現代の産椅とヨトギ  完全母子同室とか完全母乳とか

6月16日の「完全母乳という言葉を問い直す 32 <再び「母親の英知」より>」にいただいたやみゃムトさんのコメントを読んで、ふと完全母乳を目的にした完全母子同室は現代のヨトギかもしれないと思いました。


そんなわけで、今日はちょっとお産の話から離れて現代の完全母子同室について考えてみようと思い立ちました。


「完全母乳という言葉を問い直す」を書いていた時に、通りすがりさんのコメントをはじめ、たくさんの方がそれぞれのお気持ちをコメントにしてくださいました。ありがとうございます。


ひとりの人がこの世に誕生し、その人の成長を見守り育てることは確かに忍耐力を必要とする場面がたくさんあります。


人だけでなく、植物や動物を育てるのも同じですね。
生まれてすぐぐらいの子犬や子猫を飼って世話をした経験があると、「新生児よりは犬(あるいはネコ)の世話の方が大変だった」とおっしゃる方にけっこう出会います。
おそらくそれはどちらが大変という意味よりは、気を休めることなく相手を観察し世話をする経験をしたのでそう思えるようになったのではないかと思います。


最近はペットを家族として大切に世話をされ、病気やけがをすると一生懸命に治療を受けさせたり介護されていらっしゃる方の話を聞く機会が増えて、すごいことだなと思います。
実は私は簡単な観葉植物でもなぜかすぐに枯れさせてしまうので(涙)、植物や動物を大切に育てられる方には尊敬しかありません。


<産椅(さんい)とヨトギ>


話がそれましたが、なぜ人を育てる場合には忍耐力以外にさらに苦行と感じるような因習がつくられていくのでしょう。


先日の記事に書いた「産椅(さんい)とヨトギ」には驚かれた方もたくさんいらっしゃったことではないかと思います。
産後一週間近く、褥婦さんを眠らせないという習慣は、それぞれの時代の意味があるにしても現代の私たちからみれば壮絶といえるものですね。


ヨトギとはなにか再掲します。
「叢書いのちの民族学1 出産」(板橋春夫氏、社会評論社、2012年)より引用。

ヨトギとは、睡魔放逐の手段として産婦にとって身近な女性が産室で火を焚いて一緒に一夜を過ごすものである。火を焚くのは単に暖をとるというものではない。夏場でも火を焚くのであるから当然別の意味があると思われる。出産が済んだばかりの産室には獣を始め、目に見えない魔物たちが、誕生したばかりの赤子を狙う。火はその襲来からよける機能を持つとされる。この火のまわりに座った女性たちが夜語りをするのがヨトギであった。(p.93)

実母・姑あるいは身近な女性たちが訪れて「四方山話をしながら夜を徹することに意味があり」というように、もともとはお母さんを眠らせないことが目的ではなく、新生児を夜を徹して見守りながら育児方法や産後の過ごし方などを伝える場でもあったのではないでしょうか。


それがいつの間にか、「血のケガレ」とか上流階級の女性を「産椅」に座らせて苦行に意味があるかのような習俗がつくられていったのかもしれません。


「苦行」は人の漠然とした不安を打ち消すものとして使われ、そうした「苦行」が社会的なしきたりに変化していけばそこにはなんらかの権威が生み出されてくることでしょう。
ひとは権威にも弱いものです。


<産後のお母さんと赤ちゃん>


出産後、なかなか眠れなかった体験をほとんどの方が持っていらっしゃるのではないかと思います。
お産にとても時間がかかり、さぞかし眠れるだろうと赤ちゃんを預けて寝ようとしても眠れないようです。
特に夜中の赤ちゃんも活発な時間帯は離れていてもお母さんは浅い眠りのようで、赤ちゃんが泣き出すとお母さんもちょうどトイレに起きていらっしゃるのは不思議です。
そして反対に日中は新生児も比較的深い眠りになり、お母さんも深い睡眠をとれるようです。


妊娠中からお母さんと赤ちゃんの睡眠・活動のペースはシンクロしているのかもしれませんね。
そして出産後は、お母さんのアンテナはいつも赤ちゃんの方に向いているのではないかと、私は勝手に理解しています。


さらに新生児の便が変化する生後2〜3日は浅い眠りが続いている様子で、その間はお母さんたちも眠りが浅いようです。
また魔のシンデレラタイムと私が勝手に読んでいる時間帯も、お母さんたちは浅い眠りしかとれないようです。


私の勤務先では、お母さんが預けたいときに預けられるようにしています。
一旦預けたけれど「やはり眠れない」という時には、また連れて行くお母さんもけっこういらっしゃいます。
一緒にいると緊張していたお母さんたちもそばに赤ちゃんがいることでぐっすり眠れることもあるし、すこし緊張がとけた頃には預けてぐっすり眠れるとまた元気になるようです。


また赤ちゃんが泣き出すとすぐにスタッフが行くようにしています。
すぐに「オムツ交換」や「授乳」だけではなく、あやして待ってみたり赤ちゃんの様子をお母さんと一緒に考えるようにしています。


初産か経産かには関係なく、出産直後のお母さんにとっては赤ちゃんが泣き出すことは心細く不安なものです。
誰かがそばにいて見守ってくれる。
時にはお母さんに代わって、誰かが泣き止まない新生児をあやしてくれる。
それがどんなに心強いことでしょうか。


そして気を張り詰めて、ひとりで新生児を全身の神経を集中させてみなければいけないことほど、産後のお母さんにとってつらいことはないと思うのです。


ヨトギについてはおそらく資料も少なく研究の途中なのだと思いますが、産後の活発な新生児、眠らない新生児と眠れないお母さんを見守り励ますシステムだったのではないかと想像しています。
そして昼間のことは書かれていませんが、おそらく新生児も深く眠り、お母さんも一緒に眠っていたことでしょう。


<完全母乳のための完全母子同室>


こうして考えていくとヨトギそのものは壮絶な習慣ではなく、反対に産後のお母さんと新生児を手厚く見守るものだったのではないかと思います。
一組のお母さんと赤ちゃんのそばに、何人もの女性が常にいて世話をしてくれるのですから。


現代はどうでしょうか?
出産後のお母さんと赤ちゃんがいつでもいっしょにいられることは大事なことだと思います。


ところが、病院で誰も手伝いのいない中でぽんと新生児と二人きりにされ、完全母乳のために「泣けばおっぱい」「吸わなくてもおっぱい」の繰り返し。
「吸わせないと出なくなる」という不安と、一瞬の気を休めることも許されずにひとりで赤ちゃんを見守らなければならないのです。


完全母乳のための完全母子同室は現代の産椅とヨトギともいえるかもしれません。
こういう苦行ともいえることに意味を持たせても、私にはよいケアだとは思えないのです。
完全母子同室を本当によいケアにするのであれば、いつでも誰かがそばにいられるだけのスタッフ数が必要なシステムなのですから。


<おまけ>


産後のお母さんと赤ちゃんたちが一番よく眠れるのが、午前10時ごろから夕方までの時間のようです。
なのでできるだけこの時間に、「指導」や診察をいれないで休息をとれるよう配慮したいものです。
集団での「退院指導」はせずに、夜間、お母さんの不安に応えながら退院後に必要なお話をするようにしています。