お産に対する気持ちを考える 4 <日本の無痛分娩>

前回の記事に続いて、「無痛分娩の基礎と臨床」(角倉弘行著、国立成育医療センター手術集中治療部産科麻酔部門主任、真興(株)医書出版部、2011)から日本の状況をみていきたいと思います。


「本邦の現状」(p.28〜)の冒頭部分を引用します。

 残念ながら本邦の無痛分娩の普及率あるいは実施率を正確に調べた報告は見当たらないが、その実施率は先進国の間でも極端に低い部類に入るものと推測される。本邦で無痛分娩が実施しない理由として「お腹を痛めた赤ちゃん」や「産みの苦しみ」などの慣用句からも伺えるように陣痛に耐えることを美徳とする文化的土壌があることが指摘されている。そして、このような土壌は社会の秩序を維持するために個人の感情を抑制するべきであるとの儒教の影響を受けているとされている。しかし、無痛分娩が普及しない理由をいつまでも封建制度の時代の宗教で説明するのが無理があると思われる。


この冒頭部分については今回は紹介のみにし、次に日本の大学病院での無痛分娩の普及率について1996年の調査をもとにした部分を引用します。

本邦の大学病院(84施設)では年間分娩数が1,000件以下の施設が93%を占め、無痛分娩を行っていると答えた施設は54%にとどまった。また無痛分娩を行っていると答えた施設に無痛分娩の適応を訪ねたところ、医学的適応がある場合のみと答えた施設が大半で、希望者に積極的に無痛分娩を行っている施設は限られていた。これらの結果から本邦での全分娩数における無痛分娩の割合は非常に低いことがわかるが、その原因として分娩の集約化の遅れがある。

2011年に出版されている本で1996年の調査結果ぐらいしか国内の無痛分娩の普及状況を把握するものがないことに少し驚きました。


また1996年ごろといえば、私自身は医学的適応があれば無痛分娩を実施する方針の民間の総合病院に勤務していましたから、当時、大学病院で半数しか無痛分娩が取り入れられていなかったことに改めて驚いています。


硬膜外麻酔の適応とは何か、同書から引用します。

適応
1.産婦のリクエス
2.医学的適応
 1)産科的要因(妊娠高血圧症、VBAC、CPDなど*)
 2)母体の合併症(精神科疾患、循環器疾患、呼吸器疾患など)
3.気道確保困難が予想される産婦

(*VBACーVaginal birth after cesarian section、前回帝王切開後の試験的経膣分娩、CPD-cephaloplevia disproportion 児頭骨盤不均衡)


1996年当時、私が勤務していたのは年間分娩件数400件前後の中規模の総合病院でしたが、無痛分娩は年間数人ほどだったと思います。
記憶をたどるしかないので不確かなのですが、分娩時の高血圧症の場合に限って、しかもごく限られた場合に無痛分娩を実施していました。


当時は私自身も「自然なお産」に傾倒していた時期ですが、それでも回旋異常などの遷延分娩で痛がり方が尋常ではない産婦さんに無痛分娩を使ったほうがよいのではないかと担当医に相談したこともあるのですが、「産婦さんの痛みを一緒に乗り越えさせるのがあなたたち助産婦の仕事でしょう?」と言われたこともありました。


<日本で麻酔分娩が広がらない理由のひとつ>


産科医も私たち助産師も、精神論重視なのでしょうか?
決してそうではないと思っています。


無痛分娩に関する議論で、不思議なほど話題にされないのが費用の問題ではないでしょうか?


たとえ「医学的適応」があっても、無痛分娩は自費です。


「お産は終わってみないとわからない」
ですから経膣分娩でいけるのかそれとも緊急帝王切開になるのか、ぎりぎりまで判断がつかずに悩むことはしばしばあります。


たとえば回旋が悪くお産が進行しない時に、硬膜外麻酔を実施すれば吸引分娩でなんとか経膣分娩で産まれるのではないかと予測できるお産があります。


でも試してみたけれど途中で分娩停止や胎児ジストレスで緊急帝王切開になった場合は、硬膜外麻酔は手術に必要な処置として健康保険適応になります。


ところが硬膜外麻酔による無痛分娩でなんとか帝王切開を回避できて経膣分娩になった場合は、吸引分娩や会陰切開・縫合術は健康保険適応になるのですが、なぜか硬膜外麻酔は自己負担になってしまいます。


この「誰が支払うのか」という点での複雑さが問題のひとつではないかと、私自身は感じています。


というのも、私たちの説明いかんで無痛分娩に対する受け止め方は大きく違ってしまう危険性があるからです。


たとえば回旋異常の場合、硬膜外麻酔によって産道周辺の筋がリラックスするので麻酔後に一気に分娩が進行して生まれることもあります。
それが麻酔の効果なのですが、人は悩みも過ぎれば忘れてしまいます。
「なんだ、こんなにすぐに生まれるのなら麻酔なんていらなかったのでは」「10万円も払うなんてもったいないことをした。頑張れたかもしれないのに」
など感じる方もいらっしゃるのです。


私たちからみて、無痛分娩に切りかえれば帝王切開を回避できるかもしれない、あるいは必要以上に産婦さんの体力の消耗も防げるのではないかと思われるような経過でも、無痛分娩を勧めることは金儲けと思われかねない状況があります。


こうした現場の葛藤を少しでもなくす方向にしてくれたら助かるのに、といつも感じています。


また無痛分娩を最初から選択する産婦さんが多く通院するような施設では、あまりこうした経済的な問題というのはないでしょうし、見えにくいのではないかと思います。
ある程度経済的に安定した人が選択しているからです。


ところが、ぎりぎりの生活の中で出産を選択する方もたくさんいらっしゃると思います。
麻酔分娩という経済的負担の大きい分娩方法は全く選択肢になく、自分で頑張るしかない、頑張って力尽きるまえに帝王切開で出産するしかない人たちがいるのです。


日本の病院でなぜ無痛分娩が広がらないのか。
この出産費用の支払いに、自費と健康保険適応部分が入り組んだシステムにも一因があるのではないでしょうか。


もちろん、少しずつ社会の中で築いてきた日本の医療システムには素晴らしい部分がたくさんあると思うので、答えは拙速に求めずに考えることが大事だと思います。





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