの施設で分娩が遷延すると産科医による分娩促進が行われています。
その結果、胎児機能不全を誘発させ、吸引・鉗子分娩、帝王切開になる症例があとを絶ちません。西洋医学偏重は自然なお産の流れを中断させ、母児に多くの合併症を招いています。今こそ代替医療(alternateive medicine)をも用いたお産の管理が必要です。 
本書は助産師のケアによりスムーズなお産の進行を促進させること、会陰保護により会陰裂傷を予防すること、助産師が自ら会陰裂傷縫合の技を身につけることなどを目的にしています。
(中略)本書が安全に、安心して満足な院内助産遂行のために役立てていただければ幸いです。


もうひとつ、院内助産よりさらに「進化した」バースセンター構想をたちあげていらっしゃる済生会宇都宮病院産婦人科医長 飯田 俊彦氏は、院内助産システムを進める理由の一つに「正常分娩の良性・悪性のサイクル」という点を強調されています。

医制通信 7 「第46回講演会 『助産師による出産ー10年の試行錯誤 (周産期医療の戦国時代を生き抜くために』
http://www.iryoseido.com/toukou/kaihou-200804.pdf

砕石位とバルサルバの組み合わせは、子宮の血流量が減少して、一過性の赤ちゃんの徐脈へとつながる。助産師さんたちは、これは大変だといって、医師をコールします。医者が来て心音が下がっているからといって、鉗子とか吸引とか、お腹を押して急激にお産をさせようとすると、当然分娩時間は短いわけですから、会陰切開しませんと切れてしまいます。結局は医療介入分娩になって、助産師からは結局医者はいないと駄目だねということになります。アクチィブバース(*ママ)でいろんな体位を取ると、子宮血流量が温存でき、胎児心音も安定し、助産師さんの監視の下にゆっくり時間をかけていきむことが出来て会陰切開も不要になるケースが多くなるのです。
 これが自然分娩で、助産師だけでお産が出来る、だから院内助産院をやり、バースセンターを作る時には、こういった流れに乗せない限り、必ず医者が呼ばれて、いないとやっぱし駄目だよとなります。


また飯田医師は、「産科と婦人科 2010年10月号  『特集 産科医と助産師の連携はどこまでできる』」(診断と治療社)の「医師から見る院内助産」の中で「従来の標準的分娩様式とは砕石位分娩体位とバルサルバ手技とよばれる娩出期の怒責を基本としている」としたうえで、以下のように書かれています。

医療介入はこのような過程を経て成立するのであるが、言葉を変えれば従来の標準的分娩様式を継続する限り、結局医師はすべての出産から解放されず、院内助産院の実施など不可能との結論に至るだろう。つまりこの状況を回避するには、医療介入分娩法を見直し、自然分娩を基本とした分娩介助法を構築する必要がある


バルサルバというのは、大きく深呼吸をして息をとめて思いっきり長くいきむ娩出方法です。


時には必要な場合もありますが、通常は強い怒責感が自然に出てくるまではいきまないで待っていれば自然と児は産道を下がってきます。
すでに20年以上前から、私自身はこうした無理な怒責を積極的にすることは避けていましたが、いまだにそれが「標準的分娩様式」なのでしょうか?



紹介したお二人の産科医の持論ともいえる方法以外にも、「自然なお産」を勧める産科医が書かれた出版物には、独自の自然分娩方法論なるものがあるように思います。


一部は同意できることもあるので、そういう先生方の主張は助産師の賛同も得やすいのではないかと思います。


反面、実際の分娩介助はそれだけではではうまくいかないことの連続だと思います。
ひとつとして同じお産というものはないので、分娩経過の中でどこで医療介入をするか、どこまで待つかはその時の状況で悩みながら答えを出していると思います。
それは一言で、「安全性を追求するあまり、技術主義的」「西洋医学偏重」と言えるほど単純なことではないものです。
ですから多くの産科医の先生方は、このような独自の分娩方法論には距離を置かれるのではないでしょうか?


またたとえ同意できたとしても、それが院内助産を推進する理由になりうるのでしょうか?
適切な医療介入はどのようなものかは、全ての産婦さんにとって大事なことだと思います。


産科医の先生方もまた、当然ご自身の理想とする産科医像や出産の場などがあるのだと思います。
「できるだけ医療介入をしないで待つ」のは、医師のさじ加減のようなものでもあるのでそれを試すのは構わないと思います。


ただ「医師が出産に立ち会わない」ことを認めてしまうのは、まだ時期尚早なのではないかと思います。





「院内助産とは」まとめはこちら