医療介入とは 60 <近代産婆の分娩介助、臍の緒を処理する知識と技術>

前回の記事で紹介した開業助産婦さんの聞き語りの中には、その母親が自宅でひとりで産んでいた時代のことが書かれています。
「出産の文化人類学  儀礼と産婆」(松岡悦子著、海鳴社、1985)


明治34年生まれ(1901)のその母親は18歳で初めての子を出産して以来、41歳になる昭和17年(1942)まで12人の子どもを産んだそうです。
「ひとりで産む」(p.42)という見出しの章では、姑や近所のおばあさんぐらいしか手伝いのなかった出産風景が書かれています。


 座産の場合はこう下へぽとんと落ちちゃうわけ。下へ落ちるからそれを手でね、少しずつずらしておいて。そして臍の緒切って、赤ちゃんをよけて、それから後産をね。だから、臍帯結紮(けっさつ)も何もしないわけよね。切ってから麻糸かなんかで赤ちゃんのほうは縛るの。だけども母体のほうは、胎盤くっついたままで切ってそのままだから、そのために大出血おこした場合は危険が大きいわけね。水道の蛇口みたいに血がどんどんでますよ。

ー臍の緒は何で切ったのですか。


普通の裁縫の裁ちバサミを消毒してそれで切ったようです。消毒ちったって、火か何かで焼いて。

ー臍の緒切ったりとか、胎盤出したりとかは全部自分で?


自分で。産後のことは年寄りがしていましたけど。だから中には胎盤癒着しちゃって出なくて、出血はするし、ずいぶん苦労した時もあったようでしたね。

ー例えば癒着胎盤で出血のときなんかだと、どんなふうにして止めたんですか


もちろんね、出血なんて止めるっていうあれが何もわからないから。貧血おこしてもうくらくらになっちゃって、大変だって言ってました。それで気失わないようにね、髪の毛をね、ひもで縛って天井にぶら下げてね。髪の毛をね、吊ると痛いでしょ。だからね失神しないように。もう目なんか充血して真っ赤になってましたものね。うつろな目をしてね。
だから相当な出血だったと思いますね。まあ運良く止まったんでしょうかね。そういう時、せめて塩水だけでも飲ましてあげたらね。それくらいのことわかっていたら、だいぶん違っていたんじゃないすか。昔は座ってるからよけいに出血するんですよね

逆子の場合なんかね、苦しくてね。引っぱったんだって、自分でね。逆子っていうのはね、かならず脇でひっかかるからね。それでね体引っぱったらね、臍の緒が切れたっちったから。あの臍の緒ってのはね、にかわ状のもんだからとても弾力性があってね、なかなか切れるもんでないですよ。それが切れたっていうからよほどね、夢中で苦しまぎれに引っぱったと思うんだけど。


この開業助産婦さんの母親の時代のその地域の出産はトリアゲバアサンも呼ばず、「お産はひとりでするもの」「身内の手伝いだけで間に合わせる」というのが当たり前の認識だったようです。


1940年代近くになっても、産科の知識の全く無い身内あるいはトリアゲバアサンによる出産介助をせざるを得ない人たちがあり、一方で近代産婆という有資格者による出産介助が混在していたようです。




<座産から臥位でのお産と臍帯巻絡>


この開業助産婦さんは、昭和6年(1931)に産婆になり北海道で働き始めます。
その聞き語りの中に、座産から寝て産むお産にした理由と思われる部分があります。

田舎から出てきて、座産でないとだめだっていう人もいましたけれど、臍の緒まきついていても処置できないよっていいますと、たいてい寝て産みますね。

また臍帯巻絡(さいたいけんらく)が原因と思われる遷延分娩の話も書かれています。

一晩泊まって翌朝もだめで、病院に行ったほうがいいと勧めても、何日でも我慢するっていうんです。近所の人が、まだかまだかと見舞いにくるんですけれど、誰も病院に行けという人はいなくて、私一人で行けと勧めていたんです。二晩泊まってやっと出せたんですけれど、臍の緒が二回巻いていて、コッヘルではさんで切ったんです。したら、まわりにいた近所の年寄りやなんか、お母さんの体をどこか切ったと思ったんでしょうね。ずいぶんびっくりしたといっていましたよ。


臍帯巻絡については「医療介入とは41 <お産と重力>」でも書きましたが、おおよそ3分の1ぐらいで赤ちゃんの首や体に臍の緒が巻きついています。
http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20121105


現在ではエコーで事前に確認できる時もあるし、分娩の途中で臍帯が圧迫されて赤ちゃんの心拍数が下がることが分娩監視装置でわかります。
胎児にストレスがかかりすぎる場合や臍帯巻絡が原因で分娩が進まない場合には帝王切開や吸引分娩などで、早く娩出させる場合もあります。


分娩が順調な場合でも、赤ちゃんの頭が出てきた時点で臍の緒が巻いているかどうか確認するのは、現在の分娩介助では基本です。
あまりにきつく巻いて赤ちゃんの体を出せない場合には、先に臍帯を切断してそれから赤ちゃんの体を出すこともあります。


「医療介入とは22 <ドップラーとCTGのトリビア>」http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20120929あたりで書いたように、1970年代の大学病院でもまだ「胎児はブラックボックスの中」と感じていたわけで、胎児の安全にも十分に配慮して分娩介助できるようになったのは歴史的にみてもまだつい最近のことと言ってもよいものです。


それでも、明治7年(1874)年に経過処置として定められた産婆そしてその後産婆教育が整備されて明治34年(1899)の近代産婆となり、産婆が産科医学を基本として学ぶことで分娩経過には異常も起こることを念頭においた上で介助するようになったことが、無資格者による介助とは大きな違いだといえるのではないでしょうか。


そのひとつが、安全に臍帯巻絡を解除しながら児娩出をはかる、あるいは安全に臍帯を切断するという助産の技術です。
そのためには児娩出時には仰臥位になることが最善の対応方法であったわけです。
それは現代でも同じです。


その産科医学による出産介助が近代産婆によって日本中に浸透するまでは、臍の緒が巻いていることもどうすることもできず、あるいは臍の緒がちぎれてもどうすることもできず、とにかく早く胎児をだしてしまうしかなかった時代がそれほど遠い昔ではなかったのですね。


また、児が無事に産まれてくるための知識や技術が十分でない時代には、「早く出す」ために早くからいきませていたようです。
いきませるために起き上がった姿勢を取らせていた可能性もあるのではないかと思います。
近代産婆による仰臥位のお産について、もう少し続きます。