医療介入とは 32       <陣痛計と子宮収縮剤、つづき>

現在の陣痛計は、2種類あります。


妊産婦さんの腹壁に直径8cmぐらいのトランスデューサーを当てる外測法と、ストローぐらいの太さのチューブの先端にトランスデューサーが付いたもので子宮内圧を直接測定する内測法の2種類です。


外測法の方が簡便であり、一般的に行われています。
トランスデューサーの真ん中にボッチがあって、子宮が収縮して腹壁が硬くなるのを察知してそれを数値化し、グラフに記録していきます。


ちょっとふくよかな産婦さんだと陣痛圧がうまくとれなかったり、やせている産婦さんだと子宮収縮が「強く」描かれることもあります。
ですからグラフに表れる波形そのものが陣痛圧を正確に表しているものではありませんが、簡便な機械である程度陣痛のパターンを正確に知ることができる陣痛計の恩恵は数知れずというところだと思います。


<医療の進歩、何かを、誰かを犠牲にすること>


このような簡略化された陣痛計ひとつを作り出すにしても、前回の記事で紹介したような基礎研究の積み重ねがあったことに気が遠くなるようです。


また前回の記事を読まれた方の中には、産婦さんの腹壁から直接子宮にチューブを挿入して陣痛圧のデーターをとる研究がなされていたことにやりきれない思いを抱いた方もいらっしゃるのではないかと思います。


著者もまた「人体実験」であったこと、しかも人種差別、経済格差がそれを許していた当時のアメリカの状況を書かれています。

 当時の米国では、現在のようなインフォームド・コンセントの概念は提唱もされていなかった。また、経済的に豊かな人々は私費(保険会社の私的医療保険に加入)でかかりつけの医師に診察を受け、高価だが最高の医療を受けていたが、一方で経済的に恵まれない階層の人々(当時は主として黒人)は施療で医療費はすべて無料であるが、チーフ・レジデントの監督指示の下にレジデントやインターンが診療にあたっており、米国の医療にはダブルスタンダードがあることが公然と認められていた。
著者が実施した臨床経験には、これらの患者さんを利用するのが当然とされていた時代であるから、妊婦検診外来で担当のレジデントが実験対象となった妊婦さんにとのような説明をしていたかは分からない。患者さんたちは、著者の処置に協力的であったが半ば諦め顔をしていたことが記憶に残っている。


インフォームド・コンセントの「説明と理解」「それにもとづく合意」という内容が日本の医療現場に広がり始めたのは、1990年代に入ってからでした。


医療機器や医薬品が実際に使用されるまでには、必ず治験、すなわち人体実験、の段階が必要です。
でも現在では、その治験の段階も十分に説明を行い合意のもとに実施されていると思います。


今、日常的に使用している分娩監視装置の陣痛計が、この1960年代のたくさんの産婦さんと胎児の危険と引き換えにデーターがつくられていたことをこれからも忘れないようにしなければと思いました。


<医療だけが残酷な歴史を有するのか>


こうした医療の進歩・発展の影にある暗い話は、医療に対する忌避感を強めやすい要因の一つではないかと思います。


「罪」とか「罪悪感」とか、そういう感情を沸きあがらせるものです。


だから、できるだけ自然な経過に手を出さない方法の方がよいように思えるのかもしれません。


でもこうした医療介入をする医療だけが残酷な歴史を持っているのでしょうか?


私にすれば、水中分娩やアクティブ・バース、フリースタイル分娩、あるいは自宅・助産院分娩、そしてそのほかのさまざまな代替療法を分娩に取り入れることなども、人体実験といってもよい部分があると思います。


まず安全性を検証するシステムがないことです。
また危険だったケースなどが情報として十分に伝わる仕組みもありません。


「これは医療介入した出産に比べてよい方法」であるならば、具体的に実証する方法を有することが必要です。
それがなければ、「よいお産の方法です」と信じ込ませて人体実験をしているのに等しいことになります。


たとえそれを選択した産婦さんが「合意のうえでした」と言っても、その前提にある「説明・理解」の部分にそうしたリスクに対する信頼できる情報がない状態では、本当の合意ではないのですから。


助産師が「医療介入」を否定的にとらえやすい理由のひとつに、医療がこうした基礎研究の地道な積み重ねによって進歩してきたことを肌で感じる機会が少なすぎるからかもしれません。


それはあのビタミンK2(ケイツー)シロップを投与せずに、ホメオパシーのレメディで効果があると信じる助産師がいることにショックを受けたときに感じました。


わずか半世紀前には新生児メレナで命を失うことが多かった時代から、たった3回の安価なシロップで新生児の命が守られるようになりました。
ビタミンKを発見しそれをシロップにして安全に新生児に内服させられるようになるまでの過程は、どれほど長い研究の道のりだったことでしょう。


医療側だけでなく、医療介入を否定する方向の中にも同じく残酷な歴史があることに、私たちはもう少し公正な目を持つ必要があると思います。