医療介入とは 21 <胎児とはどのような存在だったのか>

私の助産婦学校時代の教科書の産科手術として、「胎児縮小術」が載っています。または「切胎術」と言います。


どのようなものだったのでしょうか?

近年産科学の進歩に伴い、比較的重篤な母体も保存および帝王切開術で容易に分娩が行われ、胎児死亡も著減するようになったので、この手術の必要性はほとんどなくなった。
定義:
子宮内または産道内で、胎児部分を切開あるいは内臓除去し、胎児を縮小して娩出させる方法。
適応:
母体の生命に危険が切迫し、母体を救う目的で急速遂娩が必要な場合。

そして「ネーゲレ型鋏状穿頭器」と「バーン型砕頭器」という、胎児を「縮小」させるための器具の写真が載っています。


具体的な方法は「産科専門医・周産期専門医からのメッセージ」というブログの2012年7月31日の記事で書かれています。
医療従事者以外の方には、もしかすると読むのはかなり覚悟が必要な内容かもしれません。
http://ameblo.jp/sanfujin/entry-11313925953.html


この記事の中では「切胎術あるいは胎児縮小術は、子宮内や産道で死亡してしまった赤ちゃんを経膣的(帝王切開すら母体にとっては危険である状況)にスムーズに娩出する方法です。」と書かれているように、現在ではどうしてもこの方法を選択せざるを得ないとしても胎児の死亡が確認されていることが前提です。


ところが、1980年代後半の私の教科書をよく読むと、要約(手術を行う条件)にも「胎児が死亡していること」とは書かれていませんし、先に引用した部分でも「胎児死亡も著減するようになった」と書かれているということは、胎児の生死にかかわらず、母体を助けるために行われていたものであるということです。


以前、「助産院は安全?」でもこの話題が出たことがあります。
「プライベート出産 其の三」
http://jyosanin.blog78.fc2.com/blog-entry-336.html
そのコメント欄から3人の方のコメントを引用させていただきます。

その昔、自宅出産しかなかった頃に、今で言う児頭骨盤不均衡や様々な理由での難産で母体内で胎児死亡に至った場合、産婆さんは胎内の児の頭を粉砕して外に出したと言います。
胎内でしに至った場合、放っておいても体がばらばらになり体外に出やすくなる、つまりはそれが母体を守るための自然の摂理なのでしょうか。
エドガーさん)

エドガーさんがおっしゃった子宮内で死んでしまった胎児を切り刻むことを「切胎術(せったいじゅつ)」と呼びます。別な言い方では「胎児縮小術」・・・どちらもイヤな言葉です。
古い教科書には、そのための専用の鉗子(かんし)とか実際のやりかたの図説もありました。
狭い子宮口から刃物を入れて、実際には目に見えないものを手探りで・・・ですから母体にも危険でもあります。
ただ実際には、陣痛さえきているなら、切り刻まなくても自然に死産になることが多いです。前にも書いた通り、赤ちゃんは亡くなると頭蓋骨も含めて柔らかくなりますからね。
陣痛が弱い、もしくは来ない場合には促進剤を使います。
陣痛の痛さは「元気な赤ちゃんが生まれる」と思えばこそ耐えられるものであって、死産になるお母さんは陣痛をとても痛がります。
陣痛が全く来ない場合、もしくは出血多量になってきた場合には、仕方がないので帝王切開します。
お母さんの命を助けるためにやむを得ないとは言え、麻酔をかけカラダに切れ目を入れて亡くなった赤ちゃんを取り出すのはやりきれません。
そういう手術を受ける側ならなおさらそう思うでしょう。
(suzanさん)

これに対して、琴子ちゃんのお母さんが「生きていた胎児」に対しても行われたという身近の経験談を書かれています。

私の叔母が昔、横位で腕だけ出てきた子どものお産、産婆さんが仕方なく最初に腕を切り、子どもを切り刻んでのお産となったと聞いたことがあります。
40年ほど前の話だと思います。
このときは、赤ちゃんは生きていたけど、このままでは母体が危ないからということだったと聞きました。

この記事は2009年6月ですが、1970年前後の日本でも地域によっては医療機関へ運ぶよりは産婆(助産婦)が直接手をかけたほうが母体を助けられる場合もあったのかもしれません。


<胎児の死亡を確認するということ>


「胎児の権利」という言葉は、まだ議論の途中にあるものです。
産科というのは全力を尽くして胎児を守ろうという方向と、片や中絶という積極的に胎児を死に至らせる方向が共存しています。
(中絶に関しては、まだまだ自分自身の言葉で語れるほどの内容も持たないので、置いておきます)


そして前述の切胎術についての教科書の内容を読んでも、案外、「全力を尽くして胎児を守ろう」というのはわずかここ30〜40年ほどのことではないかと思えるのです。


トラウベで心音を聞く以外なかった時代には、胎児の心音が弱っている(徐脈として聞こえる)ことも胎児の死(助ける手段がない)として見なされた可能性もあるのではないでしょうか。


あるいは確実な「胎児の死の診断技術」がなくても、母体を助けるために胎児が犠牲になる以外、選択がない時代もそう遠い昔のことではなかったのです。
私が学生時代に切胎術のことを知った時は、江戸時代ぐらいのことだと思い込んでいましたが。


「胎児が生きているか、死んでいるか」「胎児が元気かどうか」
それを積極的に知るための技術を開発したのは、人が胎児の権利にも思いを馳せるようになった時代になったからなのかもしれない。
そんなことを考えています。


前置きが長くなりましたが、次回からは携帯用ドップラーと分娩監視装置について考えてみようと思います。