医療介入とは 5 <エコー>

産婦人科でエコー(超音波検査)といえば、経腹エコーと経膣エコーがあります。
もうひとつ、ドップラーや分娩監視装置もエコーの原理を活用したものですが、今回は主に経腹エコーと経膣エコーについて考えてみます。


<妊婦健診と経腹エコー>


いつ頃から妊婦健診でエコーが使われるようになったのでしょうか?
正確な時期はわからないのですが、1980年代後半ではないかと思います。


当時はまだ大学病院でも、経腹エコーのみでした。
初期の妊婦健診で大事な看護のひとつに、エコーの診察まで排尿を我慢してもらって膀胱を充満させることがありました。
8〜13週ぐらいの時期だとそのままではお腹の上からでは子宮が映し出されないので、膀胱に尿を溜めて子宮の位置を挙上することが必要だったのです。


ただでさえ妊婦さんは尿意が近くなるのにトイレを我慢して診察をまたなければいけないので、当時の初期妊婦健診はエコーで赤ちゃんを見ることが出来る喜びだけでなく修行のように苦痛な時間だったのではないかと思います。


その時期に、赤ちゃんの頭のサイズと体の大きさを測定して分娩予定日を出せるようになりました。
エコーができるまでは、最終月経からしか分娩予定日の計算方法がありませんでした。生理が規則正しくある方や基礎体温表をつけているかただとある程度正確ですが、生理が不順だと予定日が2〜3週間以上も違ってくる可能性があります。


ですから生まれきた赤ちゃんを見て「もしかすると予定日が違っていたかもしれない」ということはよくありました。


特に妊娠42週を越える過期産は、新生児死亡率が高くなります。
週数がたつにつれ赤ちゃんがどんどん大きくなってしまうわけではなく、反対に胎盤の老化といって胎盤が赤ちゃんを子宮内で育てることができなくなってしまうのです。


当時は42週を越えても予定日が違う可能性があるので、お産が自然に始まるのを待つこともありました。
過期産の赤ちゃんは過熟児といって、分娩のストレスにも弱く胎児仮死・新生児仮死になることが多かったものです。


経腹エコーができたことで、双子などの多胎の診断が妊娠早期にできるようになったこともとても大きな進歩でした。
それまでは出産時になって初めて、分娩時にひとり生まれた後に「もしかしたら双子ではないか」ともうひとり生まれてくることもありました。
いきなり双子の母親になるのもびっくりですが。


排尿を溜めるのは苦行ですが、エコーは体に直接侵襲を与えることもない安全な診断機器として妊産婦さんの妊娠経過の安全性をぐんと高めたといってよいと思います。


まだ画像自体は不鮮明でしたが、CTと同じように90年代初めには各施設で当たり前のように使用された印象です。
90年代初めには、妊婦健診時のエコーをビデオにしてプレゼントする病院もすでにありました。



<経膣エコー>


90年代のエコーの進歩は目覚しいものがありました。
画像も鮮明になり、カラードップラーで胎児の血流までわかるようになり胎児診断技術も発達しました。
そして3Dは当たり前、いまや4Dのエコーも使われるようになりました。


産婦人科独特のエコーに経膣エコーがあります。
1987年に出版された「産科学 −正常編ー」の中にも経膣エコーについて書かれているのですが、機械自体も今に比べると大掛かりなものです。
日常的に使われるようになったのは、経腹エコーより少し遅れて1990年代に入ってからだったように記憶しています。


前回の記事で書いたように、経膣エコーは妊娠の正確な診断そして正確な予定日算出のために欠かせないものになりました。


それ以外にも切迫流早産の診断、前置胎盤の診断がより正確にできるようになりました。
診断技術が進歩することで、治療もさらに進歩します。
たとえば前置胎盤は80年代では出血して初めてわかることがほとんどでしたから、対応が後手後手になるものでした。
現在は胎盤の付着部位を妊娠早期から必ずエコーで確認しているので、前置胎盤の方は出血が起こりやすい時期に管理入院し、適切な時期に帝王切開での出産にしています。


思い返すと90年代のエコーの診断技術の進歩は本当にめざましく、どれだけのお母さん赤ちゃんがその恩恵を受けたことかと思います。
また、不妊治療も経膣エコーなくしては成り立たないものです。


80年代までは、産科医でさえ自然に見守るしかすべのない妊娠・出産の異常がたくさんあったのだと思います。
「妊娠経過に問題がない」ということが言えるのは、たくさんの診断技術の発達と知識の積み重ねがあり、妊娠初期から医療に見守られていたということではないでしょうか。


助産師とエコーについては、また改めて書いてみようと思っています。



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