助産師と自然療法そして「お手当て」 25  <「誕生前後の生活」より>

妊娠・出産・育児に関しての「整体的な考え方」はこの本に行き着くのではないかと思われる、野口晴哉(はるちか)氏の本を紹介してみようと思います。


整体法叢書「誕生前後の生活」(野口晴哉著、全生社、昭和53年初版)です。
私の手元にあるのは、20004(平成16)年に出版されて第11版とありますから、三十数年に渡って出版され続けているもののようです。


今回は、その「序」を全文、紹介します。

 出産の前後には、いろいろの問題が多い。新しい生命を、この世に輝かす為には当然のことであろうが、出産ということに余り力を集め過ぎて、その前後の問題を閑却している如き面のあることは否めない。しかし出産そのものよりその前後の生活の方が、生まれ出る生命のためには関連が多い。何となれば育児ということは、生まれてから行われることではなく、受胎と同時に始まることであって、生まれてから考えるのでは遅い。新しい生命のための座を早く設け、育て伸ばす道を先立って拓いておかなくてはならない。
(強調は引用者による)

なかなか良いことが書かれていると冒頭で納得しそうになったのですが、「新しい生命の座」「育て伸ばす道」は実は全く違う意味のことが書かれていたのでした。それについては、おいおい紹介していこうと思います。

 母親の心身の運動も、食物の摂取も、胎内に宿る生命のために、その要求する如く営まねばならぬ。犬でさえ自然の要求によって日光浴すべき時は日光浴をし、収縮力を増やすべき時は地に腹を当てて冷やしている。人間の、冷やしてはいけないとか、何々してはいけないという知識だけの行動の如何に狭いか。ともかく妊娠中の時期は、要求が知識より尊重されねばならぬ。

 出産のあと、骨盤が片側ずつ交互に収縮する時機は安静を保つべきで、便所にたつことすら禁じねばならぬ。これを守らぬと母乳は不足し、量が出ても質が伴わず、母親が肥って子供が痩せ衰える。更に両側同時に収縮する時機に至らば速やかに起きるべきで、これを守らぬと容色衰え、身体が弛緩することを免れぬ。このことが出産によって、体を改善するか否かの境である。
 骨盤の異常に伴う体癖的慢性症はこの時機の行動によって姿を消したり現れたりする。この時機を逃しては完全なる整体は行えぬ。片側収縮は出産直後におこるが、両側同時の収縮は普通三、四日後であるが、時に一週間の人もいる。その人の体状況によって起床の日を決めるべきで、幾日目だから起きるという憶測、推測、習慣等によって行為すべきではない。無知のための習性は当然捨てねばならぬ。体の要求、収縮感の移り変りを観察すべきである。この観察のない当てズッポーな指導は害がある。

このあたりが、産後の長期臥床が勧められていたり、あるいは骨盤ダイエットや更年期障害と関連付けた骨盤ケアの源流ともいえるのかもしれません。

 最初の授乳は宿便排泄後に行うべきで、それ以前の授乳は宿便の排泄を停止させてしまう。母体の運動不足は乳児黄疸のもとであって、黄疸は生ずるものと決めていることは本当ではない。母体の悪阻の如きも、当然あるべき必然的なものではなく、骨盤異常の反動に他ならない。

「宿便」というのは新生児の胎便のことだと思います。
ちなみに、代替療法では「宿便」という言葉をよく耳にしますが、医学的にはそのような便の存在は認められていません。

 斯くの如く、出産前後の問題には間違ったまま信ぜられていることが多い。特に近時出産の手伝いとしての助産の技術がその範囲を超え、技術によって出産せしめるつもりになり、摘出や切開が盛んに行われているが、母体を傷つけ、将来の健全生活をかき乱す如き助産方法は本当ではない。 この書は、出産とその前後の問題について、指導者のために講義した記憶であるが、これを刊行するのは、出産は出産の自然性を保つべきであると信ずるからに他ならない。


昭和四十八年三月                野口晴哉


1973(昭和48)年、この時代に野口晴哉氏が「出産の問題には間違ったまま信ぜられていることが多い」ととらえた背景にはどのようなことがあるのか。


また「技術によって出産せしめるつもりになり」と医療批判が織り込まれている背景は何か。


野口晴哉氏が「治療を捨てる決意」をし健康のための『体育』に専念すると、1956(昭和31)年に社団法人を設立してから17年後に、かなり医学的な領域に踏み込んだ書物を出版したのはなぜか。


そのあたりを次回、考えてみようと思います。




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