医療介入とは 26 <産婦さんの快適性と胎児の快適性>

分娩に携わっていると、日頃は心の奥底に封印しておきたい経験というものがあります。


私にとっては誕生という喜びを期待している場での死、です。
その場面を思い返すと、なぜあの時から自分はこうして生き続けているのかという罪悪感と、人はこうしてずうずうしく生き延びて行けるものなのかという気持ちに打ちのめされそうになります。


助産師になって数年目の頃でした。
お一人目の出産がとても難産で、今回のお産がとても不安でしかたがなかったという産婦さんのお産がありました。
その産婦さんを不安にさせないように片時も側を離れないようにしていたところに、もう1人、お産で入院されました。


初産婦さんでまだ10分間歇で陣痛が始まったばかりでした。
10分間歇で陣痛がまだ弱い割にはとても痛そうにされる様子が少し気になったのですが、初産婦さんだから急には進まないだろうし、もう1人の方もあと少しで分娩になるところでしたので「お産が終わったら、あとはずっと側にいますね」と言って分娩監視装置をつけ、私は分娩室に戻りました。


分娩室にいても、陣痛室の分娩監視装置の胎児心音は聞こえます。
現在のように無線式でパソコンの画面で確認できればよいのですが、当時はまだありませんでした。
でも耳で聞いている限り、心音が低下していることはありませんでした。
入院時にはルチーンで20分間装着する方針でした。
看護師さんが「そろそろはずしてもいいですか?」と聞いてきましたが、すでに私はもう1人の方の分娩介助で側を離れられなかったので、分娩監視装置の記録を確認しないままはずしてもらうように頼みました。
痛そうたっだので、自由な体勢にしてあげたほうがよいと思ったのです。


不安がとても強かった産婦さんのお産は無事に終わり、とても喜んでいただけました。
ご家族と一緒に幸せな時間を過ごしている間に、私は先ほど入院された初産婦さんのところへ戻りました。


痛みと緊張が強いようなので、呼吸をととのえリラックスできるようにしながら、携帯用ドップラーで心音を聴こうとしましたが、聞えません。
まさかさっきまで140代で聞えていたのだからと思いつつ、「胎児胎内死亡」という言葉がとっさに浮かんですぐに産科医に報告しました。
先生もすぐに駆けつけてくださってエコーで確認しましたが、赤ちゃんの心臓は止まっていました。


産婦さんの号泣が響き渡る陣痛室で、私は茫然と側に立っていました。


分娩監視装置をはずしてわずか40分ほどの間のどこかで、赤ちゃんはこの世に生まれる前に突然なくなってしまいました。


産婦さんに、どのように話しかけたのかも記憶にありません。
でもあのおびえた産婦さんの表情、産科医の先生と看護師さんの表情、あの場面だけははっきりと思い出すのです。
いえ、ふだんは無意識のうちに思い出さないようにしているのだと思います。
思い出すと、このまま私の心臓もぎゅーと握りつぶされて止まってしまえばよいのにという息苦しさが蘇ってくるので。


ひとりの大切な命が危険な状況にあったことを見逃して死なせてしまったと、その罪の重さに家に帰ってからは泣き続けるしかありませんでした。


そして翌日の夜勤に出勤した時、泣くことのない赤ちゃんの出産を介助しました。
いつもなら分娩室に響く分娩監視装置の胎児心拍音のない、静かな分娩です。
紫色になった赤ちゃんでした。
原因はわからないままです。
臍帯の付着部位がやや過捻転気味ではありました。


分娩監視装置の記録を見直すと、確かに赤ちゃんの基本心拍は1分間に140前後で、100以下になるような明らかな徐脈もありませんでした。
でも、陣痛発作のあとにわずかに120代ぐらいまで軽く心拍数が下がる遅発性一過性徐脈が1回、出ていました。
そして140代でも変動が少ない、基線細変動の消失がグラフからは読み取れました。


分娩監視装置をはずしたあとの40分、そのどこからか、急激に心拍数が下がり始めて心拍停止になったのだと思います。
もし下がり始めてから超緊急で帝王切開をしようとしても、その病院では無理ではあったと思います。


それでもあの時分娩監視装置を自分の目で確認して、気になるからもう少し装着しておこうと思ったら、もしかしたら違う結果になっていたかもしれないと後悔してもしきれない思いです。
そして「初産で10分間歇の割りには痛そうな様子が気になるな」となにかを感じたのに、もうひとりの経産婦さんのお産が「いいお産」になるようにということを気持ちの中で優先してしまったことに、あの初産婦さんに本当に申し訳ないことをしていまいました。


産婦さんの快適性ももちろん本当に大事です。
でもそれは胎児の快適性も配慮できて、初めて達成しうるともいえるでしょう。


胎児の快適性。
分娩の途中で苦しくないか、危険な状況でないか、その胎児の声なき声を知るためには現時点では分娩監視装置以外にはないのです。


やはり赤ちゃんにはできるだけ元気な状態で、この世に生まれて欲しい。
だからたとえ「管理的」とか「過剰な医療介入」と批判されたとしても、私は分娩監視装置をできるだけ分娩経過中はつけておきたいと思っています。


まだまだ分娩中の胎児のことはよくわかっていないので。