院内助産とは 29 <何を「主導」したいのか>

「1万人の赤ちゃんを取り上げました」など、助産師の「業績」を強調するときに「取り上げる」という表現が使われます。
これも個人的にはあまり好きな表現ではないのですが。


胎児の頭が出ると胎児の体が出てくるところを支えながら母体外に出てくるところを把持して介助します。
その部分が出産では感動のクライマックスになります。


その胎児娩出を自分で行ってこそ「取り上げた」という分娩介助経験の実績として数えられていく、そんな意識が助産師にはあるのではないかと思います。


私は助産師になってから2年後ぐらいからの、全ての自分の分娩介助の記録をノートに残しています。(なぜ最初から記録しなかったのだろうと残念ですが、それはさておいて)


そのノートに残すのは、最初の頃は「胎児娩出」を自分で行ったものだけでした。
つまり途中で吸引分娩になったり緊急帝王切開になったものは自分の中では「分娩介助」とは認めずに、NSD(Nomal Spontaneous Delivery、自然分娩)あるいは促進剤使用も含めたNVD(Nomal Vaginal Delivery,正常経膣分娩)の介助のみ記録していました。


実際には吸引分娩でも産科医が吸引して胎児娩出は私がしているのですが、当時、自然分娩に強い思い入れがあったからか記録に残していませんでした。


途中から、吸引分娩も緊急帝王切開も自分が経過を見て胎児娩出まで関わった分娩の記録を残すようになりました。


<「胎児娩出」への想い>


最初の頃の自分の記録を読み直すと、なぜどのように会陰裂傷ができたのかに重点を置いて分娩を振り返り細かく考察を書き込んでいます。


陣痛の際に児頭が少し見えて陣痛が終わると見えなくなる「排臨(はいりん)」という状態になる少し前から、そして陣痛が遠のいても児頭が出たままになる「発露(はつろ)」という状態になるまでを、いかに会陰の伸展がよくなるまで待つことができるかが、会陰裂傷をつくらないポイントでもあります。


お母さんも赤ちゃんも元気にお産が終了することが一番の目的ですが、さらに傷も少ないお産であれば助産師冥利につきると私自身も思いますし、当時は限られた医行為のみ許されている助産師にとって会陰保護はとても大事なものという雰囲気がありました。


その技術は、児頭や胎児の体をゆっくり通過させて娩出させる時点での両手の力の入れ加減ももちろん大事なのですが、排臨あたりからのいきみをいかにコントロールしていくいかというところにかかっているといえます。


もうそこまで児頭が見えているけれども、思いっきりいきまずに待つと、一回一回の陣痛で初産婦さんでも十分に会陰が柔らかくなって裂傷をつくらずに介助することができるのです。もちろん、胎児心拍が良好である場合であって、心拍の下がりかたによっては児娩出を急ぐ必要はあります。


この待つ時間に他のことが気になると、ついあせって早めにいきませてしまい裂傷ができやすいのです。


たとえば病棟がとても忙しくて「私だけ分娩介助に時間をかけていたら悪いなぁ」と思ったり、産科医をお待たせしたら悪いなと思う時、あるいは産科医が側で「もういきませたら」と言ったり言いたそうな気配があると、やはりあせってしまうのです。


気心の知れた産科医の先生の時だと、「先生もうちょっと待ってもいいですか?」とお願いしていましたが。


たぶん助産師が「主導」したい部分、あるいは産科医が立ち会わない分娩の場を作りたい核心の部分は、この「胎児娩出」時の主導権とそれに集中できる環境なのではないかと推測しています。


<産科医はどう感じているか>


児頭が出始める頃というのは、骨盤での児頭圧迫で胎児心拍もよく下がります。
こういう時に、側で待たされる産科の先生はやはりやきもきしているはずですね。
「会陰保護にこだわらないで、切れてもいいから早く出して」と。


「産科改革ただいま進行中」というブログの「院内助産院は産科医療危機対策の切り札か?2」(2008/08/13)の中に、分娩直前に産科医を呼ぶことは産科医がゆっくりできるのではないかという趣旨の質問への返答が書かれています。
http://sanhujinkai.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/08/post_e9ef.html
あくまでも一人の産科医の先生のお気持ちですが、私は助産師と産科医の間にある微妙な気持ちのずれをよく示しているのではないかと思います。


この産科医の当直先の病院で胎児娩出後に医師が呼ばれることに対しての理由が書かれています。

理由は何だと思います?私はこの病院に当直応援に行っていたのですが、良く調べると、”先生は会陰切開をするので、会陰切開をさせないように生まれた後に呼ぶのです”、とのたまうのです。私は経産婦の場合は原則会陰切開をしませんが、初産婦は原則として会陰切開をすることにしています。経験上そのほうが傷も浅くなることが多いからです。

また助産師への考えが書かれています。

これは極端な例ですが、助産師は医師のお世話にならず自分たちで完結したいと思っている人が多いので、私の勤めてきた病院(10以上あります)ではお産の直前に呼ばれることがほとんどでした。そして共通していることは医師がお産に介入することを嫌う傾向にあるということです。しかし、最後の責任は医師がとらなければいけないので、先生方もお感じだとおもいますが、助産師との関係が産婦人科医の大きなストレスの1つとなっています。


<院内助産は切り札か?>


上で紹介したブログのタイトルを真似させていただきましたが、この産科医と助産師の出産をめぐっての気持ちのずれのようなものの核心部分を「産科医不足対策」とか「寄り添うお産のため」というような言葉で取り繕ってしまうと、問題の本質がそのままになってしまうと思います。


引用した部分は、産科医と助産師の葛藤の本音が見事に出ていると思います。
どうしたら双方の気持ちの落としどころを見出せるのでしょうか。


助産師側も産科医の先生方が何を考えているか、もう少し理解しようとする姿勢や歩み寄る姿勢が大事なのではないかと思います。


さて私個人のことですが、あれほど熱意とこだわりをもっていた初産婦さんの会陰保護ですが、最近は「切れそうなら1〜2cmほど切開を入れていただく」という方法に落ち着きました。


理由の第一は、対象となる初産婦さんが以前はほぼ20代であったのに対し、私の勤務先では30代初産の人が9割ぐらいを占めるようになったからです。
また急激に血圧が上がる方や、アレルギーを持つ方、合併症を持つ方など増えました。


個人差はありますが、20代と30代では皮膚や粘膜の弾力性も体力も違うのは当然です。
ですから最近では、基本、初産婦さんは会陰切開にしています。
自然裂傷は会陰切開に比べて痛くないとかきれいに治るというような研究結果もあるようですが、全てにあてはまるわけではなく、やはり分娩介助技術の未熟なうちは大きな裂傷や膣壁裂傷など複雑な裂け方になりやすいものです。
「1〜2cmでお願いします」と産科医に要求できそれ以上の裂傷をつくらないことが、自分のなかでは技術力が向上したことだと自負しています。


結局、助産院でも院内助産でも会陰裂傷はつきものだから、今度は「裂傷縫合術も助産師に認めよ」という動きになっているのだと思います。
助産師だけで分娩介助を完結するには、この裂傷への対応方法を助産師だけでできるようにしなければならないからです。


助産師はなぜ産科医がいないところで分娩介助をしたいと思うのでしょうか?
そうしたいと思うことを院内助産で実現させようとすることは、本当に周産期医療を改善する切り札になるのでしょうか?





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