助産師と自然療法そして「お手当て」 33 <新生児・乳児への整体>

整体とはどのような手技なのか検索していくと、整体院のHPには「うちではボキボキしたり痛いことはしません」「マッサージとも違います」といったことがよく書かれています。


では整体とはどのような手技なのでしょうか?
特に新生児や乳児に対して、何をおこなっているのでしょうか?


<マッサージの定義>


たしかに揉んだりさすったりなどの行為は、「マッサージ」として法的資格を有する者のみに許された医療類似行為になります。
wikipediaからの引用ですが、「厚労省見解のマッサージの定義」を紹介します。

法第一条に規定するあん摩とは、人体についての病的状態の除去又は疲労の回復という生理的効果の実現を目的として行われ、かつ、その効果を生ずることが可能な、もむ、おす、たたく、摩擦するなどの行為の総称である。
   昭和38年1月2日医発第8-2号

その後、さまざまな民間療法が林立する中で、2003(平成15)年に「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する疑義紹介について(回答)」が厚労省から出されています。

同条のあん摩マッサージ指圧が行われていない施術において「マッサージ」と広告することは、あん摩マッサージ指圧師でなければ行えない。
あん摩マッサージ指圧が行われていると一般人が誤読するおそれがあり、公衆衛生上も看過できないものであるので、このような広告を行わないよう指導されたい。

つまり、もむ、おす、たたく摩擦するなど人体に力をかける行為は、医療類似行為の中でも、あん摩マッサージ指圧師のみに「マッサージ」と称して業とすることが許されたものであるということのようです。



では、整体とはそのような物理的な刺激もなく効果を得られる何かなのでしょうか?


また、最近は民間資格の「○○式マッサージ」とかありますが、あれは法的にどうなのでしょうか?


そして「ベビーマッサージ」という名称は、法的にどうなのでしょうか?


そんな疑問がいろいろ出てきますが、まずは野口整体の新生児・乳児に対する考え方を、「誕生前後の生活」(全生社、昭和53年初版)から見てみようと思います。


<「子供を丈夫に育てるための整体法」>


「子供を丈夫に育てるための整体法は?」という質問に、野口晴哉(はるちか)氏は以下のように答えています。長くなりますが、全文引用します。

 へその緒を切るのは遅いほうがいい。胎脂を洗い落とすのも遅い方がいい。つまり出来るだけ自然の状態にしておくことで、保護が完璧に行われるということなのです。お産婆さんが間に合ってサッとへその緒を切ってしまったという子供や、体を丁寧に洗ってしまったという子供が弱いのは、偶然ではないと思うのです。お腹の中にいるうちから愉気をしていても、そういう処置を考えておきませんと考えているような丈夫な状態にはならないことがあります。子供を育てるのは、肉の塊りを大きくすることではないのです。成長する力、生活する力を強くすることが育てるということで、過剰な保護を加えて調節するようなことをやれば、生活する力は弱くなります。子供自身の力で生きていけるように、できるだけ近づけなくてはならない。そういう意味で胎脂をとらない。へその緒を切るのも遅くする。着物も余り厚着をさせない。子供に不安を与えることのないように注意する。病気をさせない用心ではなくて、強く育てようとする用心、病気になったら自分の力で経過するようにする用心が育児の大事な問題だと思うのです。(続く)

たしかに近年では「胎脂をすぐにとらない」方法が取り入れられていますが、産湯ですぐに洗い流したとしても子供を弱くするほどの影響力はないものといえます。


どちらかというと、「誕生前後の生活」が書かれた時代背景のように、それまで妊娠・出産・育児のよろず相談役として活躍していた野口氏が、有資格者の助産婦に取って代わられたことがこのような文章の背景にあるのではないかと推察しています。


さて、「できるだけ自然な状態にしておく」ことが大事だとしているのですが、整体法では胎児に愉気をし、新生児にも愉気をしています。

(先の引用文に続く)そのための整体指導の方法としては、胎児の間は愉気をしますが、生まれてからも愉気をします。生まれたとき、母乳をやる前に掃除活点に愉気をするというのがその急処です。お乳の吸いの弱いような場合、飲みかけて寝てしまうとか、うまく吸えないような場合には、後頭部に愉気をします。眠りが浅い場合も同じです。後頭部は咀嚼変化の中枢、血行、呼吸の中枢で、これに愉気をすると深く眠るようになり、お乳を吸う力も強くなります。だから、仮死の状態で生まれた子供とか、早く生まれた子供には、後頭部に徹底的に愉気をすると丈夫になります。

愉気というのは手を当てる、あるいは軽くトンと叩くということのようです。


1970年代初頭でも小児科医にとっては胎児はブラックボックスの時代だったわけなので、たとえ気休めでも手を当てて、結果として元気に生まれてくれば感謝もされていたのではないかと思います。


愉気は何にでも効く?>


野口晴哉氏は、生後十三ヶ月は保護期間であるとして以下のように書いています。

十三ヶ月の間は積極的にその子供の持っている力を、自然に沿って育てるように努力する。それを越したら、子供の中にある自然の力をできるだけ強く発揮するようにするのです。病気をやってもいいのです。熱が出れば遺伝的な梅毒もなくなるし、淋病をなくなるのです。持っている遺伝的な素質がどんどん改善されるのです。

子供の愉気は後頭部とお腹で、下腹で自然に呼吸が出来るようになればいいのです。大人になっても後頭部とお腹の愉気でいいいのです。

愉気は薬や灸や鍼のように、外部からの刺激ではない。総て刺激するものは体が適応してしまうので、一度で効いたものは二度、更に三度しなくては効かなくなるというように増えていきます。細い針もだんだん太くしないと効かなくなります。愉気や活元運動にはそれがない。やればやるほど敏感になり、お腹の中にいる頃に愉気した子供たちほど愉気がよく聞きます。これは特異な現象で、愉気が自然の整体法だと思うのはそういうためです。

「一分子も含まれていないほど希釈し、希釈すればするほど効果がある」と主張するホメオパシーに通じるような荒唐無稽な話のような印象です。


また、「熱が出れば遺伝的な梅毒もなくなるし・・・」については当時の医学からしても間違った内容であり、人の健康に関する職業については医学的な教育体系で資格を得ることがいかに大事であるかということだと思います。


どうしてこのような新生児・乳児に関する整体の考え方がそれなりに受け入れられていたのでしょうか。
次回はその時代について考えてみようと思います。




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