お産に対する気持ちを考える 5 <無痛分娩、助産師は否定的なのか?>

今回もまた「無痛分娩の基礎と臨床」(角倉弘行著、国立成育医療センター手術集中治療部産科麻酔部門主任、真興交易(株)医書出版部、2011)を参考にしながら、助産師(あるいは医師)にとって無痛分娩とはどのように映っているのか考えてみたいと思います。


この本の「第10章 無痛分娩を円滑に導入するために」の中で、2003年から著者が麻酔科医としてある大学病院で無痛分娩を導入するプロジェクトの経験が書かれています。

第一段階(準備期間)は、無痛分娩を円滑に導入するために産婦人科医、麻酔科医および助産師の理解を得ることを目標とした。そのために、手始めに産婦人科医の医局会や助産師の勉強会でレクチャーを行ったが、産科医や助産師の無痛分娩に対する認識との間に大きな隔たりを痛感した。具体的には、産科医は硬膜外カテーテルさえ入れてくれれば後は自分たちでできると考えており、また助産師は無痛分娩にそもそも悪い印象を持っているように感じられた(図1)。また、麻酔科の医局会では勉強会を行ったが、興味を示してくれる医局員がいる一方、正直なところ麻酔科の業務が増えることに対する警戒感も感じられた。

「図1」には、助産師が車椅子で産婦さんを連れて行きながら「自然が一番」と言っている絵が載っています。


ともかく導入プロジェクトが始まります。

第二段階(試行期間)は、医学的適応のある産婦や縁故の産婦を対象に限られた麻酔科医が無痛分娩を実践し、施設の実情に応じた無痛分娩の方法を模索することを目標とした。現場ではさまざまな軋轢も経験したが、およそ20例を過ぎたあたりから助産師や産婦人科医の理解が深まってきたのが実感された。

そして第三段階(普及期間)は、無痛分娩の対象を一般の産婦に拡大し、質の高い無痛分娩をいつでも提供できるようにすることを目標にした。無痛分娩を積極的に希望する産婦に対しては基本的に計画分娩をお奨めしているが、プロジェクトの開始から4年が経過し、同僚の麻酔科医および産婦人科医や助産師の協力のおかげで夜間や休日の無痛分娩の依頼に対しても質の高い無痛分娩が提供できるようになりつつある。


この第二、第三段階の経験を読んで思い浮かんだのが、「百聞は一見にしかず」と「石の上にも三年」です。


<「百聞は一見にしかず」無痛分娩のメリット>


助産師は「自然なお産」を強く勧めているかのようなイメージがあると思います。
たしかに、私自身も「自然な経過で」「あまり手を出さずに待ってみる」ことが大事だと思うところも多々あります。


ただ、私が今まで一緒に働いてきた周囲の助産師を見ても、雑誌やテレビで強調されるような「自然派」の助産師は稀だという印象です。
いえ、いるところにはいるのだとは思いますし、メディアなどで発言する機会が多い人にはそういう傾向もあるのかもしれませんが。


おそらく多くの助産師は必要があれば促進剤や吸引分娩・帝王切開などの医療介入の判断を医師と相談しながら決めていますし、どのような方法であれ、お母さんと赤ちゃんが無事に出産を終えることを喜んでいると思います。



もし本当に助産師の中に無痛分娩に対する抵抗感のようなものがあるとすれば、この筆者が「第11章 無痛分娩を普及させるために」で以下のように書いているように助産師が無痛分娩を見る機会が少ないからではないかと思います。

助産師の啓発
助産師は分娩中の産婦に最も長く接するので無痛分娩を普及させるためには助産師の理解が不可欠である。(中略)
いずれにしても一般の看護師以上の教育を受け助産師になるのであるが、その過程において無痛分娩に関する十分な教育を受けることがないのが現状のようである。
一部では陣痛は母性にとって重要であるとの教育がなされているようであるが、無痛分娩に対する偏見をなくすためにも無痛分娩に関する卒前および卒後の教育の機会が提供されることが望まれる。


助産師教育の中では10例の分娩介助実習が規定されていますが、これは正常分娩に限られています。
それ以上の分娩介助や分娩見学は、時間も実習先の確保もできないのが現状だと思います。


特に学生時代には、合併症がある場合や吸引分娩などの急速遂娩術が必要になるような分娩を見る機会はほとんどありません。
ましてや無痛分娩の見学をした人はいないぐらいではないでしょうか。


学んでいないことを臨床で実践することは、大きな不安が伴います。
吸引分娩でさえ、卒業して初めて実際の介助をしたぐらいです。とても緊張したことを覚えています。


日本の病院全体でどれくらい無痛分娩が行われているのかよくわからないのですが、私の勤務先の周辺にある首都圏の病院・診療所をみても、無痛分娩を行っている施設自体が限られています。
ですから助産師になってから無痛分娩を経験している人のほうがまだまだ少ない可能性が高いでしょう。


上記の第二段階で、おそらく回旋異常・遷延分娩などが無痛分娩によってスムーズにいったケースや産婦さん自身の無痛分娩を喜ぶ感想などを体験することによって、助産師の気持ちも変化していったのではないかと思います。


決して助産師が皆、なんでも自然を強調しているのではないと思っています。


<「石の上にも三年」お互いの理解にかかる時間>


産科医がどのように無痛分娩を受けとめているのかという全体像もよくわからないのですが、冒頭の経験を読むと、日本の中で無痛分娩を広げるためには助産師だけでなく産科医の中にもまだまだ受け止め方がいろいろなのではないかと感じます。


産科医、麻酔科医そして助産師それぞれが出産に対する視点の違いのようなものがあるように思います。


産科医と助産師だけでも、「待つかどうか」見方が違ってそれぞれの経験からの判断をすり合わせていく機会がたくさんあります。
必ずしも助産師側が「自然経過を待つ」判断をするのではなく、むしろ産科医のほうが「待ってみよう」という判断の時もあります。


別の施設に移って別の産科医と一緒に働き始めると、その先生がどのように判断をするか理解しながら「あうんの呼吸」で動けるようになるのには「石の上にも3年」だといつも感じています。


あるいは、無痛分娩もそのメリットを理解でき、処置のための準備から管理まで何度も体験をしていくことで自信がつけば心理的なハードルも下がることでしょう。
そういう個人の技術と経験の獲得には、やはり時間が必要だということです。


「医療介入とは59 <近代産婆の資料2 信州の産婆>」で紹介したように、難産で産婆が医師を呼んだ際に産婆自身が「産科専門医の鉗子(かんし)分娩には目を見張り」、さすが専門の医師は違うと認めたように、あるいは住民が医師や医療の力を認めていったように、その効果を目にする機会があればおのずと認められていくのではないかと思います。


助産師が「自然」を強調し無痛分娩を否定的にとらえているとするならば、具体的にどういうことなのか、もう少し考えてみたいと思います。




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