医療介入とは 43 <「産ませてもらう」お産>

昨日の競泳ワールドカップも楽しかった!
応援していた古賀淳也選手も2位、酒井志穂選手も3位、それそれ日本選手の中ではトップに戻ってきたので来年の世界水泳が楽しみです。


そしてハンガリーのカティンカ・ホッスー選手にはまた圧倒されました。
400m個人メドレー、200mバタフライで優勝、400m自由形と100m個人メドレーで2位。
そのすべての決勝レースがセンターコースでのレースになるということは、午前中の予選からどれだけ正確に、確実に記録を出すことに集中した泳ぎと体力があるのだろうと驚きました。


おもしろいのは、アメリカやオーストラリアの選手は世界水泳やオリンピックに比べると小さい規模のこういう大会でも優勝すると躍り上がって本当にうれしさを表す選手が多いのですが、カティンカ・ホッスー選手はゴールしても淡々としていました。
時々、こういう選手がいます。
何かもっと違うところに目標を置いているからなのでしょうか。


感情や考え方の表現方法は本当にさまざまですね。


前置きが長くなりましたが、今日はお産についてのとらえ方について、介助者側と産婦さん側の差のようなものを考えてみたいと思います。



<「産ませてもらうお産」とは>


「主体的なお産」の対義語として、「産ませてもらうお産」という表現があるのかもしれません。


私の印象としては、どちらかというと産む側の女性よりは医療者側からこの「産ませてもらう」という表現が多く聞かれるように感じています。


たとえば、ベビーコムというサイトで産婦人科医進純郎(しん すみお)氏が「自分らしいお産を選ぶ」として以下のように書いています。
http://www.babycom.gr.jp/birth/shin/osan1.html

●主体的なお産を


産む人たちの中には、管理された出産の中で、だれかが産ませてくれると思い込んでいる人もいます。分娩台に寝ていれば、赤ちゃんが出てくる。あるいは、麻酔分娩をすれば痛くない出産ができると、医療に自分をゆだねて、他人まかせのように考えている女性たちも少なからず見られます。


人間的な喜びをもった出産をするためには、自分の出産を自分のこととして主体的に考えていく必要があります。もちろん妊婦健診から出産まで、医療は医学的なサポートを十分に行います。それでも、産むのは自分だという自覚と、無事に出産できるように妊娠中の健康管理などの責任をもつことは大切なことです。


そのあとに「自分らしいお産を選ぶ」として、以下のように書かれています。

産む人が主体性をもつということは、出産というものが本来どういうものなのか、知ることでもあります。出産にはさまざまな医療的な処置があり、出産法や分娩姿勢もいくつかの方法があります。出産のプロセスを勉強したり、出産のときに分娩室でどのようなことが行われるかなど、知っておく必要があります。

私自身不勉強なのですが、ニセ科学の議論の中で時々「欠如モデル」という言葉を聞きました。

非専門家の科学理解は空っぽのバケツのようなもので、そこに科学知識をどんどん注ぎこんでいけば科学の公衆理解が高まる

というようなことです。
もちろん、ニセ科学は欠如モデルでは対応できない、もっと社会的な問題であるということですが。


上記の「科学」を「出産」に置き換えてみると、「自分らしいお産を選ぶ」に書かれていることは、産む人の勉強が足りなくてお任せになっていると認識している内容になっていると思います。

でも「自分らしいお産」とか「満足度の高いお産」という精神的・感情的な部分をとらえた表現に対し、医学知識(科学知識)で対応できるものではないと思います。


<出産の知識はどの程度まで必要か>


産科の専門職である分娩介助者もまた、他領域の医療に関しては素人同然です。
自分が病気になった時はある程度の基本的な医学的知識はあってだいたいのことは理解もできるし予想もつくので、たしかに知識というのは大事だと思います。
それでも実際にその領域で実践を積んでいる方々の経験の前には手も足もでないので、「お任せします」という感じです。


たとえば歯を治療することになった時、神経をとるだろうとか大まかな予想はついても実際に自分の状態にどのような治療が適しているかはたとえネットなどで調べてもわかるものではありませんね。
ブリッジよりはインプラントにしたいと考えても、近くにインプラントを扱っている歯科医院がないかもしれません。
あるいは自分はインプラントがよいと考えて情報もたくさん集めてインプラントを扱う歯科医を受診したのに、歯科医からみれば他の方法のほうが良いという判断の場合もあると思います。


自費の素材を使うかなど細かい部分の選択をすることはあっても、大筋は「先生の判断にお任せします」というところではないでしょうか。


出産の場合はどうでしょうか?
自分の知識や判断ではどうしようもない部分が多いと感じているからこそ、産科医やスタッフを信頼して「お任せします」という方が多いのではないかと思います。
それは「産ませてもらう」という姿勢では決してないと思うのですが、どうして医療者側の中にこのような受け止め方がでやすいのでしょうか?


そのあたりを次回考えてみたいと思います。