助産師と自然療法そして「お手当て」12 <マクロビの安産志向とアンビバレンツ>

以前の記事で日本に硬膜外麻酔の無痛分娩が広がらないのは、助産師側あるいは日本の社会の中の「産みの痛みを耐えてこそ母になる」という考え方が根強いからだというとらえ方には、私自身はどうなんだろうと懐疑的な立場であることを書きました。


たとえば、「硬膜外無痛分娩 安全に行うために」(照井克夫著、南山堂、2003年)では、麻酔科医である著者が「序」で以下のように書かれています。

「お腹を痛めて産んだ子」という表現が、お産の痛みに意義を見出す立場を象徴しているように思います。しかし、満足なお産体験のために痛みが必要なものだ、とは私には思いません。

また、「無痛分娩の基礎と臨床」(角倉弘行著、真興交易(株)医書出版部、2011年)の「世界各国での無痛分娩の現状」の中の部分でも同じような内容が書かれています。

本邦で無痛分娩が普及しない理由として「お腹を痛めた赤ちゃん」や「産みの苦しみ」などの慣用句からも伺えるように陣痛に耐えることを美徳とする文化的土壌があることが指摘されている。


たしかに「お腹を痛めた赤ちゃん」「産みの苦しみ」という表現はあるけれど、実際には医療費の問題や麻酔分娩を行えるほどの医師数もいないことのほうが、無痛分娩が広がらない理由のように私が感じていることはこのあたりで書きました。


で、私自身は「お腹を痛めて産む」「産みの苦しみ」をことさら強調するような会話は日常の仕事の中ではほとんどないですね。
どちらかというと、「妊娠中から体の変化に伴ういろいろな不自由を耐えて、よく頑張りました!」というねぎらいの思いです。


助産所の「産みの苦しみ」の意義>


でも、「産みの苦しみ」を強調する助産師はたしかにいるようです。
助産院のサイトにこんな一文を見つけました。

助産院で出産をするということは薬や器具に頼らず「産む力」と「生まれる力」を信じて自力で出産をするということです。
そもそも出産とは誰かが代わってあげることはできません。
助産師とは産婦の側に寄り添い、励まし勇気づけることしかできません。
しかし、母親自身さえ気付かなかった底知れぬ力を引き出してくれます。
まっすぐな心で信じる心の強い女性はきびしい陣痛にも守備よく耐え抜き、良き母親になるための切符を手に入れることが出来ます。
このつらい陣痛に耐えてこそ、その後にやってくる子育ての大変さを乗り越えることができるのではないかと思わずにはいられません。


いやはや、こういう信念で出産するのは大変そうと感じます。


助産院を選択した理由に、病院が怖いからとか助産院のほうが不安な思いを受け止めてくれるといった感想をよく耳にします。それはそれで確かにと思う点もありますが、ここまで確固たる信念を待たなければ出産も子育てもできないと思うのは、別の意味で不安ではないでしょうか。


<マクロビの「痛みのないお産」と「産みの苦しみ」の矛盾>


いえ、今日はこういう助産師の信念について問題にするつもりではなくて、「自然なお産」の食事療法として、マクロビは開業助産師の中に浸透しているようなのですが、「産みの苦しみによって良き母親になる」と「痛みを感じないお産」に矛盾はでないのだろうかと疑問に思ったことを書きたかったのでした。


自然派ママの食事と出産・育児」(大森一慧著、サンマーク出版、2005年)の巻末には「自然分娩ができる菜食対応の産院と母乳指導&おっぱいケアの施設」というリストがあり、24件の助産所と2件の産科クリニックが掲載されています。


2005年当時で、そのリストの中の9箇所の助産所マクロビオティックの食事に対応しています。
現在では、少し助産所のHPを見ただけでもその倍以上の施設がマクロビを掲げています。


「マクロビを実践すれば痛みを感じないお産ができる」という主張と、「痛みに耐えることこそ、よき母親の切符を手にいれることができる」という主張について、開業助産師さんたちの中ではどのように整合性を持たせてきたのでしょうか。


「お産はごく生理的なものであり、苦しいものであるはずがない」「お産が苦しいなどというのは食養を破った罪人」という思想が根底にあれば、信じている人には苦しかったとは言えないものがあることでしょう。


でも軽かったといえば、何か母親になる段階を楽して過ぎたかのようにも感じてしまうかもしれません。


上記の本では、そのあたりをうまくまとめています。

 自然分娩の場合、赤ちゃんの誕生の準備が完了してから、母体の準備が開始されます。お産が始まると、赤ちゃんは狭い産道を回転しながら巧みに生まれ出てきますが、母子ともに苦難のときです。赤ちゃんは生理的な圧迫を受けるのですが、そのことが赤ちゃんの生きることへの意志を強め、同時にお母さんの母性を促す、それが自然の摂理です。
 ですから、お産がまったく痛くない、ということはありえないのですが、それを軽くすることも重くすることもできるのが食事なのです。

つまり、痛みは食事で軽くすることもできるが、痛みの感じ方とは別に産道を通過することで生きる意志を持った赤ちゃんと、母性が備えられるということのようです。


それはそれで、そう感じる方を否定する理由もありませんが、問題は「それを軽くすることも重くすることもできるのが食事」というあたりの具体的な内容です。


そこには、周産期医学に基づいて働く助産師側には認められないことが多々書かれています。


次回からは、そのあたりを具体的にみていきたいと思います。





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