代替療法とはなにか 4    <病院+看護=近代医学>

現代の日本では、当たり前のように病院があり、医学にもとづく治療と看護を受けています。
まるでずっとずっと昔からそのシステムがあったかのように。


前回に引き続き「看護のための精神医学 第2版」(中井久夫山口直彦著、医学書院、2008年)の「《歴史》からみた医学・看護学」を参考に、近代医学について今回は考えてみようと思います。


その中で、近代医学を以下のように説明しています。

定義上、西欧で発達し、科学を基盤とし、体系化された臨床を重視する医学である。高度の教育制度と法で守られた特権をもつ専門家による医学・医療である。

「特権」と書くと御幣がありそうですが、人体に直接触れて治療やケアをする行為は業務であることが法的に認められていなければ、傷害罪など違法性を問われる可能性があるために、「法で守られた特権をもつ専門家」が必要になったという意味だと思われます。

今日の形の近代医学は、16世紀末のオランダにおいて、大学に病院、植物園(薬局に相当)を付設し、そこで臨床の教科書をもとにして実地に医師を教育したときから始まる。その卒業生は、スコットランドオーストリア、革命後のフランスなど西欧全体に広まり、大学医学部を革新したり新設した。

トルコ、日本などの非西欧国もしだいにこれを採用し、現在、国際連合公認の医学である。もっとも、1970年代以降、WHOは(4)の医学、すなわち非宗教的・体系的・非近代医学も排除しないことに改めた。


<病院と看護>


中井久夫氏は前回の記事で紹介したように、中国伝統医学(中医学)、漢方、ヨーロッパのホメオパチー、アメリカのカイロプラクティック、インドのアーユールヴェーダなど非宗教的・体系的・非近代医学は、「看護の概念を発展させず、その面は一般に家庭看護に頼ってきたようである。したがって、病院も発達しなかった」と述べています。


それに対して、近代医学については以下のように書かれています。

この医学の前史として、まず、看護概念と病院の設立がある。ヒポクラテスは、不治の病人を診察し続けるのは医師の不正義であり(それから報酬を得ようとするのであるから)、ただちにその場を立ち去れと述べていた。

看護という概念は、病者に触れることが神に至るひとつの道であるというキリスト教を持って成立した。とくに「祈り、かつ働け」をモットーとするベネディクト派の修道院であり、この派はギリシャ、ローマ、イスラムの医学をヨーロッパに導入するうえでも大きな役割を果たした。

病院の起源は神殿、兵営、修道院などいくつかあるが、看護概念なくしては、病院はたんなる患者収容所にすぎなかったはずである。


もちろん近代医学の発達とともに、不治の病でも医師は診療・治療を続け、患者と関わり続けるようになりました。
また看護では担いきれない部分は、カウンセラーやケースワーカー、あるいは栄養士などさまざまな職種が関わっています。


まさに「全人的な関わり」を近代医学も模索してきたといえるのではないかと思います。


<非宗教的・体系的・非近代医学と看護>


これに対して、伝統医学など代替医療においてなぜ看護や病院は発達しなかったのでしょうか。


それは施術者(治療者)と患者の1対1の関係こそが、これらの型の医療の基本だからではないかと思います。


自分を全て受け止めてもらい絶対的な信頼を持つ一人に身をゆだねることが、この場合の「全人的な関わり」であって、それには治療と看護といういわば分業のシステムは受け入れがたいのではないでしょうか。


人は時にはそういう場合も必要であり、有効な場合もあることでしょう。


そしてそういう型の医療しか選択のない場合もあることと思います。
それが「1970年代以降、WHOは(4)の医学、すなわち非宗教的・体系的・非近代医学も排除しないことに改めた」という背景ではないでしょうか。





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