医療介入とは 8 <未受診、飛び込み分娩のリスク>

ここ数年でようやく「飛び込み分娩(出産)」という言葉が社会に認知されて、そのリスクや妊婦健診の重要性が伝えられるようになりました。
経済的理由で受診を控えることがないように公費負担制度も2009年から始まり、一歩も二歩も前進したという印象があります。


また、分娩費用に関しても2009年から出産一時金の直接支払い制度になったことで、多額の現金を準備しなくて済むようになりました。
「分娩予約金と分娩費用、妊婦健診費用を支払えない」という経済的理由で飛び込み分娩をしないように、セーフティネットができたといえます。


それでも、たとえば大阪府では妊婦さん300人に一人の割合で飛び込み分娩があり、減少どころか増加してきているという報告も今年になってありました。


<未受診、飛び込み分娩の多かった時代>


20年ぐらい前までの総合病院では飛び込み分娩も珍しくなく、私たちも当たり前のように受け入れていました。


お産が始まった産婦さんを門前払いすることは、気持ちの上でとてもできることではありませんでした。
人道上というのでしょうか。医療者の倫理観というのでしょうか。
その産婦さんの無計画性には腹がたっても生まれてくる子どもには罪はないので、なんとか無事に生まれて育ってくれたらという一心でした。


だいたい飛び込み分娩で到着する産婦さんは分娩室に直行するぐらいのタイミングがほとんどでしたから、早産の可能性があってもNICUがある病院へ分娩前に転送する時間の余裕はありませんでした。


そうそう、出産後になぜこの病院を選んで飛び込み分娩になったのかを訪ねると、「乗ったタクシーの運転手さんが『あの病院なら親切だから』と連れてきてくれた」という産婦さんもいました。
スタッフ一同、「余計なことを!」と憤慨したなんてこともありました。


飛び込み分娩があると、他の業務はすべてストップします。
陣痛の合間に、目の前にいる女性はどういう人なのか、感染症や合併症の可能性はないか、胎児に影響するリスクはないかなど、できる限りの情報収集と対応策を考える必要があります。
出生した児も週数も何もわからない状況なので、小児科医の管理が必要になります。


無事に出産を終えて次に心配なのは、「この女性はこの赤ちゃんを育てる気持ちがあるのだろうか」という点でした。
家族背景も複雑だったりパートナーの男性が父親としての責任感がないことがほとんどで、日々お腹の中で赤ちゃんが大きくなっていくことをその女性一人で悩み背負い続けたのでしょう。
育てることまではとても考えられなかったのか、出産直後に赤ちゃんをおいてお母さんが失踪することもありました。
あるいは育てる決心はあっても、分娩や入院費用も準備できず未払いのまま退院するぐらいですから、育児に必要な生活費も当然ありません。


こうして当時のことを書いているうちに、あの頃は夜勤に入るときに「今夜は飛び込み分娩だけは来ないでほしいね」とよく話していたことを思い出しました。


<未受診、飛び込み分娩のリスク>


現在はローリスク対象の診療所のためか、私自身は飛び込み分娩を受けることはありません。
そしてもし飛び込み分娩で来院しても、基本的には断ることを方針としています。


受けると業務が大変だからとか、人道的な動機がなくなったからというわけではありません。


当時に比べて、感染症管理や妊娠中の母子の医学的管理を確実に行うことで、お母さん赤ちゃん双方によりよい結果になることが明らかになったものが増えたからです。


たとえば34週と36週で生まれた赤ちゃんは、たった2週間の違いでも出生後の管理は周産期センターにお願いしたほうがよいか、診療所でも対応できるかというぐらい判断が異なります。


飛び込んできた産婦さんがたとえ「最終月経からすると10ヶ月に入っています」と言っても34週ぐらいの可能性もあるわけですから、できれば早産児の管理ができる病院で出産したほうが新生児への負担は少なくなります。


母子感染についても全く検査がされていない状況ですから、迅速に治療を開始して対応できる総合病院のほうがより安全です。


また感染症でも母から子への垂直感染だけでなく、場合によっては入院している他の母子への水平感染を起こす可能性も否定できません。


未受診、飛び込み分娩というのはハイリスクだというのが現在の周産期関係者の認識です。


こうして考えてみると、半世紀前の出産は現在の未受診・飛び込み分娩のようなお産がほとんどだったわけで、「大半のお産は正常に終わる」という認識はいつ頃から、どのように広がりだしたのだろうかと疑問がでてきます。


あの頃は医療介入も少なくて、管理されてなくてよい妊娠・出産だったのでしょうか?



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