医療介入とは 7 <半世紀前の妊婦健診>

前回の記事で、私自身の母子手帳について紹介しました。
今日はもう少し、くわしく見ていきたいと思います。


その母子手帳に「妊娠初期の状態」というページがあります。
母は23週で初診なので、すでに初期を過ぎていたためか真っ白で何も記載がされていませんでした。


当時は、どのような項目があったのでしょうか?

・梅毒血清反応
ツベルクリン反応、レントゲン所見
・腹部、骨盤
・蛋白尿、血圧、浮腫
・身長、体重
・歯、歯肉炎

いたってシンプルな内容です。
妊娠経過のページでは、子宮底、胎位、児心音、浮腫、蛋白尿、血圧のみの記載でした。


現在のように検査項目も多く体系化された妊婦健診を全員の母子が受けられるようになるには、私の出生後しばらくして1965年(昭和40年)の母子保健法の成立を待つ必要がありました。
それでも、現在に比べれば項目も少ないですが。


私の母は、上記の項目を自費で受けていたのだと思います。
当時は病院・診療所での出産がようやく半数になった時代ですから、妊婦健診をほとんどあるいは全く受けずに出産していた女性も多かったことでしょう。
特に現金収入の少ない産業に従事している場合や医療機関の少ない地方に住む女性にとっては、医師による妊婦健診や助産婦による保健指導を受けるにはよほど強い動機が必要であったことと推測します。



<私が生きているのは運がよかった>


当時の医療のレベルや日本社会の平均的な生活レベルを考えれば、母が妊娠中に6回も医師の診察を受けてくれたことは「生まれてくる子どものことを考えて」の行動だったのだろうと感謝しています。


それでも現在の妊婦健診の内容と比べたら、当時の健診内容で私が無事に生を受けこうして健康にも恵まれて働き続けることができているのは、偶然の積み重ねと運の良さとしかいいようがないと思います。


たとえば現在は妊娠初期に当たり前のように実施されている妊婦の血液型検査も、当時は実施していなかったようです。
もし母のRhが(−)で第一子のRhが(+)だったら、第二子の私は胎内で血液型不適合によって胎内で死亡していたか、重篤な障害をおっていた可能性もあります。


母はBMIが大きめの体型のうえ初診が23週ですから、分娩予定日も不確かですし胎児の大きさや週数の推測も難しかったのではないかと思います。
生まれてみたらまだ早産児だったとか、過期産で新生児仮死になっても、当時はその産院でなんとかするしかなかったことでしょう。


無事に生まれても、生後1ヶ月以内にGBS(B群レンサ球菌)感染で敗血症を起こしてこの世を去っていたかもしれません。


周産期のさまざまな異常とその予防法や治療法が次々に明らかになりました。


その子の持つ生命力と偶然と運を頼りにした出産ではなく、できる限り安全に生まれてこれるようにと医療の進歩にあわせて妊婦健診も内容が見直されてきたのでしょう。


次回ももう少し、妊婦健診について続きます。


<おまけ>


もし皆さんの手元にご自身やお子さんの母子手帳があったら、是非、読んでみると時代の変化が見えてくるかもしれません。


何年ごろの母子手帳にこんな記載があるなど、何か発見したらぜひ教えてください。




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