誰もが新人から成長する

先日の記事で、バレーボールについて書きました。


毎年、新たに彗星のごとく伸び盛りの若い選手が現れて、国際大会で大活躍します。
物怖じせずにのびのびとプレーしている姿に来年の活躍を期待するのですが、案外、翌年以降は平凡なプレーになっていることがあります。


「自分はできる」とよい意味で自信がついたあと、何か怖さが出てくるのかもしれません。
その後、着実に実力をつけられるかどうかは、どれだけ周囲の動きを見ることができるか、その中で自分に足りないことはなにかを自覚できて、パワフルな外国選手への怖さを克服する努力を続けるかどうかにかかっているのかもしれないと思っています。
お茶の間評論家ですが。


数年たち、ベテランとしてのプレーが輝き始めてチームが一体となる瞬間を見ると、その選手の努力にまた自分も励まされるのです。


そういう選手の成長に医療の仕事を重ね合わせて見ています。


<誰もが新人から成長する>


助産師になる前の数年間と、助産師になってから総合病院で勤務していたあいだに、何人もの方をお看取りしました。


40代になって周囲からはベテランと思われていても、死を前にした方にはあまりに自分が無力でした。
今でもその患者さんたちを看護していた当時をはっきりと思い出せるのですが、どの方も、なぜか私自身が言葉をだせずに立ちすくんでいる情景のような場面の記憶です。


新卒の看護師だった時にであったSさんのことは、いつも心の中にあります。
末期の口腔癌の壮絶な痛みと不安の中にありながら、苛立つことも不満もあらわさずに、逆にSさんから見たら娘ぐらいの年代の私たちを見守っていてくださるような方でした。
新卒の私は、Sさんの部屋に検温にいくだけで緊張していました。
おそらくかゆいところに手が届くなんてほど遠いケアだったと思いますが、看護という仕事を選んだ私たちに最大限の尊敬をもって接してくださっていたのだと思います。


Sさんに出会ったことで、私は「自分の未熟さを患者さんに許されて仕事をしている」ということを心に留めることができたのだと思います。


<理想を求めすぎずに>


もちろん、不満や感想を率直に伝えてくださることで、医療の現場は風通しもよくなり改善されることも多々あります。


ただ、急には変えようのないこともあります。
それは次の世代を育てるのに必要な時間といえるかもしれません。


経験量がまだ十分と言えない時期に、ベテランとかカリスマのような人の知識や技術を求めても無理というものです。
自分にはそういう満足のいくケアだけをして欲しいと言っても、無理なのです。


とくに出産年齢が上昇した現在、22歳で助産師になってから産婦さんと同年代になるまで10年以上かかることになります。
私が助産師になった頃は卒業して数年もすれば産婦さんと同年代以上になったし、20代のまだ社会経験の少ない世代を対象にしていました。
ところが、現在では社会経験も豊富で知識・情報量もあり、自分自身の生き方や価値観をかためた世代を相手に、保健指導や分娩介助をするのですからそれは大変だろうなと思います。


そのくらいの年代の「こうしたお産をしたい」と強い思いを持つ方を前に、助産師側が自分の実力以上に見せようと背伸びをしてしまわないか心配です。


そのかわり、彗星のごとく現れた元気な若い選手が活躍しワクワクさせられるように、医療施設でも若い人たちは大きな力になります。
さまざまな経験のスタッフが自分の持つ力量を自覚して、それぞれが生かされるときにその医療機関も持てる最大限の力を医療に発揮できるといえるでしょう。


自分が医療に求めるものが得られなかった落胆によって、医療への批判が出るのは当然だと思います。
それは逆にいえば、医療に関心を持ってもらう機会にもなります。


でも、その落胆はどうしたら改善につながるのかをいろいろな視点から考えていくことで、初めて医学や医療が社会の中で生かされていくことになるのだと思います。


病院のお産に対する不満が、医療を否定しあるいは医師の立会いを否定する方向に向かってしまうとしたら、それはもういちど立ち止まっていただけたらと思うのです。


不満の代名詞になるのが「医療介入」という言葉です。
次回からはそのあたりを考えてみたいと思います。