代替療法とはなにか 3  <歴史からみた医学・看護学>

前回の記事で紹介した代替療法の一部のリストを見るだけで、その数の多さに圧倒されそうです。
それだけあれば、なにかひとつぐらいは自分にあったものがありそうな気さえしてきます。


「医療従事者のための補完・代替医療 改訂2版」(今西二郎編、金芳堂、2009年)では、「多くの補完・代替医療では、患者を全人的に治療するという基本的な共通基盤がある」と書かれていることを前回紹介しました。


つまり、代替療法は「治療法」であるという認識です。
おそらくこの「治療とはなにか」という基本的な認識をもう少し掘り下げて考えていけば、代替療法が見えてくるような気がします。


今日は、精神科医中井久夫氏が「看護のための精神医学」(中井久夫山口直彦著、医学書院、2008年)に書いた、「<歴史>からみた医学・看護学」を参考にして「治療」がどのように変化してきたのかを見てみようと思います。


<医学の変遷と分類>


中井久夫氏は、医学を以下のように分けています。

1.家庭医学
2.健康術
3.呪術医学、宗教医学
4.非宗教的・体系的・非近代医学
5.近代医学

まず、家庭医学と健康術を紹介します。

家庭医学


 伝統のように各家庭に伝わってきた医学である。「風邪をひいたら熱いおうどんを食べて厚着して寝ていなさい。汗をかいたらどんどん下着を替えなさい」といったものである。もっとも西欧では風邪をひいたらぬるま湯に入るから、文化によっても違う点もある。
 家庭医学は、料理や薬草や水浴を使うこともある。ドクダミやセンブリは漢方ではなく、民間薬である。ハーブはそのヨーロッパ版である。現在も「生活の知恵」の一部として健在であり、軽い病気は家庭治療ですませられる。
(中略)
 家庭医学の知恵は、看護学を養う地下水である。また介護学は、家庭医学を基礎としてこれを組織化し、社会変化とともに家庭医学が家庭でおこなわれなくなったところを代替しつつある。

健康術


個人レベルの予防医学で、リーダーやテキストがある。医師の起源の一つは料理人、体操教師、水泳指導者、家庭教師などにある(もうひとつは、王、呪術師、雨師、巫女である)。現在これらはさかんで、代替医学の一翼をになっている。高齢社会に入ってから生活習慣病という概念が提出され、その予防として、よい日常生活が勧められるようになった。献立、体操、催眠術、住居、環境などである。さまざまな健康法が並びたって競っている。自分にあった健康術のレシピをつくるのが正しいありかたなのだが、情報が混乱し、医学者の勧める健康法もときどき「断りなし」に変わるので、「船頭多くして船山に登る」という事態も少なくない。

圧倒される「代替療法」の類も、ほとんどがこの二つに含まれるのではないかと思います。


つまり「生活の知恵」と「個人の予防医学」であり、それぞれに「効果が認められれば」看護や医学として役立てられるものになる可能性があるということです。


<呪術と非宗教的・体系的・非近代医学>


次に、現代の日本ではなじみのない医学について紹介します。

呪術


 呪術は対象を動かし神をも動かそうとするものだから、神の意思に逆らうことなど考えられない宗教とは本来対立するはずである。しかし現実には、補い合い、融け合っていることが多い、医学の祖ヒポクラテス学団は、アスクレピオス神殿付属医師団から出発した。
(中略)
 呪術は宗教などから体系を借りてくることはあっても、技法中心であり、技法(儀式)の正確さを徹底的に追求することが多い。呪術は催眠効果その他の変性意識状態を通過させることによって、信じている人には効くことがある。我が国の江戸時代は、宗教が医療にたずさわることを禁じた点でヨーロッパに先んじるが、キツネつきだけは日蓮宗にゆだねていた。
 しかし呪術的な医療は、病人の弱みや健康人の健康不安につけこんで、呪術師が洗脳されたり取り巻きをつくって権力欲の満足や、端的な金儲けに使う危険も古来跡をたたない。

最後の3行は大事な点だと思います。


そしてつい半世紀前の日本でも、熊の手で安産祈願をしながらの分娩介助が行われていたわけです。

非宗教的・体系的・非近代医学


 中国伝統医学(中医学)、韓国の伝統医学、わが国の「漢方」、ヨーロッパのホメオパチー、アメリカのカイロプラクティック、インドのアーユールヴェーダ医学、チベットの伝統医学などは、宗教とは別個で、ある体系や原理(たとえば中医学では陰陽)に従い、治療理論の体系と、それにもとづく手段の体系と、それを実践する専門家とその教育手段をもっている。
 これらは、近代医学の隙間を埋める代替医療として、最近、注目を浴びつつある。
 ただ、この型の医療は看護の概念を発展させず、その面は一般に家庭看護に頼ってきたようである。したがって、病院も発達しなかった。


数ある代替療法は、おおよそこれらの「家庭医学」「健康術」「呪術」「非宗教的・体系的・非近代医学」に分類することができることでしょう。


そして、効果が検証されているかどうかという点とともに、この「看護の概念を発展させず、病院も発達しなかった」という視点も代替療法について考えるのに重要ではないかと思います。


代替療法を治療法ととらえるのであれば、「病院という施設と看護」を中心に発達した近代医学と、それ以前の代替療法という歴史の中での整理のしかたが最もすっきりとするのではないかと、この中井久夫氏の一文から考えたのでした。





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