医療介入とは 64 <産婦さんがお産のあいだ横になれるということ>

しばらく近代産婆についての聞き語りや資料を見てきました。


このシリーズの発端は、「それまで産婦さんは自由に動いて出産していたのに、医療が出産に介入することによって『仰向けのお産』になり『産まされるお産』になった」ということは本当なのか、そしてそういう理由が分娩台への批判になっていることは果たして妥当なのか考えてみたいと思ったことにあります。


あるいは「畳の上」「家族に見守られ」「自宅に産婆さんが赴き」「自宅でリラックスして」、本当に昔の女性は出産をしていたのか。


昔とはいつの話なのか。


こうしていくつかの昔の資料を読むだけで、昔の女性は出産時に「自由に主体的に動き回っていた」のではなく、「横になることも許されない」環境で出産をしていたのではないかと思えています。


なぜ出産時に横たわることができなかったのでしょうか。
それをまとめてみると、以下のような点が考えられます。


<出産場所の物理的な条件>


出産場所として、血液などで汚れてもよいような場所が選ばれていました。
砂浜や土間のように血液・羊水が染み込んでいくような場所に、児を産み落とすところだけ灰や藁、むしろなどを敷くのが一般的だったようです。
畳がある場所では、「畳を上げて」そのような場所を作っていました。


また納戸であったり、狭い場所が選ばれています。


どこにも陣痛で疲れた体を横たえるようなスペースも、あるいは快適な敷物もなかったのではないかと想像します。


あるいは現代の日本からは考えられないほどまだ貧しい時代でしたから、暖房もなく、あっても「けがれ」の習俗から火鉢のそばにもいかせてもらえない中、寒い時期のお産は産婦さん自身が動きまわる以外にはなかったことでしょう。


<お産をはやく終えることが大事>


現在でも陣痛が弱くなると、歩かせたりして「動くことでお産が進む」という考え方は根強くあります。


私も以前アクティブ・バースに影響を受けていた時期には、産婦さんを積極的に起こすことをよいことだと思っていました。でも実は「横になるとお産が進まない」という気持ちというか思い込みを私自身強く持っていたのではないかということを、「医療介入とは27 <分娩監視装置で広がった世界>」の<分娩進行中のCTGモニタリングでわかること>で書きました。
http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20121006


陣痛促進剤もない時代、胎児の状態もよくわからない時代、ただただ陣痛がきちんときて胎児を出して出産が終わることが大事だったのかもしれません。


さらに産科医学が入る前までは、子宮口が全開大してからでないといきませてはいけないということも知らないし、分娩経過を「診察して判断する」ということもなかったことでしょう。


そのために早い時期からいきませることが多かったことが、いくつかの資料からも読み取れます。


早い時期からどんどんいきませる。いきみたい感じもないうちからいきませるためには、座ったり立ったりする必要があったのかもしれません。


<女性あるいは産婦さんは大切にされていたのか>


「医療介入とは 56 <「血のケガレ」とさまざまな風習>」http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20121128で紹介した産後1週間ほど座ったままで眠らせない風習ひとつをみても、出産には苦行が伴って当然のような認識がいたるところに感じます。


出産間際まで農作業など働き続け、産後も十分な休養もとれずに働かざるを得ない状況もつい半世紀まえの日本でもまだあったのだと思います。


「出産の文化人類学」(松岡悦子氏、海鳴社、1985)にも、昭和初期の産褥期について書かれた部分があります。

でも人によってはね。お産して一週間しか寝ていない人もいましたよ。一週間過ぎたらもう立ち上がって、一人前にみんなといっしょに働いていましたもん。三週間休むっていうのはいいほうなんですね。決まっているんじゃなくて、そこの家の年寄りとかの愛情でもって、してもらえる人、してもらえない人、家庭の事情でね。(p.50)


助産師だけでお産を扱うということ1 <日本で助産婦が出産の責任を負っていた頃>」http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20120325で、1954年(昭和34)から始まった母子保健センターについて書きました。


当時の日本の農山漁村ではまだまだ自宅分娩や無介助分娩が多かった状況で、より安全な出産のためにかならず助産婦、有資格者が立ち会って出産するように設立されたのが母子保健センターでした。


安全なお産とともに、出産前後に十分な休息がとれず労働しつづけた農山村の妊産婦さんの母体保護も大事な目的であったようです。


このように母体の安静への対応が遅れた背景には、大家族の中での労働力、あるいは厳しい嫁姑の関係などもあったことでしょう。
「横になれば怠け者とみられる」そんな意識があったのではないでしょうか。


<「座って産む」=「横になれない」時代であったのではないか>


以上のことを考えると、「昔は座って産んだ」「自由な姿勢で産んだ」と解釈してしまうと、当時の女性たちが抱えていた苦労も見えなくなってしまうと思います。


私自身、たくさんの産婦さんのそばにいて見てきた印象としては、あの大きな陣痛の波には「横たわっていたい」と感じられる産婦さんが多いのではないかと思っています。


もちろん、座った出産の方が楽という方に個別に対応することは大事です。


でも本当は「横になりたい」と思っても、昔は「怠け者と思われたくない」という意識が女性を縛り付けていたように、現代では「アクティブ・バースやフリースタイルといわなければ主体的とは思われない」ような意識をあらたに女性に持たせてしまったとしたら、それは日本の女性がせっかく手に入れた「出産中に体を横たえる自由」への意識を再び失わせてしまうのではないかと思うのです。


分娩時の姿勢について、もう少し続きます。