院内助産とは 19 <助産師の病院嫌い その1>

看護系の専門医療職には、保健師助産師、看護師があります。


この中でなぜ助産師には「病院嫌い」を公言する人が多いのだろうと、不思議に思っています。
いえ、たぶん人数的に多いのではなく、公言する人は少なくても声が大きく感じられるというところでしょうか。


助産師の病院批判、いったい何を批判しようとしているのでしょうか。


<戦後の助産師(婦)活動の場の変化>


よく目にするのが、戦後GHQの指導によって医師主導の分娩になったという話です。


大分県立大学看護科学大学、宮崎文子(ふみこ)氏の論文からの引用です。
「時代が求める自律した助産師への期待」 看護科学研究vol.8,40-45(2009)
http://www.oita-nhs.ac.jp/journal/PDF/8_2/8_2_4.pdf

2.2 終戦後の助産師の活動

 第二次世界大戦敗戦後のGHQの指導下(アメリカ医学の導入)での医療改革により、これまでの助産の歴史は一変した。お産は、アメリカで行われている医師主導による施設分娩が推進されるようになり、厚生省もこの方針に協力し、分娩は医師と看護師でよいという助産師不要論が浮上した。しかし、世の中は、依然として自宅分娩が中心であり、これを支えてきた産婆会幹部の必死の説明と抵抗により、GHQは日本の状況に理解を示し、昭和23年に制定された保助看法では、明治32年に制定された産婆規則の内容が、ほぼそのまま引き継がれ、現在に至っている。


これに関連して助産師の中で語り継がれている話があります。
私自身が助産婦(当時)学生だったときに助産師会の方から聞いた記憶があり、その後も幾度となく文献などでも目にしています。
それは次のような内容です。

アメリカ人からみたら看護師の資格もなく、半年で資格を得て自宅分娩の介助をしている日本の産婆はとてもレベルが低い職業だと思っていたようだ。
当時GHQが行う研修に参加すると、若いアメリカの看護師から沐浴の方法を「教えられ」て、そんなことも知らないと思われていたのかと皆腹を立てていた。
そのうち、日本の母子保健の状況が世界に比べても良いことに気づいたGHQのマチソン女史が、日本の産婆を重用するべきということに気づいた。

時々耳にする話なので、よほど当時の日本の産婆にとっては屈辱的な時代だったのだろうと思います。
それから30年以上過ぎてもなお、助産婦学生に語り伝えるぐらいだったのですから。



宮崎氏の論文では、さらに施設分娩へ移行してからの状況を以下のようにまとめています。

2.3 助産師業務(開業)が消え行く危機
 施設分娩への移行に伴い、産科診療所は助産師不在となり、分娩介助者は助産師から医師に移行し、分娩への人工介入が多くなっていった。分娩の大部分が施設分娩に移行した1970年代以降、保助看法第3条に示される助産師の自律した業務(開業)は病院・診療所ではできにくい環境になり、助産師の正常産取り扱いも医師主導の体制に組み込まれていった。このような体制が定着した病院組織の中では、本来の助産師業務の復権の壁は厚く、病院助産師の実践力も弱体化していった。


1960年代の施設分娩化の時代に、どれだけの助産婦(当時)がどの施設でどのように働いていたのかについての資料を探しているのですが、まだ見つけられません。


助産師の正常産取り扱いも医師主導の体制に組み込まれていった」
それに関して、日本助産師会会長加藤尚美氏は「季刊ナースアイ」2011 Vol.24 No.1 通巻200号(桐書房)の「特集 周産期医療サービスの展望と可能性を探る」の「出産の『施設化』『医療化』の進行の中で、助産師の専門性、新しい活動の可能性を探る」というインタビュー記事の中で以下のように語っています。

私が助産師として業務を行っていた頃は、正常な出産のときは全部助産師に任され、異常の場合のみ医師に報告をし、医師の判断で医療を提供してくれました。(p.60)

そしてそれに対してインタビューアーの濱松加寸子氏(聖隷クリストファー大学看護学部助産学専攻科教授)も、以下のように応えています。

40年ほど前の病院では、医師と助産師の役割は明確であった。その後助産師が医師に対して依存するようになったり、指示を受けることが多くなった状況の中で、改めて両者の役割を明確にすることが言われてきました。助産師の活動は昔へ回帰するのではありませんが、今日新しい医師との関係が求められていますね。


年代的にこのお二方はすでに施設分娩が中心になった時代の経験を語られています。
その当時、正常産は助産師に任されていたという自負をお持ちの内容です。


ある人にとっては分娩の施設化によって正常分娩も医師主導になったと感じ、ある人にとっては分娩の施設化後しばらくは正常分娩も助産師に任されていると感じています。



そして現在でも、大学病院などで働いている人にとっては「医師主導」と感じることもあるでしょうし、私のように分娩経過のほとんどを助産師に任されていると感じる人やそういう医療機関もあることでしょう。


つまり、みなそれぞれ印象論であったり個人の体験談でしかないわけで、いまだに助産師がどのように働いてきたのかという全体像さえ明確にされていない段階だといえるのではないでしょうか。


<出産の施設化、医療化で助産師が得たもの>


また終戦GHQの影響が大きかったとはいえ、実際にGHQ占領政策下にあったのは1945(昭和20)〜1952(昭和27)年までです。
その間にGHQは強制的な手法で、施設分娩化を進めたのでしょうか?


国立成育医療センター、久保隆彦氏の「我が国の妊娠、分娩の危険性は?」に「我が国の分娩場所の推移」(p.4)についてのグラフがあります。
http://www.oitaog.jp/syoko/fromKUBO.pdf


このグラフをみると1950年代に入って、つまりGHQ占領政策が終了した時点から分娩の施設化が始まっています。そして1960年(昭和35年)にようやく自宅分娩が半分になります。


そしてこの時代は、世界中で分娩の医療化、施設化に移行し始めていたことも認める必要があることでしょう。


同じ資料の3ページ目に「妊産婦死亡の年次推移」のグラフがあり、そこには1955年(昭和30年)に178.8(出生10万対)だった妊産婦死亡率が、病院で出産する人が半数以上を占めるようになった1965年(昭和40年)には87.6と半減した事実が表れています。


出産の安全性が大きく変化する時代だったのだと思います。


たとえ自分の思い描いている助産業務にならなくても、産婆や助産婦の業務あるいはプライドの一部を手放すことになっても、結果的に日本の母子の出産時の安全性が向上したのであればそれは大きな貢献になっていると私は考えます。



終戦からすでに60年以上過ぎ、また出産の医療化から半世紀が過ぎてもなお、当時のことが話題にされるのはよほど産婆や助産婦の屈辱が大きかったのかもしれません。


いまだに「GHQが」という話題が出るたびに、一部の助産師の病院嫌いは根が深いのだと感じます。






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