医療介入とは 46 <「産ませてもらう」と感じる時ー出産編>

前回の記事で、妊婦さんに対して医療者側が「『産ませてもらう』と思っている人」に通じる気持ちを抱くのは、妊婦さんが妊娠・出産に対しての見通しがうまく立たないときの言動ではないかと考えていることを書きました。


そして医療者側と妊婦さんの見通しの立て方の違いが、前者が「医学的知識に基づいて妊娠経過とその対応を考える」のに対して、妊婦さんは医学的必要性はそれなりに理解しても家族関係や経済的な面での変化をどう対処するかというところで、医療者側の期待するような態度ができない可能性があるのではないかと。


妊娠を継続しよう、こどもを産もうと考えている時点で、その人なりに主体的に人生の選択をしたのだろうと思います。


では出産のあたりで、医療者側が「産ませてもらう」と感じるのはどういう時でしょうか?
私自身はそういう見方をしたくないと考えてきたので、一緒に働いてきた人たちの言動や出産関係の記事の印象からの推測です。


<分娩時に「声を出す」、「騒ぐ」>


たぶんこれが一番苦手と感じて、こういう産婦さんを「産ませてもらう」と思いやすいのではないでしょうか。
一見パニックになっていて、こちらの言うとおりにしてくれないような産婦さんです。


「落ち着かないと産まれないですよ」「声を出すと、赤ちゃんが苦しいですよ」「お母さんになるんでしょ?しっかりして」と、なんとか陣痛のペースに合わせて声を出さないようにさせがちです。
介助者や周囲のスタッフも、なんとかしようと声を荒げるので騒然とした雰囲気にもなります。
「頬を叩かれた」など書かれているものも目にします。


「大騒ぎのお産だった」
これはその分娩介助者自身の介助の失敗と、介助者自身も周囲のスタッフも思いやすいのではないでしょうか?
スタッフがそう思っていることは、産婦さん自身が一番よく感じているでしょうから、「うまく産めなかった」いう感情をずっと心の中に抱きやすいものです。



陣痛の痛みを乗り越えるためにと、さまざまな呼吸方法や出産方法が編み出されてきました。
でも実はこの「騒ぐお産」にさせないようにすることがよいことであるかのように、分娩介助者側が多分に考えているのではないでしょうか。


「騒いでいる産婦さん」はどうしても自身をコントロールできていないように見えがちで、反面、「静かに頑張る産婦さん」は主体的にお産に向かっているように見えやすいのではないかと。


「騒いでいる」と感じやすい場面も、初産・経産でもそれぞれ違います。
それが見えてくると、実は騒いでいるわけでも主体性がないわけでもなく、そういう分娩の進み方もあるに過ぎないと思えるのではないかと思います。



<初産婦さん、「もうやだ!切ってほしい!」>


「もう頑張れない!」「切って欲しい!帝王切開にして!」というのはだいたいが初産婦さんです。


時期にすると、だいたい子宮口が8cmぐらいから全開に近い頃です。
このあたりから急速に子宮口が開大して、児頭も骨盤内に入り始めます。
初産の陣痛のピークはこのあたりの1〜2時間のようです。


1〜2分ごとの強い陣痛が来て、合間のわずかな休息の時間も「産めないのではないか」とか不安や泣き言を言いたくなる時期です。
付き添っているご家族から見ても、それまでの落ち着きから一転した様子に何か異常が起きているのではないかと心配にもなることでしょう。


それまでの経過が順調であれば、こういう様子が出始めるとあと少しで全開するだろうとわかります。
「今が初産婦さんにとっては一番大変なところ。あと1時間ぐらいで、ふと眠くなってきて、そのあといきむと楽になるような時期にはいるから」と説明します。


「あと1時間なんて頑張れなーーーい!」と言い返されてしまいますが、あーだこーだと叫びながらも頑張って乗り切って、いよいよ本格的に赤ちゃんが下がってくるようになると、自然と体に力が入って集中できるようになっていきます。


「切ってくれ!」と言いたくなるような、内側からの陣痛のエネルギーなのでしょう。


<経産婦さんの場合、絶叫のいきみ>


経産婦さんの場合は、「帝王切開にしてくれ!」ということはほとんどありませんね。
とまらないいきみを何とかしようと叫んでいる感じです、ジェットコースターで叫ぶような・・・。



経産婦さんの場合は6〜7cmぐらいまでは、比較的軽い陣痛でどんどん子宮口が開いていきます。
肛門の方に圧迫感が出始めると、陣痛に集中し始めます。
中には20〜30分ぐらいで、子宮口が全開しないまま開きながら急激に児頭が下がってお産になることがあります。


そういう進行の早いお産の時に、陣痛が来ると叫び声になるようです。
表情も険しくなって、周囲の声も一見聞こえていないかのように見えます。
分娩介助者も付き添っている家族も、産婦さんがパニックになっているととらえやすい時期です。


ですからなんとか「正気に戻そう」と、声を出さないように呼吸法をさせてみたり、あれこれと説明しようとします。しかも介助者やスタッフのほうがあたふたとして声を荒げながら。


分娩台の上でかなり動くので、児娩出時もなかなかこちらの言うとおりにはしてくれません。
経産婦さんなので、会陰裂傷のないお産の可能性が高いのですが肝心の会陰保護もさせてくれない勢いです。


パニックになっているのでしょうか?


こういう産婦さんは「騒いでしまった」と後々まで心の中に何かが残ってしまいやすいので、他のスタッフが介助した場合でもできるだけこちらから後で話を伺うようにしています。


「経産婦さんの陣痛は大波でぐんぐんと進むから、声も出したくなりますよね?でもけっこう周囲のことを覚えていらっしゃるのではないですか?」と。


「そうなんです。助産師さんがあわてて準備しているのが見えました」とか「先生がこんなことしゃべっていました」など、ほとんどの方が分娩中のことを冷静に見て覚えていらっしゃるのです。


ですから経産婦さんの絶叫のお産も、私は基本的には「自由に、好きなようにどうぞ」と介助するようにしています。
周囲のスタッフにも、できるだけ産婦さんにあれこれ声をかけないようにしてもらいます。
私の声は聞こえているので、できる限り小さな声で「そろそろいきみすぎないようにこうしましょう」と話しかけると、ちゃんとわかっているようです。


<お産に対する固定観念をできるだけなくすこと>


私も助産師になってしばらくは、声を出したり叫んだりする産婦さんのお産の後は落ち込みました。
自分の介助のし方が悪かったのだろうと。


何年目かの時に、経産婦さんで声楽家という方のお産を介助しました。
いきみが出始める頃に、「声を出していいですか?」と聞かれました。
どうぞというと、それはそれはきれいなソプラノで陣痛がくると発声練習のように声を出されるのです。
ちょうどよい感じで赤ちゃんが降りてきて生まれました。


あくまでも私個人の感じ方ですが、経産婦さんが声を出すのはいきみ過ぎないようにコントロールしているところもあるのではないかと思うようになりました。


声を出したくなったり、泣き言を言いたくなったりするお産の進み方や時期がある。
そう理解するだけでも、「産ませてもらう」受け身な産婦さんというとらえ方ではない別の見方ができるようになるのではないかと思うのです。


次回は、再び、主体的なお産とは何か考えてみようと思います。